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【Hungry?】アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治 ミュージアム コレクションⅠ 世田谷美術館

世田谷美術館の所蔵品数は約18000点。
これは東京都現代美術館の所蔵点数5800点のおよそ3倍の数でもある。
実は都内の公立美術館ではかなりの所蔵品を所持している方なのだ。

各公式webに載っている所蔵点数情報(薪調べ)




世田谷美術館所蔵品約18000点の中には資料や写真、工芸品、文書なども含まれていて多彩なコレクションを展開している。

今回はその中から大貫卓也氏の広告資料、という珍しいカテゴリのコレクション展示だ。
存命作家の資料的作品の収蔵経緯にはいろいろ裏話がある様子でそれも面白い。というか、世田谷在住なのか大貫さん。

花森安治氏の資料に関しては最初は世田谷文学館側からの話だったらしい。
この辺のカテゴリの線引は美術館、文学館で働く方も難しいだろう。

今回は大貫さんについて、主に思ったことを記載。撮影出来なかったので、写真はなし。
トップ画は図書館前の等身大「通称・ルソーのおじさん」

概要


本展では、近年収蔵した大貫卓也(1958-)と花森安治(1911-1978)が手掛けたポスターやグラフィック関連資料を中心にご紹介します。
大貫卓也は、広告業界のトップランナーとして活躍する世田谷在住のアートディレクター。広告の常識をくつがえす「としまえん」の仕事で若くして注目され、その後の広告のあり方を変えました。
花森安治は、これまでにも雑誌『暮しの手帖』の表紙画やカット画をテーマに紹介してきましたが、同誌の交通広告や新聞広告などについては今回が初めてとなります。
一見異なるようで共通するふたりのコミュニケーションの考え方、広告表現からその魅力を探ります。

世田谷美術館公式WEBサイトより

この大きさで改めて見ること

大貫さんは多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業後に博報堂に入社する。
資生堂などの「かっこいい広告」に憧れたものの担当は当時ディズニーランドのオープンでじんわり人が離れていた「としまえん」。
しかしそれが功を奏してか、自由に様々な表現を続けていく。

広告批評やアイデア、宣伝会議という雑誌が元気だった頃。
広告批評だけが休刊してしまったけど。
そんな広告批評で何度か特集が組まれていた記憶のある大貫卓也氏の仕事が美術館に収蔵、である。

時代の流れを感じる。

展示品の中には実際に張り出されたサイズより大きく出力したポスターもあるという。
これは当時予算の関係でB1orB2サイズになってしまったことに対する氏のリベンジらしい。本当はB0で出力したかった!と。それを想定してデザインしたものもある!と。

一連の広告をこのサイズで見れる機会もなかなかないので美術館で見る価値がある。

しかしここに飾られるということは、当たり前のことだが本来の広告の役割を終えたものなのだ。それがほんの少しの寂しさを誘う。

今はもうない遊園地の広告。
ファッションビルの過去のバーゲン広告。

でも見ていて楽しいし、この企画をクライアントに通す話術はすごかったんだろうな、というのも伝わる。

さて、現在、周囲を見渡し、例えば交通広告にしても街頭広告でも30年後に美術館に収蔵されるようなクオリティの広告はあるだろうか。
「砧イン◯ラントの広告」もいつか美術館入りする日はくるのか。
…あれは広告デザインの文脈より社会学や考現学的に観察してたら面白いかもしれないが。研究している人はいるのかな、ローカル看板広告。
アレのせいで、違う地域へ出かけても「院長写真×デッカい医院名」の広告を多数みかける。727看板が現代美術家に扱われた様に、いつかチン○ム辺りが作品にしそうだな。そうしたら美術館でも収蔵されるかも。

首都高高井戸インター辺りから練馬区辺りまでにあるアノ看板数は13(息子調べ)
なお正確さは不明。


さて、大貫氏のポスターは世田谷美術館に収蔵されたが出身大学の多摩美術大学にも収蔵は?
同大学には確かポスターのコレクションがあったはずだ。

これこれ。


↑このコレクションは数年前に東京都庭園美術館で展示があった。


https://aac.tamabi.ac.jp/archive/archives/dnp.html

DNPの寄付もあるのか。

多摩美術大学美術館は2023年をもって一旦休館中とのこと。
また活動が活発になったらいずれこちらにも、ということになるのだろうか。ポスターは複数枚刷れるしデータは持っているのかな。

