【めくるめく表現】 Nerhol 水平線を捲る 千葉市美術館
初めて耳にしたアーティスト名。だが、千葉市美術館の企画だ、期待できる!と片道1時間半、総武線の快速でぶっ飛ばして訪問。
じつはサカナクションのアートワークも担当していたりと知らぬ間に見ていたり。
まず、Nerholのお2人について。
展示概要
作品を見終えて
手法、技法、表現方法
地層、階層、時層。
という言葉が浮かぶ。
画面をずっとみていられる。
テクスチャーに惹かれる。
見応えあった…面白かったー!
写真撮影も可能だが、撮りながら「あ、まったく意味ないなー」と思いながら現物そのものの表情の豊かさに惹かれた。
ここで見る、ってこういうことか。
例えばゲルハルト・リヒターのアブストラクト・ペインティングのような、あれは絵の具の層だが、今回は紙の層だったり。
絵を描く支持体になりえる紙そのものが展示されているわけで。
印刷は施されているから図版は描かれているけども。
と、思うとやはり絵っぽい様相をした彫刻という表現があっているのだろうな。描いてはあるけど描いていないから。
…だんだん訳わからなくなってきた。不思議。
紙で重ねた上を彫っていく。グラフィックと彫刻というこの2人組の面白さが発揮された作品たち。展覧会タイトルにある「捲る」を実感する展示だった。こういう手法が思い浮かぶ人は他にいるかもしれないが、それを画面として成立させること、作品として成立させることはやはりこの2人でしか仕上げられないのだろう。
大木の作品
目の前にカットした本物の木から香る匂いで、紙に写された木が本物のベニヤ板から掘り出した様に感じてしまった。
この作品も先述の作品と同じ紙なのに。でも紙も元を辿れば木だな。
千葉市美所蔵品とのジャムセッション
所蔵品(時間を重ね、蓄積されたもの)と重ねた紙を彫ってくるNerholの作品とリンクしている所蔵品たち。
これの隣にこれ持ってくるの面白いなーと、過去から現在への時間軸が貫かれる。
何となく、画面が似てるもの。
考え方が似てるもの。
高松次郎、河原温、李禹煥、もの派との共鳴。
河口龍夫や中西夏之との親和性。
こちらとしては千葉市美の所蔵品も見れて大満足である。
今期の常設展示室にあった辰野登恵子の作品もそうだけど、千葉市美は本当に良い作品を持ってるなぁー!と。
見て行くうちに思い出したこと
子供の頃、社会科の授業で使った等高線を立体化した地図教材の様だ。
あれ好きだった。フェルトで再現した事もあった。
次男が小3の頃、社会科で使い持ち帰ってきた教材の中に等高線を自分で貼り合わせ作った教材があってめちゃくちゃ羨ましかった。
あの頃は「触ってはダメ」と言われていたが、息子が自作の等高線を持ち帰ってくれたおかげで家で思う存分楽しむことができ、長年の素朴な小さな夢が叶った気分。
千葉市美術館のスタンス
この美術館の年間スケジュールのジャンルは多岐にわたっている。
日本画や近代日本美術に加え、今回ような活動から10年〜の若いアーティストの「初の個展」を開催している事が多い。
今ではかなり認知度の高い現代アートチーム 目 [mé]の初個展も千葉市美での開催で、当時大きな話題になった。
千葉、というテーマを持たせることもあり、この美術館で見るという意義を感じ電車で1時間半かかっても行きたくなる。行く。
そして行くと必ず、常設展示とつくりかけラボというお楽しみも待っていて子どもも同伴し易い。
そして館内の方々が親切だなーと思う。ここに来ると看視業務の方と一度はコミュニーケーションを取っている気がする。
何気ない話から千葉市美の思いやリアルな話を聞けたりおもしろい。
このフランクさは続いて欲しいなぁと思う。
恐らく、巡回のない展覧会となると思うので千葉駅まで行ける方はぜひ、おすすめしたい美術館、展覧会だ。
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