現代の母親は不幸なのか

育児由来の心労。
共感する親たちが少なからず周囲にいるだろう。
特に「母親達」において。

近代及び現代の日本家族において、性役割分業意識に基づいた育児の負担は男女で大きな差がある。

「母は子育てをしなければならない」「夫は家事育児に参加するものではない」という意識は現代にもかろうじて残る。母親による育児や家事の過度な負担集中は、ジェンダー論の観点からして是正されるべきだろう。

だが、この問題は、夫婦関係における男尊女卑意識に由来する問題ではなく、社会構造に依るものだ。

夫は妻に比べて休職制度が充実していない。
育児コミュニティにおける女性比率は非常に高く、ゆえ夫がそこに参加することは憚られる。
良し悪しは別として、現実として夫の方が高収入傾向にある以上、家族を養うために仕事に専念しなければならない"感じ"がする。
そして、そもそも、妻が夫に家事育児への参加をはなから期待していない。

このような構造ゆえに、妻による「ワンオペ育児」が発生する。


今まで述べたことは、「時間的・体力的負担」が生じる背景である。だが育児心労は「精神的負担」の影響の方が遥かに大きい。

では、母親が精神的負担を重く背負うのは何故なのだろうか。答えは「子供はより良く育てるべき」 という責任感を自ら背負っているからだ。

近代において、親は子供に対し「将来的に子供の労働力が親の役に立つ」という、「経済的・実用的価値」を見出していた。ゆえに、「どう育ってくれたか」よりも「育てることそのもの」に子育ての比重が置かれていた。

しかし、現代において親が子に求めるものは、子の存在や子育てを通じてられる心理的満足感という「情緒的価値」だ。結果、子供がどう育ったかということに対して親の責任が強調される。そうした子育てのスタンスであれば、親(特に母親)は緊張や不安などの精神的ストレスを抱くようになる。

少子化は、親が子供一人当たりに掛ける子育てコストを従来よりも投資できるようになったことを意味する。子供に情緒的価値を期待し、より良い子育てをしたい(或いはすべき)という考えのもと、 親たちは如何にして自身の子を優秀な学校に入れ一流の企業に就職させるかを競うようになる。

実際、偏差値や就職難易度、年収などのランキングを指標とした「子育て評価」が家族内外で散見される。現代は、親が自分の子育てに満足しにくい社会なのだ。

この状況は子にとっても望ましくない。

親が世間からの評価を意識し過ぎたあまり、子供
に対し自身のエゴを押し付ける教育をしてしまうことがある。これは子にとって幸せなことだろうか?

こうした親子の関わり方は、親にとっても恐らく望ましくない。

成人後の親子関係をも視野に入れた子育てを、現代人は考えなくてはならないからだ。医学の発達に伴い寿命が伸長した現代では、子供が成人した後も親が相当長い間生きていることも珍しくない。ありがた迷惑な子育てをされた子供側からしたら、なぜ自分が親の介護をしなくてはならないのかと、腑に落ちないこともあるだろう。

では、親は子育てに向き合うべきなのだろうか。

現代家族が子育てに関して抱えている問題は、「母への負担集中」に焦点が置かれることが多い。こうした流れを受け、「三歳児神話の否定」といった「母親の解放」に関する言説が共感を集めている。

だが、筆者は、「親目線で楽な子育て」が支持される社会は不健全だと考える。

医学博士で精神科医の岡田尊司氏によると、母親が子供に愛情をかけるゆとりがなくなった場合、子供に愛着不安が生じ得る。愛着不安が高まると生きづらさを感じ、幸福度が低下するという強い相関も既に明らかとなっているらしい。

これを踏まえると、母親の育児解放だけでなく、子の利益も考慮した子育ての在り方が模索されるべきと言えよう。

時間的・肉体的・精神的負担が母親のみに集中することはジェンダー論の観点からして是正すべきだ。
だが、それだけでなく「子の利益」という視点を組み入れた議論も活発になって欲しい。

では、どうすればBetterな子育てができるのか。

ヒントは、前著で言及した「共のセクター」の活用にある。要は「抱え込むな。一緒にみんなで育てよう」の精神で、地域コミュニティが一体となって子育てをするのだ。

考えてみて欲しい。つい15年くらい前までは、近所や団地のお隣さん同士で家族ぐるみの付き合いがあったはずだ。

2024年現在、あまりにも個人と個人が切り離された社会では、個の抱える悩みは個で解決するしかない。であるならば、コミュニティを再生すれば良い。この発想に疑問を呈するものはいないだろう。

「それが出来たら苦労しない」
「そんなこと口では簡単に言える」
と思う読者もいるだろう。

残念ながら反論できない。確かに難しい。
だが、難しいからといって諦めたくはない。

筆者は足元で3〜5人程度のスモールコミュニティを複数運営している。まだ構想途上ではあるが、いずれは各地域に「サードプレイス」(ないし駆込寺)として機能させるようなコミュニティにする計画だ。

手前味噌だが、こうした草の根的な活動をしない限り、日本は変わらないと思う。もし、日本を元気にしたいという理念に熱く共感するところがあれば、共に立ち上がり、共に頑張ろうではないか。

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