デザインにおけるアート◯◯という謎

ビジュアル、コピーライティング、デザイン。
それぞれ分業ではあるが「アートディレクター」という名のもとに大貫さんがまとめていた広告。

これ不思議だな、と思うのだがデザインディレクターとはいわない。
アートディレクター。
デザインの世界でわからないのは時々アートという言葉が顔を出すところだ。アートワークとか。
この場合、視覚的表現手段をまとめてアートと指していて、アート=美術、ファインアートとはちょっと違う。

多摩美術大学グラフィックデザイン学科とは

先にも記述したが大貫卓也氏といえば多摩グラ出身(多摩美術大学グラフィック)。
90年〜2000年代初頭、アートディレクターとして活躍していた人の多くに「多摩美術大学グラフィックデザイン学科」出身者が多くいた。
もちろん今も脈々と続く。
佐藤可士和、佐野研二郎、などなど。

90年代に中高生だった今の40代前半〜40代中盤世代に大貫卓也さんがやっていた博報堂の広告や多田琢、佐藤卓、佐藤雅彦が担当の電通の広告などははかなり影響があり、この世代にグラフィック・デザイナーという言葉に憧れて目指していた人は多いと思う。(この世代が最後尾、と言う意味で。求人広告の増減年表でもみれば需要と供給が逆転したのがわかるだろう)

自分が通っていた美術予備校にも多摩美グラフィック学科を目指した子は多かった。
お世話になった講師も多摩美グラフィックの学生アルバイト先生だった。

平面構成と手のデッサンに発狂ギリギリなところで踏ん張っている人が多かった。漫画・ブルーピリオドは芸大油絵科を目指す話だが、デザイン学科を目指す予備校生もあんな感じだったと思う。

しかし素直な憧れを持てた世代が就職する頃には氷河期を迎え、さらに数年するとグラフィックという領域の仕事量もCM企画という概念も怪しくなってくる。
見ていた広告媒体がTVや新聞が主力だった学生時代の影響は根強い。
グラフィックの衰退なんて考えないだろう。
そもそもWEB広告なんて概念がなかった頃。

(といってもそんなに昔でもないのか。web広告の出稿数が他の媒体を抜きトップになったのは2022年頃だ。Googleが日本に進出してまだ30年も経ってない。)

2000年代初頭にジャンルの行末の不穏な匂いを嗅ぎ取ってグラフィックデザインからWEBデザインへ移行した人もいただろうし、そのままグラフィックにこだわった人もいるだろう。

グラフィックデザインをやったからこそわかるデザインの「基礎」があって他の領域にも応用を利かすことができることだってある。
webもグラフィックデザインもOK、というハイブリット人材として活躍している人もいる。(今、同じチームの方がこの手のタイプでwebのクオリティはもちろんグラフィック関連仕事の細かいこと、色校、印刷の知識も豊富なおかげでアナログな業界へデジタルの話を持って行く時にものすごく助かっている。RGBとCMYKを行ったり来たりできる人。)

そしてwebにしろグラフィックにしろ人の心を惹きつけれるか、の広告の本質は変わらないと思う。

皆、どんな仕事を続けているだろうか。

でも仕事なんて「憧れてたけどやってみたらやっぱりなんか違う」もあるし、「これをやったから次にこんな仕事してみたい」と人間の興味は移ろうほうが人生暇しない。
嗜好が変化していくことは、変わりゆく時代によっては身を助けることもある。もちろん初志貫徹も素晴らしいと思うし、それはそれで幸せなことだ。

どうせ社会にでたら出身大学のラベルを目に見えるところ貼り付けて生きるわけじゃない。
囚われすぎずに生きていけば良いではないか。
逆に矜持にして誇り高く生きていくのもきっと悪くない。

グラフィックという言葉と美大はどこへ行く


さて多摩美や東京造形大学は「グラフィック」デザイン学科という冠を被せこのまま突き進むのだろうか。
武蔵野美術大学は2023年に造形学部油絵学科版画専攻をグラフィックアーツ専攻と改称した。グラフィックという言葉をファインアートの方へ持っていった。
女子美はヴィジュアルデザインと言う言葉にまとめ、グラフィックの冠の学科はない。
芸大は…デザイン科!のみ。
とりあえず関東5美大の今後のグラフィック・デザイン領域などどうなっていくのか、またどんな人材が出てくるのかが見どころだろう。

世間的に知られた広告デザイナーやデザイン雑誌に取り上げられるなんてほんの一握り。
しかし普段、私が目にしているものの裏側にはそれをデザインした人が必ずいる。

届いている。

そんなことを考えさせる展覧会だった。
広告やデザイン、コピーライティングが好きな方はもちろん、そういうのに興味がない方にも面白いと思える展覧会なのではないか。

世田谷美術館は駅から遠いけれど、ぜひ足を運んでほしい。

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