妄想その1
私と彼が同棲を始めて早半年。
雑誌やネットの記事には様々な同棲のメリット・デメリットが書かれている。
私は今、それを文字通り体験しているわけだ。
良いも悪いも、今まで見えてこなかったものが見えるようになった。
そう、見えてきたのだ…私の彼は妄想好きだった。
花の金曜日。通称「花金」。
土日休みの人にとって金曜日は1番リラックスできる日であり、同時に開放的になる日でもある。
私もその1人で気分よく会社の同僚と軽く飲みに行き、彼が待つアパートに帰宅した。
「——ガチャ」
「ただいま~」
「あっ、ハナちゃんおかえり」
「ただいま、ヒロくん」
「ご飯食べて来たんだよね?お腹はもう空いてない?」
「うん、空いてないけど…もしかしてなんか用意してくれた?」
「ううん、何もしてないよ。ただ、もし小腹がすいたらと思ってお茶漬け食べられるようにしただけだから」
「あっ…食べたいかも」
「うん、分かった。すぐに用意するよ」
「ありがとう」
私の彼は気が利く。
「ズズズ…おいしい」
「食べたらすぐお風呂入るよね?」
「うん、入る」
「じゃあ入ってる間に用意しておくね」
「うん?うん…」
私はお風呂から上がり、髪の毛を拭きながらリビングに戻る。
すると、机の上には「台本」と書かれた赤い表紙の本が置いてあった。
「今日の台本ね」
「あ、はい…」
ヒロくんは嬉しそうに笑っていた。
花金…この日は毎週ヒロくんの妄想を実際にトライする日でもあった。
彼はこの花金のために自分の頭の中に描いた妄想を文字に起こし、台本にするのだ。
ちなみに私がその台本を事前に目を通すことは許されない。
いつも私はぶっつけ本番なのだ。
「あれ?ヒロくんはもうお風呂入ったんでしょ?なんでパジャマじゃないの?」
「今日はねぇ…なんと外から始まります!!」
「えぇーーー!?」
「ほら、ハナちゃん。外に出るから着替えて着替えて」
「めんどくさ~」
「早く早く」
せっかくパジャマを着たのに私はまた着替えさせられた。
「ねぇ~、本当に外でやるの~?」
「やるさ~。今日は外でやるのが重要なんだから。さぁ行くよ」
私は半ば強制的に外に出された。
台本を持ち、サンダルを履いて外に出る。
せっかくお風呂入ったのに…
外に出た私たち。
彼はアパートの階段をずんずんと降りていく。
外と言えど、てっきり扉の前だと思ってたのに…
「ねぇ、どこまで行くの?」
ついにアパートの外まで出てしまった。
アパートから10mほど離れた街灯がある場所で彼はようやく止まった。
「ここでいいかな」
彼はにこにこしながらゆっくりと台本を開く。
それを見て私も台本を開き、目を通す。
え~っと、なになに…
2人は付き合う前の関係。
男と女はご飯をよく食べに行くが、男女の関係ではない。
その日もいつものようにご飯を食べ終え、男に別れを告げようとしていたが…
あ~、男が強引に誘う展開ね。
「じゃあ始めるよ」
こうして妄想寸劇は始まりを迎えた。
『なぁ、この後どうする?』
あっ、私の番だ。え、え~っと…
『えっ?この後って?』
私は棒読みだ。
しかし、それで怒られたことはない。
どうやらこの妄想劇に付き合ってくれることで十分満足しているようだ。
ちなみに彼も全然うまくない。
『お、俺ん家来ねぇ?』
『えっ?どうして?』
『ハナちゃんが見たがってた、あの映画のDVD買ったんだよ』
『えっ?ほんと——』
「こんばんは~」
「————!!」
私は咄嗟に台本を閉じ、声のする方へ振り向く。
あっ!!この人はお隣の203号室の佐々木さん!!
最悪なところを見られてしまった。
ヒロくんも私と同じように恥ずかしそうにしている。
そして佐々木さんは不思議そうな顔をしている。
ここはなんとしても無難に乗り切らねば!!
