【キッカケになってくれた方に会いに行く】Meet the Artist: 森村泰昌—私説「レンブラントはどんな画家?」& 虹をかける:原美術館/原六郎コレクション
美術家・森村泰昌さんの講演会に応募したら当たった!
というわけで群馬県伊香保へ。
冬に奈良美智さんのトークショーがあり、それも応募したがこちらは落選。
今回は2度目の正直ということで楽しみで仕方なかった。
高崎駅周辺の観光をして伊香保方面へ移動。
日曜日は原美術館直通バスが高崎駅前バスロータリーから1日3本、運賃1000円で運行している。
14時のバスに乗って一眠りして15時着。
まずはコレクション展を鑑賞。
印象深かった作品。
佐藤時啓
今はなき、品川の原美術館を写した写真。
品川時代最後の展示で制作された写真作品だそうだ。
館内の写真を長時間露光での中、移ろいゆく光を撮っていく作品だ。
これが非常に画面が大きく、見ごたえがあった。
と、同時になくなった建物に対しての鎮魂という気持ちになる。
諸行無常。
残せるものもあれば残せないものもある。
建築の保存は難しい。
それを作品という形で残していく。残っていく。
建築の遺影のような、そんな写真達。
かつてあったものに思いを馳せることができるのも写真の役割の一つなのかもしれない。なんともいえないノスタルジーを呼び起こす。
講演会「Meet the Artist: 森村泰昌—私説「レンブラントはどんな画家?」」
16時過ぎに美術館敷地内のカフェ・ダールにて開催。高崎駅前は晴れていたが少し標高の高い伊香保は急な雨。気温は25度で最高に快適だが、落雷の心配もあるので庭園中央のオラファー・エリアソン作品は接近禁止になっていた。怖いなー。小走りで中庭を抜け、カフェ・ダールへ。
品川時代から原美術館と森村さんと非常に縁深い。
その関係から今回のトークショーが企画されたそうだ。
森村さんは割とメディアにも出ているし、ご自身の映像作品で話している姿も見ている。
さて、そのイメージはそのままにご登壇。
原美術館のほがらかな館長さんからのご挨拶のあと、ご自身のレンブラント作品とレンブラントという画家について考察語ってくれた。
最近では映像作品も作っている。
映像作品を作るにあたり、出てくる言葉、セリフも考える。その言葉がどこから浮かび上がった言葉なのか。
そんな思いも森村さんなりの歴史考証を交えながらお話してくれて大変引き込まれた。
関西なまりのあるやわらかな語り口調、内容の面白さ、言葉のわかりやすさに大変感激した。やはり文章を残している方は人前でのお話も上手だなぁ、と。
そして大変お優しいお人柄だった。
館長さんのはからいで聴講者の質問を受け付けてくれたが、どの質問にも大変丁寧に答えてくださっていた。残念だがこういう場って、どうしても、なぜか、「本人へ聞きたいことを本気で質問する」より「あなたを昔から知ってます&トークと関係ない自論展開アピール勢」で質問そっちのけで話しだす人が時々現れる。そんな輩にも和やかに上手く対応していて、もうなんか、お優しい方なのだなぁ…と。
このnoteのきっかけ
98年の東京都現代美術館の個展で初めて出会い、2000年〜頃、原美術館でのフリーダ・カーロの作品発表などなど、振り返れば森村さんの作品と出会って長く経った。
その間の1番の思い出は、2020年緊急事態宣言により美術館が一斉休館という生まれて初めての自体に遭遇した時のことだ。
その後再開館の日程がアナウンスがされ、その記念すべき再開初日の訪問先が原美術館の森村さんの展覧会だった。
門が再び開けられる瞬間を何気なく写真に収めていてたが、今見るとぐっと来る。この門も、この建物も今はもうないのだ。
上記の記事↑にも書いたが森村さんからの「なぜ表現しないのか」という問いから美術鑑賞の記録をnoteで表現してみようと思った。
この年の最後の鑑賞記録にも書いてある↓
そこから貪るように展覧会の訪問を再開しているわけだが(自分は東京都現代美術館がよくジブリの展示をしていた期間と乳幼児を2名抱えていた頃とに美術鑑賞のブランクがある)
「見ること」から、「見て私の視点、視座で思ったことを書き残すこと」このnoteの役割がきまってここ数年書き連ねている。
そんなキッカケになってくれた方、森村泰昌さんに実際にお目にかかれ、お話を聞くことができて胸がいっぱいになった。
私設美術館は運営をつづけられるか
さて、DIC川村記念美術館の休館が発表された。
日本国内でレンブラントの自画像油彩画(ほぼ真筆)を常設で展示していた唯一の美術館なんじゃないか。
森村泰昌さんのレンブラント論も聞いたばかりなので愕然とした。(MOA美術館は常設ではなく、ハウステンボスも国立西洋も版画カテゴリだ)
私設の美術館の運命というか、30年近く運営していたがこれが限界なのか。
この原美術館もなぜ品川の館を失ったのか考えると…
まぁ土地の値段とその後建ったマンションをみれば明らかだろう。大義名分として出したプレスリリースの内容とずれるかもしれないがそこは聞いたら野暮なんだろう。
なにかを運営していくにはお金がいる。
そのお金を入場料以外のところではどう捻出するのか。
マネタイズを考えたとき、どの資産を稼働させてどこを残していくのか。
本当に諸行無常を感じる。
今に始まったことではないが。
バブル崩壊後、90年代後半のからずっとこんなんだ。これは嘆く事ではなくある意味「新陳代謝」なのか?と思ってくる。
※8/30追記
公式SNSの発表には存続を望むコメントが沢山届いていた。もちろん運営を続けられることが一番だし、美術が好きな私もできれば存続して欲しい。
今回難しいなと思う部分は母体の会社の経営難ということだ。美術館の運営だけの問題でないところ、コレクション品が会社の「資産」とみなされているところだと思う。要は、私物を好意と社会貢献活動の一環で市民に開示してくれていたわけだから、その資産をどう扱うのかは本来ならDICの自由なのだな…
美学校が出している資料にもこんなのがあった。10年ほど前の資料だが。
https://bigakko.jp/wp_test_universe/wp-content/uploads/0d7fb2c2506f256e6db69af4d3074cf1.pdf
この資料にDIC川村記念美術館も入ってしまうのか。
この流れにどうしたら抗えるのか。
そんなことが1素人が思いつくならとっくに金策はあったはずで。
難しい。本当に難しい。
専門機関が出したコラムを読んだとて考えることは続けるけれど解決には繋がらない。
作られた美術館が閉館なら、そもそも作られなかった美術館もあるという。
奈良県の学芸員さんが2021年に書いたコラムが衝撃&興味深かった。
ギリ南海ホークスがわかる世代としてはプロ野球の話も美術の話も根っこの問題は似ているな、と感じる。
今、自分にできることで一つわかっていること、少しでも貢献できることは現地に足を運ぶことだ。
続けられる限り、続けたい。
それが未来に向けできる事の一つだ。
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