見出し画像

なぜスポーツで人は感動するのか?〜スポーツ美学を用いて〜

「スポーツはいつも明るいニュースをもたらす」

 小さい頃にテレビでニュースを見ていて、キャスターがこう言っていたのが今でも忘れられません。最近は特に政治や経済はじめ世の中は暗いニュースが多い印象ですが、それでもスポーツは嬉しいニュースをもたらして世を元気にしていると思うのは今でも変わらないと思います。世界レベルの大会での日本人選手の活躍や、洗練されたスポーツ選手の身のこなし(凄技)などがそうだと思います。

  私は「感動」という部分がスポーツの一番の魅力だと思っています。しかし、スポーツ以外でも、例えば美術館でも絵画を目の前にして感動することだってできるし、テレビで見るドキュメンタリーやドラマでも感動することができます。一口に「感動」といってもその中身は様々あることが分かります。

 では、スポーツで味わえる「感動」とはどのようなものなのでしょう?今回はこれを「スポーツ美学」の視点から紐解いていきましょう。

 ちなみにスポーツ美学とは、スポーツにおける美的な現象を理論的に研究する分野で、ここでは主に樋口聡『スポーツ美学』(1987・不昧堂出版)を参考にしています。私にとっては難解な本だったので解釈が間違っていないか心配ですが、美に関する要素をここでは「感動に値する要素」として、その一部を紹介しつつ考えていけたらいいなと思っています。

世界陸上から見る人間としてのポテンシャル−生命力−

 去年、ドーハで行われていた世界陸上をテレビで見ていました。世界陸上は奇数年に開催されています。私は大阪の長居スタジアムで開催された世界陸上をきっかけにその大会の存在を知ったのですが、陸上の色んな種目の世界レベルの選手が一つのスタジアムの中で(飛び出すこともありますが)所狭しと競技を行なっているのを見て圧倒された記憶があります。世界中から集められたものすごい人たちが、しかも走る人もいれば投げる人も跳ぶ人もいて、更にどっちもする人もいるし…あの大きな長居スタジアムが小さく思えるほどでした。テレビは一度にどこか一つしか写せないので、カメラワークがあっちゃこっちゃ行くのについて行くのに必死でしたが、私は陸上を見て、「人間の生命力」を強く感じます。

 私と同じ人間が、これまでも速く走れる、これまでも高く跳べる…陸上にはたくさん種目があるのでここでは全て書ききれませんが、陸上から「人間の身体の可能性」とか「力強い生の力」というのを感じることができます。スポーツ美学においては、スポーツが美的である要素の一つとして「生命力の表出」が挙げられます。この「生命力の表出」は、私のように運動現象に対する美的感情だけでなく、人格性から感じられる場合もあります。圧倒されるまでに人間の可能性、「ここまでできるのか!」という姿を、私と同じ人間が見せているという部分に、一つ「感動」を覚えることができるのではないでしょうか。

ラグビーW杯での熱狂−ドラマ性−

  昨年2019年の話題として最も大きいのは、ラグビーW杯ではないでしょうか。私は元々ラグビーに興味があったわけではなかったのですが、(きっとそのような人多かったと思います)日本代表が勝ち進んでいくのに伴って、さほど興味のなかった私までもがその熱狂の渦にまきこまれ気持ちが高ぶる経験をしました。決勝進出という素晴らしい成績だけでなく、「ONE TEAM」という名言も残し、ラグビー界にとっては大きな躍進の年だったではないでしょうか。

 ラグビーがここまで人気になった一つの要因として、「ドラマ性」が一つ挙げられると考えられます。ラグビーはこれまでにも、五郎丸選手をはじめとして注目される場面は多々ありましたが、「もう少し」な印象がありました。(上からですみません…)このウズウズした「もうちょっと!」というところから、2019W杯での格上チームとの対戦の勝利、そして決勝が見えて来て…という、起伏のある一連の流れが、我々をよりラグビーの渦に飲み込んだのではないでしょうか。

 スポーツ美学では、これを「劇的特質」と呼び、スポーツの観戦から得られる美的体験の一つの要素としています。試合のワンシーンだけ見ても感動は生まれますが、そのチームや選手がこれまでどんな試合をしてきたのか、前半はこうでここで点が取られて…という“流れ”の中で、心的緊張の蓄積・解放を繰り返します。この緊張の繰り返しがあるからこそ、人はより熱狂し、より感動することができるのです。

