記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

川島雄三「洲崎パラダイス 赤信号」

2022年4月シネマブルースタジオで、川島雄三「洲崎パラダイス 赤信号」 原作は芝木好子。 脚本は井手俊郎と寺田信義の共同。

親に結婚を反対され駆け落ちして上京した色気で勝負する勝気な女(新珠三千代)とフラフラダメ男(三橋達也)二人は赤線地帯の入り口の目の前。ここから二人は飲み屋の女中、そば屋の出前持ちになり、擦れ違いと誤解が重なり別れが迫るが、結局は振出しに戻って二人は赤線地帯の目の前。男女関係の機微を描いた不朽の傑作。

この作品の不可思議な魅力は、三千代が鼻につくような「ねえーん♡」声で首尾よく神田のラジオ屋経営者をオトして愛人になっても、三橋がそば屋の出前になっても三千代が忘れられず店の金を無心したりサイコパス凶行に及んでも、結局は振り出しに戻る無常観にある。

昭和31年、赤線防止法直前の洲崎遊郭。入り口に商店街のアーケードのように「洲崎パラダイス」と書かれた大門。手前に橋があり、此方と彼方を隔てる。映画の中に描かれる赤線の情景はロケセットによるものが多い中、昭和の風俗資料としてこの映像は非常に貴重だ。

ロケハンとして、洲崎の飲み屋から市電が走る街中と、洲崎パラダイスと呼ばれる赤線のアーケードとの対比が絶妙。中間にある三千代が女中として働く飲み屋は、正業を得るため昼の街と、一歩入ったら容易に抜けられなくなりそうな赤線地帯との境界線にある場所なのだ。

突然で恐縮だが、私が生涯で一番面白いと思った、そしてこれからも変わらないであろう映画は川島監督の「幕末太陽傳」である。川島監督には熱狂的なファンが多く、何を今更とお思いでしょうが、ホントに面白いんです。私が日活派を自称するのは川島監督あってこそです。

当然、日活の監督にも様々な個性を持つ人たちが居並ぶが、私は川島雄三、今村昌平、中平康、そして若い頃の西村昭五郎が好き。劇場で座席に腰かけ場内が暗くなり映画が始まってから一度も退屈する間のような場面がなく、一気呵成に駆け抜けるような作品が大好きだ。

本作は助監督に今村昌平が付いており、両監督には多くの共通点を感じる。展開が私の体感速度にちょうどいい。快適で全く間延びのようなものがなく、振り返ればムダなカットも一切ない。尺の長さに応じるのでなく、体感速度に合わせた結果の尺の長さになっている。

助演と言うには余りにキーマン過ぎるのが轟夕起子と芦川よしみ。二人とも赤線洲崎パラダイスの傍で働いてるが夕起子は飲み屋の女将で貧乏暮らし、パンパンと駆け落ちしたヤクザ者の夫を待つ。そば屋店員のよしみは天使のような笑顔でダメ男達也の世話を焼く。

そば屋の店員は芦川いづみもヒロインのはずの新珠三千代を完全に喰っちゃってるような可愛らしさだが、鼻歌交じりでサーカス出前する若者・小沢昭一が比較的シリアスな流れの中で浮き過ぎ(笑)というか、こういう異分子の存在が落語オチ的川島映画の魅力だと思う。

三橋達也の演じるダメ男はある種、男の憧れと言うかダメでダメ過ぎて女たちが放っておかない。単なるキモメンなら三千代もスパッと忘れられるだろうし、いづみもあれこれ世話焼かないんだろうけど、無言でボーと立ってるだけで何でこんなにモテるんだよ!羨ましいw

この作品には色々とスゲエ!と思わせる描写が詰まっているんだけど、男女関係の機微を湿っぽくなく淡々と繊細に描いている。軸となるのは当然、客扱いが上手く「お前、パンパンだったんじゃ?」疑惑の三千代と、ヒモにしか見えない三橋だけど、それだけじゃない。

天使のように可愛いアイドル芦川いづみと、好色なラジオ屋経営者はまあ、最初から最後まで何も変わっちゃいないと言えばいないんですが、そんな彼らとのかかわりを経て、三千代と三橋の関係がどう変わったか、失踪した旦那が戻って来た夕起子含め、この三人の物語。

