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星が綺麗だよ Merry Christmas.

    • リ ス ペ ク ト

      ただのリスナーさんや読者さんだと思えばいつもみてくれて、読んでくれて、ありがとうと思えるが、ネットストーカーやアンチだと思ったらキモチワルく、存在そのものが不快になる。その区別はなにを持って区分され、線引されるのだろうか。 ただのリスナーさんや読者さんをAとし、ネットストーカーやアンチをBとしよう。相手の顔も名前も知らない者同士ということが前提にあった場合、AもBもない、そこでは線引はできないはずである。それでも線引される理由はどこにあるのか。 線引した側には、おそらくな

      • キ ミ と 僕

        向こうで泣いていた 泣いていたから こっちに連れてきた 住む場所が変わると 慣れるまで色々大変かなと 思ったりもしたけど きみの手を引いて こっちに連れてきた 守ってあげたかったんだ なにもできないけど 僕はきみが 笑顔が似合うひとだって 知っていた だから僕は思ったんだ もう泣くなよって 泣かなくていいんだよって あのときより きみは強くなった 自分に負けなくなった きみが挫けそうになるときは さみしいときだ でも、 時間がかかっても 自分で立てるようになった

        • 🗒

          夏が終わりそうである。夏の甲子園、24時間テレビが終わると、秋風に変わる。今年の夏は僕たち夫婦の夏に彩りを添えてくれた。隅田川の花火は最高だった。浴衣の帯の後ろに差していた藍色のセンスを何処かで落としてしまったけど。 帰りにコンビニに寄った。二人で缶ビールを飲んだ。普段はノンアルかワインくらいしか飲まない妻も珍しく付き合ってくれた。アサヒスーパードライを二本と雑誌を一冊買って店を出た。 入り口のところに大きな犬がいた。誰かが散歩がてらに連れてきたのだろう。犬は明るい店側の

        星が綺麗だよ Merry Christmas.

          類 / Ⅴ

          どんな恋をしたかというのは大事である。初恋は未熟ながらも、その体験が後の恋愛観に連なる。切り離せないものは人生観にも連なるだろう。感動したときの魂の柔らかな響き、その優しさと静けさ。感動に溶けるような喜び。そういったものを素直に受け入れられるような状態のときに芽生える感受性や順応性はその人柄の根幹になり、人格を形成する上で骨格の頂になるとも思うのである。汎ゆる経験からそれらを体得し得ることはできるが、恋愛からくるものは琴線を弾く。一色も二色も濃く、深いのだ。 面影や追憶のな

          類 / Ⅴ

          類 / Ⅳ

          時折、「僕の、わたしの、初恋は幼稚園のとき」というひとがいるが、このときのスキキライは子供には多方面においてあるもので、おそらく初恋とは言えないだろう。やはり、初恋というものはホルモン線の分泌が活発化し始める多感期、青春期に芽生えたものがいわゆるホンモノであろう。また青春の時期は片思いだろうが両思いだろうが恋をしている状態に自分を置きたい思いが強くなる時期にあり、恋愛について興味を持つようになる。自分の接触できる範囲に現れた異性が、そのまま恋の対象になることも屡々だろう。彼氏

          類 / Ⅳ

          類 / Ⅲ

          ポストに投函する際は、なにかの用事で外出したついでだった。徐に鞄から取り出し、通りがかりにあったポストに投函したのだ。当時なら、そんな無造作なことはしなかった。手紙を書こうものなら、その為だけにポストに向かったはずだからである。皺にならないようにしただろうし、狭い投函口に引っかからないように気を使ったりもしただろう。手紙を持った手を少し奥に入れて、指先からそっと手離し、その手紙がポストの底でカサっと落ちた音がすると、ホッとしたものだ。 初恋というものは、永い間、思い描いてい

          類 / Ⅲ

          類 / Ⅱ

          冷静さを欠いていたわけではなかった。しかし、今思えば、多少の冷静さは欠いていたのかもしれない。その証拠に私は葉書の宛名を間違えてしまった。彼女の名前のかわりに、そこに記されていた旦那のフルネームを書いていた。彼女の結婚した男性の名前を書いた経緯には、理由があったと考える。一つは、その苗字に気を取られて、うっかり書き間違えてしまったというもの。もう一つは、当時の私のなかに彼女に対する意識がなかった為、印刷された文字をそのまま書き写してしまったというものである。後者だとして、この

