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類 / Ⅴ

どんな恋をしたかというのは大事である。初恋は未熟ながらも、その体験が後の恋愛観に連なる。切り離せないものは人生観にも連なるだろう。感動したときの魂の柔らかな響き、その優しさと静けさ。感動に溶けるような喜び。そういったものを素直に受け入れられるような状態のときに芽生える感受性や順応性はその人柄の根幹になり、人格を形成する上で骨格の頂になるとも思うのである。汎ゆる経験からそれらを体得し得ることはできるが、恋愛からくるものは琴線を弾く。一色も二色も濃く、深いのだ。


面影や追憶のなかで恋をした相手の未来がこうあってほしいという思いは、一方的に作り上げたイメージである。従ってそのイメージが相手にピタリと当てはまることは先ず無いと言っていいだろう。それが現実だと実際の顕在を突きつけられたら受け入れるしかないのである。だとすれば、書き出しがみつからず筆が止まってしまったのも、宛名を書き損じてしまったのも、色々受け入れつつも初恋のひとが結婚して子供がいるという現実が、二十歳を過ぎた頃の私には単純にショックだったのだろう。ということになる。


あれからまた、月日が経った。彼女の子供も成長しただろう。彼女と離れてから落ち込みもしたが、人並みに恋愛もした。そして今がある。その僕も結婚した。今が幸せなのも、そういった小さな思い出が重なり合ってこれまでの私を支えてくれているのだろう。初恋は、記憶に残る確率は高い。手を繋いで歩いた街並みは、あれから少しづつ変わってしまったが、二人がいたいつかの風景のなかで、どこにいても元気でいてほしいという思いは、おそらく変わることはない。

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