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賃貸暮らしが好きな私が今まで東京で住んだ部屋③-1 西武柳沢

社会人2年目のとき、当時の彼女のYとともに暮らすことになった話をこちらに書きました。

私たちは何件か物件を見て回りました。私たちのなかの条件としては、ダイニングと部屋が2つついている、いわゆる2DKの物件を探していました。寝るのは一緒だとしても、それぞれの部屋がほしいと思ったのです。ずっと実家暮らしだったYは、バス・トイレ別や独立洗面台はもちろんのこと、追い焚き機能があったほうがいいと主張しました。確かに二人で暮らすのだから、追い焚き機能は必要です。というか、2DKの物件はファミリー向けなので、当然のようにバス・トイレ別で追い焚き機能がついている物件が多かったです。また、Yは室内洗濯機置き場があるかどうかにこだわりました。自分が洗濯機を買うから家で洗濯したいと言うのです。このように、相手の意見も尊重しなければなりませんし、そもそも一人暮らしと二人暮らしでは、物件を見るポイントも変わってきます

Yは私よりかなり収入が多く、おまけにずっと実家暮らしで貯金もあったため、引っ越しにかかる初期費用はYが出してくれることになりました。でも家賃は10万以内のところにしようと言われました。Yの収入ならもっと家賃の高いところでもいいのではと思いましたが(私も家賃は半分払うし)Yにはやけに慎重なところがありました。2DKでそれなりの広さがあってさらに追い焚き機能などもあって家賃10万以内となると結構限られてきます。それで見つけたのは、西武新宿線の新宿から離れたところにある西武柳沢という駅の部屋でした。西武柳沢は急行は止まりませんが準急が止まりますので、新宿からは遠くなるけどそれほど不便という感じはしませんでした。23区外で、西東京市というところでした。

その部屋は、西武柳沢駅から徒歩5分、5.5帖の洋室と6帖の和室、ダイニング、バス・トイレ別、独立洗面台、室内洗濯機置き場ありで、家賃は98,000円でした。5.5帖の洋室をYの部屋、6帖の和室を私の部屋としました。Yの部屋に、Yが購入したダブルベッドを置きました。YはiMacを所有しており、エレクターを組み立ててiMacの置き場や本の置き場を作りました。Yは器用でセンスが良かったです。また、実家から持ってきた机も置いており、かなり物が多く部屋が狭くなっていました。

私の部屋にはそのころは増えていたカラーボックス(中身は本)やこたつ、Yが実家から持ってきたタンスを置いていました。タンスは私も使わせてもらいました。

ダイニングにはYが購入したダイニングテーブルと椅子、私の電子ピアノが置かれました。広いと思っていた部屋は、物を置くとあっというまに狭く感じるようになりました。

冷蔵庫や電子レンジやテレビなどの家電は、私が使っていたものをそのまま使いました。洗濯機やコンロなど新たにYに購入してもらったものもありました。Yにばかり負担させるのは悪いと思い、私もカーテンやダブルベッド用の布団を買ったりしました。Yも私ももっと安い布団があることを知らず、布団屋へ行って勧められるまま6万もする羽毛布団を買いました。Yは実家を出るのははじめてだったし、私も今まで一人暮らししていたといっても生活能力が高くはありませんから、二人の生活はまるでままごとのようでした。

二人とも料理はしませんでしたが、料理本を見ながら一緒に料理を作ったりしました。Yが母親からレシピを教えてもらって作ることもありました。とくに粕汁はおいしかったです。ちなみにYの両親は私との同居に反対して部屋の保証人にもなってくれず(私たちはそれぞれを世帯主としたため、両方の保証人が必要でした)、Yは会社の上司に頼んで保証人になってもらったほどでしたが、いざ一緒に暮らし始めると認めざるをえなくなったとみえ、Yはよく実家に寄っては母親の手作り料理を持ってきてくれました。そうです。住むところを西武新宿線沿線にしたのは、上井草の実家に顔を出しやすいということもYにとってはあったのです。私はもう大学は卒業していたし、西武新宿線にこだわりはありませんでした。また、なるべく家賃の安いところを、というのも、Yの母親に言われてのことでした。Yは当時28歳でしたが、ずっと実家暮らしで親に溺愛されて育ったこともあり、未だに親離れができていないようでした。

家賃と光熱費は折半していましたが、生活費(食費や日用品代など)の多くはYが負担してくれていました。電話は私が加入していた固定電話を引き続き使いました。といってもこのころはもう携帯電話を持っていましたから、ほぼインターネットのダイヤル回線に利用していただけです。Yは契約をしていませんから、私の回線を借りていました。月々の電話料金の明細をとりよせ(かけた番号とその料金もわかるもの)月に一度私とYとで顔をつきあわせこれは自分がかけた、などと申告しあってそれぞれの料金を支払いました。

ベッドもエアコンもYの部屋にあったので、私たちはYの部屋で過ごすことが多かったです。Yの部屋にはDVDも観れる小さなテレビがあり、よくDVDを借りては二人でベッドに寝転がって観ました。

住みやすい部屋でしたが、住んでみてわかった欠点もありました。それは、青梅街道沿いだったため、車の騒音がすごかったのです。とくに朝などは寝てられないほどでした。が、しばらくするとそれもさほど気にならなくなりました。

西武柳沢は飲食店の数は少ないですが商店街があり、おいしい焼き鳥屋さんがあって、たまに行きました。でも私たちはあまり外食はせず、家で食べることが多かったです。

最初のうち、Yとの暮らしは有頂天になるほど楽しいものでした。好きな人と暮らすこと、外で会っていて別れる必要がないこと、外で会って、一緒に電車に乗って同じ家に帰ってくるということが、この上なく幸せでした。土日も当然べったり一緒にいられます。どこにも出かけなくてもただ家に一緒にいるだけで幸せでした。一緒に食事をして一緒にDVDを観て笑って一緒に寝る。人と暮らすことがこんなに幸せなことだということを、私ははじめて知ったのです。

が、やがて私は知ることになります。人と暮らすことは、いいことばかりではないということを。私とYは、互いのことが好きすぎていました。そのせいで束縛や嫉妬をしあうようになり、喧嘩をするようになりました。でも喧嘩のあとは仲直りをして前より仲良くなります。でもしばらくするとまた喧嘩をして・・・ということを繰り返しました。まるで天国と地獄を交互に行き来しているようでした。

続く



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