なぜ地域社会は疲弊したのか

地域社会の疲弊は2つの側面から説明できる。

近代化と少子高齢化だ。

近代化のもとでは、合理主義に基づく開発が進められた。いわゆる、経済合理性に基づく、開発主義である。

歴史を紐解くと、民主主義の波及に伴い、「自由で自立的な個人」によるライフスタイルの確立がグローバルで進展した。これはアンシャンレジームに抑制されてきた個人にとって嬉しい潮流だろう。

しかし、経済合理主義や中央集権的国家制度には限界がある。その最も顕著な例が、自然環境破壊、経済格差の拡大、ローカル文化の破壊だ。日本社会においても、無縁社会ないし孤立社会と呼ばれる状況が各地で発生している。

近代化により雇用が重要化した社会では、都心部への人口流出が避けられない。
これにより過疎化が進んだ地域社会では、自治体の持続可能性が危ぶまれ、既にいくつかの限界集落・限界都市の発生に警鐘を鳴らす動きも見られる。

近代化の過程は、物質的豊かさを人類に恵んだ点で素晴らしき時代であったと評価することが出来る。しかし、こうした負の側面にフォーカスを当てるタイミングが遅すぎたように筆者は考える。

経済合理主義、中央集権的国家制度、個人中心主義という近代社会のイデオロギーは「本当にベストプラクティスなのか」、議論が必要ではないか。

開発主義の弊害として、地域社会はその固有性を失った。地域によっては存続の危機にまで瀕している。これでは、日本の未来に希望を持てない若者が増えても仕方がないだろう。

限界集落・限界都市の増加、住民間のコミュニケーションの希薄化は、地域住民の孤立感を助長し、経済的格差を拡大させる。

我々現役世代は、「住民主体の地域創造」、「『豊かさ』の再定義」、「持続可能性の追求」を模索しなければならないのだ。

■住民主体の地域創造
自立的個人を前提とした、契約関係に基づく近代社会の在り方を疑い、コミュニケーション的関係を基盤とするコミュニティの再生が必要である。

社会には3つのセクターがある。
①自由原理に従い経済活動を行う個人や企業などの「私」のセクター
②平等原理に基づき福祉の実現を図ろうとする「公」のセクター
③ 地域住民らによる連帯を軸 とした共助のための「共」のセクター

社会問題を解決する主体は、果たしてGovernmentなのか、それともBusinessなのか。この議論は不毛である。私と公のセクターによって地域社会が抱える問題を全て解消しきれるわけではない。

「私」「公」の限界を補完する仕組みの実現が必要であり、それが「共」のセクターであると筆者は確信する。

日本においては、既に様々な自治会・ボランティア・NPO法人が数多く存在している。こうした組織の活用によって、住民主体の地域創造を実現させようとする動きに、社会は目を向けるべきだろう。

■『豊かさ』の再定義
人間を人間たらしめるものは身体・精神・環境の三位である。人間にとっての発展とは必ずしも経済的発展のみを指すことはない。

地域社会の伝統的暮らしに価値を再び見出す「スロー都市」をご存じだろうか。
スロー都市とは、住民生活の固有性を守るため に人的・文化的・自然的な資源を活用した都市おこしを目指す活動である。
日本では気仙沼市や高松市などが有名である。

スロー都市の実現にあたっては、環境対策、地域の価値を高めるイン フラ整備、自然的なものづくり、地域の伝統的生産物の保護といったハードルを超えなくてはならないため、実現は容易でない。しかし、地元住民がその地域の固有的価値を再発見するきっかけになり得る点で注目に値する。

こうした"非経済的"な視点から、豊かさとは何かを再考する動きは他にも各所で見られる。ぜひ書店でこのようなテーマのものを探してみて欲しい。

■持続可能性の追求
持続可能性の意義は幅広いが、ここでは2点に絞って考察したい。
①人口減少に伴い自治体財政が圧迫されている点
②高齢化によってローカリティの次世代継承が難しくなっている点

緊縮財政と地域再生を両立させるためには、先に述べた「私」「公」「共」の各セクターによる相互補完が適切に行われる必要がある。

この際、ボランティア等の共助コミュニティの形成なしでは解決は難しい。「公」による援助に依存にした地域再生では、地域の自立性を損なうような空回りの取組に終始しかねないことは、近年の地方創生政策の結果を見るに明らかだ。

少子高齢化に対応可能な、高効率化された公共サービスの提供を実現するには、都市機能がコンパクトに整備された「コンパクトシティ」が参考になるだろう。日本では高松市や富山市がモデル都市として認知されている。

コンパクトシティには、都市機能が集約された中心部とそうでない周辺部とで大きなサービス格差が生じ得ることは否定できない。実際、大分県等では周辺部における交通弱者問題が顕在化している。

そこで、先端情報技術を活用した「スマートシティ」構想が近年注目を集めている。AIによって人流・金流・物流を最適化することで、コンパクトシティの限界を補うというコンセプトだ。

当然、現在においてはスマートシティプロジェクトは揺籃の途上に過ぎない。だが、日本が先んじてロールモデルとなる都市を開発することができれば、そのコンセプトや実現ノウハウを諸外国に輸出するという新しいビジネスを生むことができるだろう。

現在、中国や韓国は激しい少子化に頭を悩ませている。少子高齢化問題への「解」を最初に編み出した国は、今後グローバルで強力なプレゼンスを発揮する。これは間違いない。

但し、日本は製造業が強いことで知られるが、無形商材や経営理論に関しては、「メソッド」や「セオリー」を体系化する力が弱いために、欧米に劣後する。産官学が三位一体となってBusinessの勝ち筋を研究するということを日本はしていないからである。これに対し、例えば独国バイエルン州などではBusiness⇔Academicの連携が非常に強く、この連結強化に州政府が強力なバックアップをしている。

逆説的ではあるが、地方創生という、産官学が一体となって解決すべき大きな問題が「存在してくれている」ことをチャンスと捉えれば、上述した日本の弱みが改善されるのではないだろうか。

本稿では、敢えて非体系的に筆者の思うところを述べた。その意図は、読者自身でしっかりとこの問題に向き合って欲しいからである。

・誰よりも高く視座を持ち
・誰よりも遠く未来まで見据えて
・誰よりも広く全体像を俯瞰し、
・誰よりも深く本質に向き合う

読者に対し、こうした期待を抱いて、筆を置かせていただく。

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