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また何かを作りたいとずっと思っているけど結局何も作り始められない人へ

手が止まりし人へ

「また何かを作りたいとずっと思っているけど結局何も作り始められない人」とは、さっきまでの私の事でもある。2023年3月31日にゲーム「ハナレノエデン//」を投稿し、燃え尽き症候群となり、何処にでもいるような疲れた顔の労働者にもなってしまい、本日9月18日まで本格的な作品作りをしていない私。そして、この記事を開いた、恐らく同志へ送るメッセージ。ほとんど自分に向けての物だが、これを読んで少しでも力になれたら嬉しい。

復帰の為の創作をしよう、つまりリハビリ

先ほどまでの私のような「元々何かを熱心に作っていた」けど何かのタイミングで「何かを作りたいとずっと思っているけど結局何も作り始められない人」になってしまった人が陥ってしまった人。そうなったらまず、良い物を作ろうとするのはやめた方が良いのかもしれない。いくつか大きな作品を作った事があると、それを超える物を作ろうだとか、今までの創作で得られた物や反省を活かして次の作品を作ろうだとか無意識に考えてしまっているのだろう。世界的に人気な作品を作った人も、次の作品では大きくこけてしまうなんて事が日常な創作の世界。ただでさえそんな世界なのに、ブランクの上で前作を超えようとか考えるから腰が上がらない。まずはこの無意識のハードルを認知して破壊して、初めて創作に触れたあの人同じように、好きに自由に周りを気にせずリハビリの創作をし、感覚を取り戻した方が良いのかもしれない。0からの新たなスタートくらいに思った方が健康的だと思う。

そういうタイプの作り方の人

何を作ったら良いのか、どう作ったら良いのか分からない時期というのがあると思う。そんな時も結局取りあえずでも何か作り始めてしまうのが手っ取り早いと気がついた。何か革新的なアイデアが浮かんだら、面白い事を思いついたら取り掛かろうと、「その時」を待つ。これは私にとっては悪手だと半年ほどの時を経て強く感じたのだ。「その時」などこない(基本的には)。取り合えず作る事によって思考が広がり、更にアイディアが湧いてくる。私はそんな脳の構造をしている。作りたい物は何かを作りながらでないと見つけられない脳をしているのだ。「取り合えず作って広げる」そういうタイプの作り方が一番向いてる人なのだ。きっと。

制作➡中断➡設計図➡制作でもいい

「絵を描く前にはラフを、物語を作る前にはプロットを、漫画を描き始める時にはネームを描くのだよ」とほとんどの人が言っている。この「作品の設計図」を用意するのが重要なのは事実。しかし、今まで私はそういった物を作らずに創作に取り掛かっていた。こうすると作品が整わず、どこか不安定みがある物が出来てしまう。矛盾などを後から潰していっても、何処かいびつな物、締まりがないものが出来てしまう。だから「作品の設計図」は大事だ。だが、私はこれを作る所をスタートとして創作を始めると、やる気が湧かなくなる事に気が付いた。そこで、この「作品の設計図」作りをする前に、エネルギーチャージを兼ねた「取り合えず制作」をするようにしよう。良い作品を作ろうとして結局何も作らないのは愚かである。

結局の所、手動かすしかない

色々書いたけど結局「とにかく作れ!」って事になってしまうのだろうか。でもこの「とにかく作れ!」という気持ちは、今までの経験や蓄えてきた知識を活かしたい、もっと良い物を作りたい、という気持ちによって抑え込まれてしまっているのではないか。これは尊くもあり手を動かすのに邪魔な気持ちなのかもしれない。だからそういう気持ちをいったん取っ払って、ウケを狙わず経験を活かさず何もかも忘れて「とにかく(純粋に楽しんで)作れ!」を意識しよう。そうしよう。

おまけ

社会人になると心と時間ともに余裕がなくなり、創作モチベ―ジョンがズルズルと落ちていく。だけどそんな荒んだ心を癒してくれる、辛い仕事の事を忘れさせてくれるのもまた、創作であるのだ。負けるな!作り続けろ!私!そして、全国の社会人クリエイター!



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