明らかに影の主役は洲崎パラダイスという赤線地帯の入り口の橋のたもとで飲み屋を経営する轟夕起子である。パンパンと逃げた亭主がやっと戻って来たら別れたパンパンに刺殺されてジエンド。元の生活にぐるりと戻ってしまったという意味で彼女は三千代や三橋と一緒。

夕起子がパンパンと駆け落ちした夫を待ちながら幼子二人を育てながら切り盛りする昼は中華で夜は飲み屋の「千草」店の裏には洲崎川に船を出す副業までしており、この店のカウンターと奥の間で遊ぶ子供、船着き場に下る階段までの奥行きのある立体描写が素晴らしい!

夕起子が影の主役というより、ひょっとしたら真の主役かと思えるのは、彼女が生活に疲れた顔で、飲み屋のカウンターに座る、もう10年も夫は出て行ったきりで生活は苦しいし子供が不憫、赤線が目の前でいつ彼女だってパンパンになってもおかしくないギリギリなのだ。

勝ち気で要領の良い三千代は飲み屋の常連客、というより洲崎パラダイスの常連客で羽振りのいいラジオ屋のオヤジと懇ろになり、愛人部屋と高価な着物をプレゼントしてもらう。そのおこぼれで夕起子もいかした洋装を貰い、それが束の間、彼女を夢の世界に連れて行く。

ラジオ屋の愛人になり派手な生活する三千代を、ウソみたいな名前のそば屋「だまされ屋」出前も手に付かないほど気もそぞろに追いかけ回す三橋「若いっていいわよね」「三橋、キモイ」ないまぜの感情を持ちながら私にはこんな色恋沙汰、もう関係無いわよ、と思っていた四十路の夕起子に降って湧いた事件!

もう二度と戻らないだろうと思っていた夫が帰って来た!パンパンと別れてやり直す、堅気に戻ると宣言した夫に改めて女に戻った夕起子が三千代に貰ったいかした洋装で目一杯おめかしして成長した二人の子供を連れて家族4人、お出かけするシーンが胸アツの名場面!

夕起子の夫はずっと失踪していたから子供はまだなつかない。買ってもらった木刀でチャンバラする兄弟。幸せそうな夕起子の表情を見て、入れ違いで会えていない三千代も三橋も「ああ、女将さん良かったね」心底、羨ましく、神様っているのね、と安心したに違いない。

でも、家族4人の幸せな時間はほんのわずかしか続かない。夕起子の夫は追いかけて来たパンパンに殺されてしまったのだ。呆然とする夕起子を心配して駆け付けた三千代と三橋は初めて、自分たちの幸せとは何か?冷静に考えた。カウンターの夕起子は少し綺麗になった。

三千代と三橋が擦れ違いや仲違いを始めたのは、三千代が派手好きな水商売気質だからでも三橋が生活能力の無い典型的なダメ男だったからでもない。そんなこと駆け落ちした段階で分かってた。彼らは夕起子の夫とパンパンの関係が、自分たちのことに思えてハッとした。

三千代が調子よくラジオ屋の経営者に取り入って愛人になった後、三橋はジェラシーを感じて三千代を探し歩く様はサイコパスで、夕起子はビビッてしまう(笑)同時に、そんな三橋のことを心配したいづみが世話を焼き、三千代は初めてジェラシーという感情が沸き立つ。

三千代にとって、いつでもスパッと切れるはずだった三橋という情夫の存在がかけがえのないものに思え、それを夕起子に告白し、共有する。でも、夕起子は情夫を取り戻せなかった。三千代は三橋を決して喪ってはいけない、私を本気で愛してくれる存在と再認識した。

洲崎パラダイスのゲートを危うくくぐりそうになりながら踏み留まり職探しした二人、飲み屋とそば屋で色々あって、すごろくの振り出しのようにゲート前に戻ってしまった。で、ここからどうするの?以前は三千代がまず女中にあって、三橋の仕事を斡旋して貰ったけど。

ラストに恐らく日本映画史上でも有数の素晴らしいカットが出現します。三千代と三橋の足元だけ映す。勝気な三千代が三橋を引っ張り続けてきたけど、三千代は「あなたが行先を決めて」三橋の踏み出した足先の方向へ歩いていく三千代。この最後のカットに痺れました!

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?