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【明るい街】なつやすみの美術館14 河野愛「こともの、と」 和歌山県立近代美術館

1963年に和歌山県立美術館として和歌山城址近くにオープンし、1970年、和歌山県立近代美術館となり、さらに現在地には94年に新築移転。移転して30年。
和歌山市駅から和歌山城の先にある。お城を超えた先に建物が見えた。

デカくないか?この日も暑くてですね、階段登るの無理すぎてすぐ脇のエレベーターを利用。無駄に起伏ある和歌山城址を歩いてしまったので到着した時にヘロヘロだった。でもすごーい!広い!
中は快適。自然光が素晴らしい。
エレベーターもあるけど、この階段なんか素敵で登りたくなった。
右側に見えるのはブックカフェ。とてもおしゃれな雰囲気。


え、建物すげ〜!と思ったら黒川紀章作。
この人は広島市現代美術館の建築もそうだったがスコンと抜ける部分があって、まぁ、吹き抜けというのですけどもすごく気持ち良い。
この辺は最後の建築となる、国立新美術館の建物にも生きている。

このマス目のどこかが扉になっていて、開く。
開けた先はピロティというか中庭というかバルコニー。
そこから見える和歌山城。天守の屋根がちゃんと見える様になのか庇が三角△になっていた。



さて、企画展&常設展を見てきた。
こちらはほぼ全て撮影OK。さすが吉宗。(徳川八代将軍吉宗は紀州藩出身)


企画展

なつやすみの美術館14 河野愛「こともの、と」

あの黄色い光は


和歌山近代の独自企画、なつやすみの美術館。ことしは14回目の開催だそうだ。こういうならでは企画をしているのは素敵。わざわざ訪れたくなる。
常設展もしっかりテーマを定めた展示で見応えがあった。

概要


「こともの」——この不思議な響きのことばは、「コト」と「モノ」でしょうか。それとも「こども」に関する何かでしょうか。美術作家の河野愛(かわの あい/1980– )は近年、「こともの」と題したシリーズの作品に取り組んでいます。河野自身は「異物/異者」と表記される古語として、このことばを選んでいます。
〜中略〜
河野が「こともの」を制作のテーマとしたのは、2019年末、コロナ禍に見舞われる直前に出産し、子育てが始まったことがきっかけでした。見えないウイルスという異物が世界を脅かし、外出が極度に制限されるなか、河野は生まれたばかりの乳児と向き合う日々を送ることになります。自分の身体のなかから生まれ出た存在ながら、コミュニケーションの難しい異者である乳児との生活は、その状況も相俟ってさまざまな困難を伴いましたが、その結果、河野に「こともの/異物/異者」という存在に向き合う視点を与えることになりました。

ところで美術館には体系立てて集められたさまざまなコレクションが存在しますが、収蔵された作品は過去の「遺物」でもあり、また作品同士は互いに「異物/異者」として存在します。それらを時代やジャンルに縛られることなく自由に出会わせることで、美術と美術館の楽しみ方をさまざまな視点から紹介する場として設定してきたのが、和歌山県立近代美術館が2011年より継続するシリーズ展「なつやすみの美術館」です。14回目となる今回、河野愛を本展の招聘作家に迎え、美術館のコレクションに「こともの」である河野の作品を加えることで、また河野自身が美術館のコレクションという「こともの“と”」と出会うことで、美術館を訪れる人にとっての新たな「こともの」との出会いの場を生み出したいと思います。

和歌山県立近代美術館


感想


かつての風景を追うこと


作者の祖父母宅は和歌山の景勝地にあった旅館で、稗田一穂が写生旅行に来たことがある、という。
稗田一穂がその時描いた絵が和歌山近代の所蔵品にあり展示されていた。

河野さんの祖父母の旅館に逗留した稗田一穂が仕上げた絵。



あぁ、なんかこういう「繋がり」って面白いな。その旅館はもう譲渡していて今はないそうだ。入口の黄色いネオン管はその旅館名のネオン看板に使われていたものから、の作品。旅館の過去のパンフレットもあり寂寥感をさそう。


千葉の太海にある江沢館の様だ(安井曽太郎が外房風景を描いた宿。)こちらは画家ゆかりの宿として現在も営業している。赤瀬川さんの色紙もある!