「こ、こんばんは~」
「こんなところでどうかされたんですか?」
「いやぁちょっと夜の散歩に出かけてたんです、ね?ヒロくん」
「う、うん…」
「あはは、仲いいですねぇ。お邪魔しちゃ悪いから失礼しま~す」
「いえいえ、おやすみなさ~い」
そう言って佐々木さんはアパートの中へ入って行った。
はぁ~、なんとか気づかれずに済んだみたい。
もしこんなのがバレたら…恥ずかし過ぎてどうにかなっちゃう!!
「…ねぇ~、ヒロくん。家の中でやろうよ~。恥ずかしいよ~」
「ハナちゃん…ネバーギブアップだ!!」
続行である。
「さぁやろう!!」
彼はもう一度台本を開き始めた。
『なぁ、この後どうする?』
「えっ?ちょっと待って!!初めから?途中からじゃないの!?」
「ダメだよ。ちゃんと最初からやらないと。盛り上がらないよ」
ある意味、もう十分盛り上がってしまったと思うんだけど…
『なぁ、この後どうする?』
有無を言わさずまた妄想劇が始まる。
このまま放っておくと彼は一生『なぁ、この後どうする?』しか言わないだろう。
諦めてさっさと終わらせよう。
『えっ?この後って?』
『お、俺ん家来ねぇ?』
『えっ?どうして?』
『ハナちゃんが見たがってた、あの映画のDVD買ったんだよ』
『えっ?ほんとに?』
『ほんと、ほんと。だからさぁ、見に来いよ』
『見たいのは山々なんだけど…』
『なんで?見に来ればいいじゃん』
『だってぇ~、男の人って家の中に入るとオオカミになるんでしょ?』
『オオカミ?俺が?ないない!!大丈夫だって』
『男の人ってみんなそう言うじゃん!!』
『他の男は知らんけど、俺はないって!!』
『う~ん…本当に何もしない?』
『何言ってんだよ!!俺とハナちゃんの仲だぜ?俺たちそんな関係じゃないじゃん!!』
『じゃあ…見てすぐに帰るから』
『うんうん、それでいいから』
アパートに移動と書いてあったので私たちはアパートの入り口まで移動した。
え~っと、ここでまた私のセリフだ。
『ごめん、やっぱり帰る』
帰ろうとする素振りと書いてあるので、私はちゃんとそういった素振りを見せる。
指示が細かい。
『もうここまで来たじゃん!!大丈夫だって!!』
『…ねぇ、本当に大丈夫?』
『大丈夫だって!!本当に大丈夫!!』
『う~ん…分かった』
重い足取りで私は足を運ぶ。
反対に彼は私を急かしている。
これも台本通りだ。
さて、やっと見慣れた扉の前に帰って来た。
早くこの扉の中へと入りたい。
しかし、今は妄想劇。
妄想の中の私は、この扉の中に入るのを拒まなきゃいけないのだ。
『ごめん…やっぱり帰る』
アパートを去ろうとする私。
う~、早く中に入りたい。
『ちょ、ハナちゃん待ってよ!!』
『帰る、私帰る!!』
『ハナちゃん、待ってってば!!』
私は足を止める。
『絶対…絶対に何もしないから…ね?』
『絶対だからね!!』
私は背中を押され、部屋の中へ入る。
あ~、やっと家の中へ帰って来れた。
安堵の表情を見せたいところだが、まだ妄想劇は続いているのだ。
私はセリフを読もうと台本を見る。
あっ次ページだ。
私はページをめくる。
「————!!」
そこには大きな文字で『食べられる』とだけ書かれていた。
私は後ろを振り返る。
そこにはオオカミのかぶりものを被った彼がいた。
「あ…オオカミだ」
「がお~」
…私は食べられた。
今日はいつもより長かった。
というか外でやったので精神的負担が大きかった。
疲れた。
彼はオオカミのかぶりものを脱ぐ。
かぶりものと言っても、市販で売られているやつじゃない。
お金をかけないために、ダンボールを使って自分で作ったものだ。
「お世辞にも上手いとは言えないけど、いいね、このオオカミ」
「でしょ?気に入ってるんだ」
「味がある」
「ありがとう」
「でもお願いだからしばらく外はもう止めて」
「あい、分かりました」
さて、花金が終わりを迎えようとしている。
「さぁ、来週に向けて妄想しなくっちゃ!!」
彼はまた妄想を始める。
嬉しそうな顔をしている彼を見て、私も笑った。
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