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恥をかいてみなきゃ、何も始まらないと気付いてしまったから

いつぶりだろうか、足が微かに震えている。

 

会社の上司に、1ヶ月休職したいことを伝えてきた。

前記事のストーリーの続きである。

 

結果は1ヶ月、お休みを頂くことができた。

休職したいことをを伝えるのって、思っているよりもすごく勇気が必要だ。

 

私が勤めている会社はどベンチャーであるから、かなり忙しい。かなり。

私が1人抜けただけでも、大きな負担が他の人たちにかかってしまう。

 

そんなことを考えてしまっていたから、私は結果的に精神を病んだ。

 

そして突然「大変申し訳ないのですが、仕事ができません・・・」と電話で伝えるという、1番迷惑の掛かる形で会社に行けなくなった。

 

友達に「真面目な人ほど、自分の限界まで追いつめて結局朝に会社に行けなくなってバックレたりするんだよ。一番良くない。」と言われて、「御もっともです・・」としか返せなかった。

 

 

上司には「なんで1人で抱え込んだんだ」と、この会社に勤めて初めて怒られた。

 

「あなたを心配して言っているのではないよ。いや、心配はしているけどね。俺はやっぱり経営者だからさ、会社を守らないといけない。みんなの給料を払っていかないといけないんだ。」と。

 

 

私は胸の痛みと共に、「会社」というものを学ばせてもらっている・・・と痛感した。

 

 

そして今日、休職させてもらいたいことを伝えた。

そしたら、また怒られた。

 

「それはあなた自身から出た言葉には思えない。他人の意見をあたかも自分の意見のように話す人は信用できない。あなたはまだ受け売りの言葉で話している。」と。

 

他者の意見を自分の意見にして話しているつもりはなかったけど、冷静になって考えてみると図星だった。

 

恥をかきたくない、良く思われたいという無意識が言葉の端々に出ていたのだろう。

 

自分自身でも気付かなかった自分の心理の裏を暴かれて、逆に恥をかいてしまった。

 

私はいつからかっこつけてしまう大人になっていたのだろう・・・

そんな自分がショックだった。

 

 

 

 

そういえば2年前にも、同じようなことで大人に怒られたことがあった。

 

 

ネットワークビジネスをしている人に「日本や海外の社会情勢が学べるセミナーがあるの。会員でなくてもお金を払えば参加できるよ。」と誘われたときに、私は参加しようとした。

”ネットワークビジネスは興味ないけど、社会のことは勉強したいから試しに行ってみようかな”と、とりあえずやってみよう精神の私がそんなことを考えた結果である。

 

そして「かくかくしかじかで、誘われたから明日行ってくる!」と何気なく大人に話したら激怒されて、私はトラウマになったという事件がある。

 

その”大人”というのは、当時の恋人であり、私の師匠のような存在の人だったからこそ私には尚更こたえた。

今でも私が悪いことをしたとまでは思っていないが、ネットワークビジネスのそんなに関係性がない人に上手いこと騙されそうになっていたのは事実である。

 

「自分の軸はないけど、何か頑張りたい。」と思っているような若者は、こういう口の上手い大人のカモになってしまうのだ。

 

 

私は24歳にもなって自分軸がないことがすごく恥ずかしかったし、情けなかった。

 

 

そんなことがあってからは何でも自分の頭で考えて、自分の意志で行動してきたつもりでいたのに、25歳の私はまた怒られてしまった。

 

 

なぜ怒られたのだろう。

 

なんとなくワカルけど、分かるようでわからない。

 

これはどういう伏線だろう。

 

 

・・・”もっと自分を生きろ”ということだろうか。

という仮説を立ててみた。

 

 

私は自分に嘘をつくのが嫌いだ。

でも大人になるにつれて頭が良くなってくると、自分自身で納得できる理由を探せてしまうようになった。

 

上司は私のその部分を、見透かしていたのかもしれない。

 

 

私はいつから恥をかかなくなっていたんだろう。

 

 

大学生くらいのときは「残念な女」キャラだったから、恥をかくことも比較的容易であった。

  

 

でも海外へ行って、文章を書き始めてから「文章を読んで勇気が出た」「励まされた」「かっこいい」と言ってくれる人が増えた。

すごく嬉しかったのだけど、今までバカにされていじられるのが当たり前だったから、なんか逆に恥ずかしかった。

 

 

「私は敢えて恥ずかしくて痛いことを叫んでいますよ!うへへ!」というスタンスでロマンチックを吐いていたので、それをそのまま肯定されてしまったものだから困惑したのだ。

 

 

でもそのうち肯定されるのにも慣れてきて、素直にありがとうと言えるようになった。

 

それは良いことなのだけど、いつしか”恥をかく”という大事なイベントを企画するのを忘れていた。

 

 

恥をかくということは、「個」の自分を表現するということだと私は思う。

 

自分以外の他者だったり、”普通”からズレているときに恥をかく。

逆に言えば、自分の個性を他者に向かって表現することだと考えてもいいのではないか。

 

 

だから私は、ロマンチッククリエイターとして考えてみた。

 

「どうやったら恥をかけるだろう。」

 

考える方向性が誤っているかもしれないが、恥をかいたら強制的に自分自身の「個」を自分に見せつけることができるのではないかと思うのだ。

 

それで自分軸がつくられないかもしれないけど、どうにかこうにかつくられていくかもしれない。

 

どうやったら自分軸で生きれるのかなんてわからないけど、とりあえず私は考えるより先に行動して、失敗しながら学んでいくやり方が合っている。

 

だからこれでいいのだ。

 

 

恥をかく方法はすぐに浮かんだ。

 

 

「YouTube」だ。

 

 

YouTubeはずっと避けていたものだ。

 

コミュ力はある方だけど、話すのは苦手。

説明するのが苦手だし、1人で話すのも苦手。

動画に自分だけ映っているのも嫌。笑

 

 

でも恥をかきたいと思ったらすぐに浮かんできちゃったからやってみようと思う。

このADHD気質が騒いでいる間に。

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