子供の異物感



わかる。わかるのだ。
腹の中の生まれる前の赤子に対して「異物」という表現に顔を顰める人もいるかもしれないけれど、でもこの感覚はわかる。

光が柔らかい
赤子の肌とバロックパール
赤ちゃんの腕はちぎりパンみたいだよねぇ。



私は男児を2名を出産したが、現代はエコーでお腹の中の様子がわかる。
何週か目でお腹の中の赤ん坊の性別が生まれる前に判明する。
変な話だが、私は女の子が生まれると思い込んでいた。
自分が三姉妹ということもあるかもしれない。

展示空間が洗練されていて素晴らしい


初めのエコーで見た瞬間に股間にそれはクッキリ写っていた。
私「先生、これ男の子ですね?」
先生「あ、わかっちゃた?この頃はまだはっきりしないことが多いんだけどねぇ、これはもうクッキリ…あはは!間違いないね」

そこから。もう違和感。

だって今自分という1人の人間の中に性別が二つ存在する訳で。もう違和感。なんだこれ?不思議。当たり前、かもしれないけど、当たり前って何?

と、いう経験をしたので、「異物感」と言われてなんか納得してしまった。

しかし、その感覚は「自分とは全然違う人間が生まれてくる事」の覚悟に繋がった。自分が産む子供ではあるが1人の人間なんだ、という視点になれたのは産後、子育てが心理的に少し楽になった要因だと思う。(物理的、肉体的には怒涛の日々だったが)
圧倒的他者である、という事実に救われる事もある。

所蔵品とのセッション展示

和歌山近美の素晴らしいコレクションとのセッション。所蔵品と企画展作家がリンクする。

河野愛《こともの foreign object (clock)》
三木富雄「耳」
文字になる前の文字の作品(河野愛)
高松次郎 この3つの文字


河野愛《loupe》
樹脂に真珠を閉じ込めた瓶
コンパクトオブジェ。コンパクトオブジェシリーズの中には中西夏之さんのお子さんが生まれた時記念に作ったオブジェもある。
「樹脂を使って閉じ込める」という文脈と近いかな。


先日のネルホルの千葉市美術館でも行っていた、所蔵品とのセッション展示は好きだ。

それにしても高松次郎さんや中西夏之さんは引用されやすい。そのあたりに影響を受けた人が今、現役の美術家になっている世代というのもあるかも知れない。


常設展 テーマは旅

今まさに私が旅をしている訳だ。
アメリカのポップアート、ミニマルアートとかは自分の美術の入り口だったこともあり、やはり作品が見れるとテンションが上がる。
和歌山まで来て良かったなー。良い作品持ってるなぁ…しみじみ。

リキテンシュタインだー!
フランク・ステラだーー!!!
ドナルド・ジャッドだー!
滋賀県に続きこちらもカラー版。珍しいな。
今までステンレスの棚みたいなのしか見てなかったから。
常設展示室には老夫婦が1組。
ああでもない、こうでもないと話していて楽しそうだった。作品について会話があるって良いよね。
和歌山県立近代美術館が黒川紀章の建築というゆかりて中銀カプセルの保存展示誘致をしていた。
埼玉近代の様に常設になるとよいですね。
編み物堀内さんの中銀カプセルバック。

旅の2日目


朝6時半の京都 丹波口駅。

そんなわけで旅の2日目は早朝に京都から和歌山へJR西日本と南海鉄道を利用して移動。
9時半には和歌山にいた。
日差しは強かったけど海を近くに感じ青すぎる空も相まって明るい街だな、と感じた。和歌山には人生で初めて降りたった。交通の問題もあり関西へ滞在していなければなかなか訪れることができない。美術館を口実にできて良かったな、と思う。
和歌山県立近代美術館にピンときたのは2年前に大阪中之島美術館で開催の展覧会に所蔵品が貸し出されていた時だった。

名和晃平さんのセルシリーズ・「鹿」はよく見るんだけど、和歌山から貸し出されていた作品はなんと羊。ちょっと笑ってしまったのだ。
あ、なんか和歌山県立近代美術館、所蔵品がおもしろいかも、と。
今回は再会しなかったけどまたいつか見たい。


お昼ごはんに数年ぶりにラーメンを食べた。
和歌山ラーメン。
多分暑くて塩分を欲したのだと思うけどラーメン自体が熱いことに注文後気がつく。

麺屋ひしお 本店。もちろん旨かった。
麺が…旨い!



ここから南海線に乗って、大阪方面へ戻り、芦屋市美術館博物館へ。
特急電車&指定席に乗りコーヒー飲んで移動しながらしばし休憩。

この移動時間、意外と休憩時間には大事な時間で、この間今見たものの感想箇条書きなどをズババババとまとめて次の美術館までに頭をスッキリさせるのにちょうど良い。

大阪湾

空が抜けるように青かった。
車窓も最高だ。筆がのる。

南海電鉄の車窓から。砂が白い。


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