羽生結弦選手が大好きなのですが−人間性への共感−

 私は羽生選手の一ファンです。新体操とフィギュアスケート、同じ芸術スポーツであり近いものを感じるからフィギュアスケートが好き、という部分もあるのですが、その中でも特に羽生選手が好きです。(笑)羽生選手のどこが好きかというと、たくさんあるんですが強いて一つ、「自分にストイックなところ」なんですが、この好きな気持ち皆さんに伝わりますかね…。

 という私の話は置いておいて、時にスポーツ選手に対して“競技の内容”とは少し離れた、“人間性”に惹かれて応援するということがあります。スポーツ美学ではこのようなことを「人格性の発露」とし、陸上での「生命力の表出」と並んで「美的共感」としています。競技外でのインタビューで感じたその選手の人格が競技でも滲み出ている。そしてその人格に自分も共感し感動する、ということです。この「人格性の発露」と「生命力の表出」は互いに関わりあうと考えられています。

フェアリージャパンは新体操選手の夢−憧れの体現者−

 新体操界の自慢をさせてください。新体操はここ数年、類に見ない躍進を遂げています。2019年の世界選手権では、団体総合銀メダル(44年ぶり)、団体種目別ボールでは史上初の金メダルを獲得しました。新体操は「女王ロシア」の壁が厚く、団体でも個人でも世界がロシアに勝てないという状況が多い中、その壁を見事打ち破ったというニュースを見て非常にテンションが上がったのですが、新体操選手として世界と戦い勝つということは、現役新体操選手はもちろん、新体操を離れた私にとっても“夢”であり“憧れ”であります。私は世界で戦うなんて到底無理な選手でしたが、そんな私の“夢”を勝手にフェアリージャパンに託している、ということです。

 これは、自分の理想としていたもの、さらにその理想を超えたものを目のあたりにした感動です。スポーツ美学では、自分の経験をもとに作り上げられた理想像の具現やそれを超えたものを観察で見出すことが、美的なスポーツの見方に必要だとされています。私の例は試合結果でしたが、自分の専門の競技にある“技”の、「これが完成形だ!!」というものを見た時に「おお…!」となったことはありませんか?これも理想の具現の一つの例ですね。(なんか抽象的でごめんなさいです…。)

やっぱりスポーツで感動できるということが好き

 ここまで、スポーツでの感動にはどのようなものがあるのかについて、スポーツ美学の観点から見てきました。

選手の生命力に/試合のドラマ性に/選手の人間性に/自分の憧れと重ねて「感動する」

 ということがスポーツ美学の観点をお借りして見出すことができました。もちろん、スポーツを実践する人に生まれる「感動」もあります。これはまた追って考えていけたらいいなと思います。

 スポーツには世の中を明るくする力があります。それは今に始まったことではありません。今、世界は大変な状況で、ついにオリンピックやインターハイまでもが中止という未曾有の事態ですが、それでも前向きな発信をしてくださっているスポーツ関係者の皆様に感謝を申し上げたいです。いつか暗闇が明けた時、スポーツができる・見られる喜びを噛みしめられたらいいなと思っています。そして選手の皆さんには、思いっきりスポーツをしてほしいなと思います。

 浅いですがそんな思いを込めて、私が好きな「感動」というテーマで考えてみました。皆さんも、スポーツで感動した経験を思い出してみてはいかがでしょう?

最後に−浅田真央のソチ五輪−

 私がスポーツを見て、最も感動した場面です。

 浅田真央選手は誰もが認めるトップアスリートで、幼い頃から日本のフィギュアスケート界を牽引してきました。日本代表として挑んだソチ五輪、ショートプログラムでまさかの転倒が続き優勝どころか入賞すらも怪しい状況に。オリンピックという大舞台と、世界トップスケーターというプレッシャーの中、翌日でのフリー「ピアノ協奏曲第二番」では完璧な演技を披露。リンク上で多くの拍手を浴びる中涙を流す姿に、私も涙が止まりませんでした。

 小さい頃から活躍する浅田真央選手のこれまでの軌跡と、苦しい時も涙を見せながらフィギュアスケートに向かう人間性、そしてあのプレッシャーの中やりきるという生命力に、私が理想としていた「選手像」「演技像」を更に超えたものを見た瞬間でした。今でも忘れられない感動体験です。


参考文献:

1987 樋口聡『スポーツの美学』不昧堂出版

最後まで読んでいただきありがとうございました。 

Twitterやっています!

@rolling0_0panna

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?