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「戦う」という表現

僕の個人的な好き嫌いの話なので
正しいとか間違いとかそういう話ではない
「戦う」 という表現を安易に使われると
「それ違うでしょ?」 と言いたくなる

「戦」とは、戦争、戦場、戦士、交戦、戦死・・・兵士や武士が命をかけて
敵を倒すために攻撃をすること或いは自軍を守ること
とうぜん、「死」 がついてまわる
戦という字は、盾(たて)と矛(ほこ)を組み合わせたものだそうで
いずれにしろ倒すか倒されるかであることに変わりはない

スポーツで「戦う」という
僕は違和感を持つ
野球であれサッカーであれバスケットボールでも卓球でも
ボクシングのように相手と殴り合うスポーツでさえ
同じ競技で頂点目指す仲間ではないか?
その仲間同士は「戦う」のではなく競っているのだ
だからラグビーが「No Side」というように
試合が終われば勝った負けたに関係なく
互いの健闘をたたえ合い相手を敬うのではないか?
仲間同士が技やスピードを競うことを「戦う」と表現するのは
僕にはどうしても消えない違和感がある

政治家達は選挙が近くなると
街へ出て演説をする
テレビでインタビューに応えて当選した後の構想を力説する
そして
「この選挙戦を戦い抜く」
と、揺らがない思いのほどを言葉にする
ここにも違和感がある
政治家が本当に戦うべきはライバル政治家ではない
社会の理不尽や市民国民を困らせる難題と戦うべき存在である
ライバル政治家とはむしろ仲間であり敵ではない
共に手を取り合って市民国民の敵である理不尽や不合理と戦って欲しい
だから選挙も戦ではなく、単に票を持つ有権者に対して自身を知ってもらい票を入れてもらうための活動でしかない
それのどこが、何が「戦う」なのかという違和感しかない

一般的に誰もが使う言葉だし
「そんな細かいこと、どっちだっていいだろう」
と言われそうだ
だからそれが間違っているとか正そうなどと言うつもりはない
ただ、「戦(いくさ)」という文字や言葉にはもう少し敏感であって欲しいとは思う
かつて日本は戦争で苦しめられた経験をしている
戦争であり得ないほどの命が亡くなり血を流した
外国では今も血を流す国がある、毎日のように人が死んでいる
せめて日本くらいは
戦いとは無縁でいられるための努力をしたいと思うしそれを願う
だから「戦う」という何気ない一言に違和感が消えない


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