          類 / Ⅱ

          私が大学生のころ、家に舞い込んできた年賀状の中に、あるひとからの葉書が一枚混じっていたことがある。いまも幼馴染みということにしてあるが、初恋のひとだった。中学の終わりごろ、彼女は親の転勤で引っ越していった。互いに部活がありながらも、朝練がないときは駅で待ち合わせして一緒に登校したり、毎日楽しかった。引っ越してから暫くは落ち込んだのを覚えている。郵送されてきた年賀はがきには、短い文章も書き添えてあったが、このときはまだ誰からかわかっていなかった。「ご無沙汰しております。お元気で

          感 覚

          「だれにでも、いい面も悪い面もあるんだよ。」ネットでよくみる。そのいい面、悪い面の判断基準はどこにあるのか。実は言ってる人の心理にある。性格にあるだろう。つまり、自分のものさしが基準にある。あの人はわがままだ、独りよがりだとかいうような揶揄も、その人のいわゆるものさしで好き勝手言ってるだけで、その見解にすぎない。つまり、一個人の感想なのである。 自分のものさし。誰が言い出した言葉なのかしらないが、散見される言葉である。ではそのものさし、一体どんなものさしなのか。どんな色の、

          感 覚

          酔 芙 蓉

          白い花だった きみは僕に嘘をついた 赤く咲くのなら 教えてほしかった 細胞の熱が葉脈を辿り 花びらがほてる 一夜かぎりと罪が色づく 夕刻の頃

          酔 芙 蓉

          君のとなりで

          今は、僕のなかにある、いままで言わずにいた思いや、ぼんやりと考えてること等を全部吐き出そうとしている。いままで誰かに気を使っていたわけではないが、発信せずにいることで平和が保てると判断してからは、多くは語らず、言葉にしてこなかった。しかし今頃になって、思っていたことや心の奥に寝かせていた思いが沸々と沸いてくるので、書くことにした。いまの僕は本音で書くことを優先している。言葉がストレートすぎて、なかには辛辣な思いをしながら読んでるひともいるかもしれない。そんなときは遠慮なく、飛

          君のとなりで

          色 彩

          切り替えが効く方が今の時代、生きやすい。早い人はバンバン切り替える。ゲームをやらない人間がいうのもなんだが、その傾向と背景にゲームの存在があると思う。日本は世界に通用するキャラクターを生み出し、その界隈では市場も華やかである。しかしその世界が少しづつ質の違う影響を及ぼし始めているのではないか。ゲームの良さはどこにあるのか。 色々なゲームがあるだろう。しかし、その多くは敵対、敵味方、死闘、勝敗といったようなワードが、多く蔓延ってはないか。キャラクターは誰を用いるか、推しが誰だ

          色 彩

          マイペースでいいんだよ。

          マイペースでいいんだよ。

          臨 時 便

          発車のベル。幸福への旅が始まった。 夏風に揺れた木漏れから、光りの粒子がキラキラと輝く。希望と期待に胸は膨らみ、まなざしは柔らかい。旧友は元気だろうか。車内のワゴンに声を掛けた。「ビールと、おつまみを」駅弁はまだ早いしな。おつまみはピーナッツにした。夏に冷えたビールは旨い。たぶん、いまが真冬でもビールにしたに違いない。 車窓から見る空の積雲が夏らしい。晴れた日によく発生する積雲は、夏雲や綿雲ともいう。形がよく変わるイメージだが、積雲には特徴があるのだ。雲の真ん中に線を引く

          臨 時 便

          タイミングよな、なんでも。流れに乗ってここに来た。ベストタイミングだったと思う。いいタイミングで抜けたと、つくづく。

          タイミングよな、なんでも。流れに乗ってここに来た。ベストタイミングだったと思う。いいタイミングで抜けたと、つくづく。