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部分的な数値だけで財務分析はできない

[要旨]

9月末に、日本銀行が、所有する国債について、8,749億円の含み損が発生したことについて、日本経済新聞は、「市場の厳しい目が注がれる可能性がある」と指摘しました。しかし、この含み損は実現するものではなく、また、日本銀行が所有する国債の価格の0.16%の割合に過ぎないことから、その発生を防ぐことは不可能であり、同紙の指摘は誤っています。

[本文]

先日、日本経済新聞が、日本銀行の保有する国債の含み損が、8,749億円になったと報道していました。この記事によれば、「日本銀行が11月28日発表した4~9月期決算で、保有国債の時価評価が、2013年の異次元緩和導入後で、初めて、簿価を下回り、含み損に転落した。米欧の利上げをきっかけに、日本でも金利上昇(債券価格は下落)が進んだためだ。満期保有が前提のため、直ちに経営を揺るがすわけではないが、政府が発行する大量の国債を、日銀が、事実上、無制限に引き受ける構図に、市場の厳しい目が注がれる可能性がある」と報じています。

この部分の指摘は、意図的に誤った印象を読者に与えようとしていると、私は考えています。まず、日本銀行の発表した資料を見てみたいと思います。2022年3月末時点では、日本銀行の保有する国債には、4兆3,734億円の含み益がありましたが、9月末は、前述の記事のとおり、8,749億円の含み損を持つまでになりました。しかし、この含み損を抱えたことに、どのような意味があるのでしょうか?

それは、記事に書いてあるように、日本銀行が保有する国債は、「満期保有が前提」なので、この含み損が実現することがありません。そして、3月の時点の4兆3,734億円の含み損も、同様に、実現することはありません。含み益や含み損は、会計的な観点で、会計期間の末日の時価を計算するためだけの、参考程度の数値であり、そのような利益や損失が実現するものではないので、それを問題にすることは無意味です。

また、日本銀行に限らず、一般の会社も、資産を持てば、その資産について、実勢価格が上昇したり下降したりすることは、当然に起こります。したがって、日本銀行が国債を保有する時点で、含み益や含み損が発生することは、当然に起こり得ることが分かっていることであり、9月に含み損が発生したとしても、それは意図されていなかったということではありません。

その次に、日本銀行が9月末に所有する債の額は、簿価で545.5兆円です。そして、この簿価に対する9月末の含み損の割合は、0.16%です。含み損の8,749億円は、金額としては多額ですが、日本銀行が所有する国債の額から見れば、極めてわずかな額です。このわずかな割合の含み損について、コントロールすることの方が不可能です。それなのに、その含み損だけで、「市場の厳しい目が注がれる可能性がある」という日本経済新聞の指摘は本当でしょうか?

もし、0.16%の含み損も発生させてはならないというのであれば、国債を所有することは、事実上、不可能ということになるでしょう。さらに付け加えれば、日本銀行は、4月から9月までの6か月間だけで、6,003億円の国債利息を得ています。この数値は、仮定の利益ではなく、実際に日本銀行が得た、実現している利益です。実現した利益を勘案すれば、含み損を批判すること、ますます、意味は見出すことはできないでしょう。

ここまで書けば、日本経済新聞の指摘は、極めて不適切ということが理解できると思います。とはいえ、この記事の主旨は、日本経済新聞への批判ではありません。財務分析は、部分的なことにとらわれて判断してはならないということです。事業活動は、常に、リスクを抱えながら営まれているわけですから、ひとつのリスクだけを捉えて否定的に解釈することは、極めて無意味です。

2022/12/1 No.2178

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