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『ソロ戦争』#14 孤独死なんて怖くない

自分の体験も交えながら女性の生き方について考え、結婚もせず子供も産まない「ソロ」としての生き方を模索するシリーズ。前々回、『「ソロ」であるデメリット』という記事をアップしたら、結構反響がありました。

皆、ソロであるメリットよりもデメリットのほうに注目するのかな、と思いました。

さて、このシリーズの目的は、ソロでも楽しく生きたいですねというメッセージを伝えることです。そこで上の記事で書いたデメリットについての対応策を考えていきます。今回は「孤独死」についてです。

発見されないのはソロだけではない

ソロが恐れるのが、自宅にいて突然倒れた場合にすぐ発見されないということ。確かに、家族がいないことにより発見が遅れ、それが致命的になってしまった、というケースも多いでしょう。しかしそれはソロに限らず誰にでも起こり得ることです。家族がいても離れて暮らしていたり、一緒に住んでいてもたまたま家にいなくて発見が遅れたりといったケースはいくらでもあります。

家族によって早めに発見されたとしても、間に合わずに旅立ってしまった、ということも多いでしょう。有名人の突然死もよく報道されています。突然死の場合は、原因がはっきりわかりませんから、対処のしようがないでしょう。健康的な生活を送っていても、突然倒れる人だっています。タバコを吸わなくても肺がんになる人がいるのと同じです。いくら健康を気遣っていても避けられない病気もあります。

孤独死を防ぐには

本人が倒れたことを周りが気づかず、亡くなって何カ月も経ってから発見される「孤独死」がよくマスコミで取沙汰されています。社会との接点がないと発見もされなくなりますから、孤独死を防ぐにはふだんからやりとりする人を作っておいたほうがいいといえます。近所の人だったり、友達だったり。

孤独死にそなえて、部屋を整えておくとか、見られたらまずいものは処分しておくとかするのもいいと思います。とはいえいつ自分が倒れるかもわからないのですからやりようがないともいえますが。

孤独死は怖いのか?

そもそも孤独死ってそんなにネガティブなことなのでしょうか。その言葉のイメージから「可哀想」「悲惨」などといった印象を受けますが、そもそも人が死ぬときなんて全員一人です。「死ぬときは家族や孫たちに囲まれて見守られながら死にたい」なんて考えている人が多いのでしょうか。笑止の至りです。

「孤独死」などというネーミングをつけ、さも怖いものとして不安を煽っているのはメディアです。そんなメディアに踊らされないでください。そもそも人はいつ倒れるかもわからないし、いつ死ぬかもわからないのだから、それを恐れても仕方がないと思います。いつ死んでもいいように、今を精一杯生きることくらいしかできないのではないでしょうか。

死んだあとのことなんて関係ない

孤独死は残された人が大変、ともよく聞きます。「残された人が大変だから、孤独死はよくない」と考える人も多いようです。が、自分が死んだあとのことなんて考えてどうするのでしょう。

死んだら終わりです。残された人が大変でも、葬式がどうでも、死んだら一切関係ありません。そんなことを気に病んでも仕方がないです。

生も死も、自分一人だけのもの。それはソロも非ソロも関係ありません。生きている間はただ生きる。目の前の仕事なり遊びなり恋愛なりでヒマ潰しして、死ぬまでは生きる。それしか人間のやることはないでしょう。

次回は「退屈」について考えてみます。



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