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【短編小説2/100】 場所を求めて

 「死に場所を求めていた」それなのに、一体何をやっているんだろう。
丸の内線の車内に乗り込んだとき、俺は深いため息をついた。

自殺をするなら、丸の内線ではなく、特急快速の私鉄に乗るべきだったのだ。動揺してしまったのかもしれない。駅員に行って、地下鉄のホームを出て私鉄に乗り換えようか逡巡する。
なんて言おうか。

「自殺する路線を間違えたので、払い戻しをお願いします」

そういった時の、駅員の怪訝な顔を想像し、俺は苦笑した。

 39歳になった。明日は俺の誕生日だ。39歳で人生を終わらせようと思ったのは、この先生きていても何も楽しいことなどないと思ったからだ。
自分を石だとしてみたら、ただ毎日、削って磨耗しすり減っていく日々だ。
そんな日々に俺は飽き飽きしていた。仕事をし、飯を食い、出かけるあてもなく寝て、また朝を迎える。

 もし仮に、俺が家族を持っていたら違ったのだろうか。悪ふさげしてはしゃいだ学生時代の友人たちは、結婚し家庭に入った途端、落ち着いた。
休日は、子どもの習い事の付き添いだの、家族サービスだの、忙しそうだけれどみんな幸せそうだ。俺には仕事しかない。とはいっても、冴えないサラーマンだ。一緒に入った同期は順調に出世し、いつの間にか俺の上司になっている。

 大した学歴も顔も良くない俺は、世間の幸せルートから外れた道を歩んできたみたいに感じる。人生の路線があったとしたら、俺はきっと間違った電車に乗ってしまったのだろう。そう思いたい。そして行き先もわからないまま電車に乗り続けることに俺は疲れてしまったのだ。

40歳を迎える前日に、人生を終わらせるのは悪くない。この苦しみから解放される。

 ぼんやりと丸の内線のホームに突っ立っていた。地下鉄の風が吹き、もわりとした空気が俺を包み込む。その時、俺の右肩をトントン誰かが叩いたことに気づいた。振り向くと、一人の婆さんが俺をみていた。
そして婆さんは、発車しそうな電車を指さした。俺が、突っ立ったままでいたものだから、電車がもうじき出発しますよ、の合図を送ってくれたらしい。

 婆さんは見るからに俺より年寄りなのに、元気にすたすたと歩くと、発車ベルの鳴る車内にスッと乗り込んだ。俺もつられて小走りなって車内に乗り込む。俺が乗ったと同時に、後ろでプシューとドアの閉まる音がした。
俺は深いため息をついた。電車はゆっくりと動き出す。
駅員の「駆け込み乗車は危険です。おやめください」という車内アナウンスが聞こえてきた。いい年して、駆け込み乗車も、他人からの注意も恥ずかしい。けれども死んでしまえば、こんな羞恥心も、現実も、全てがなくなると想像すると、妙に清々しい気持ちにさえなってくる。

出世した同期は俺に、気を遣ってくれるのか俺にだけは甘い。
「お前、資料作るの上手いもんな〜。俺、苦手だから助かるよ」
優しさが妙に居心地悪かった。あいつの昇進が決まった時、俺は
言った。
「よかったな〜。おめでとう」
「ありがとう。お前がいてくれてよかったよ。社内で話せる仲間がいるって心強いもんな」
あいつは、確かあの時結婚していて、奥さんは二人目を妊娠中だと言っていた。仕事もできて包容力もある。あんなやつが家庭を守れて、きっと誰かを幸せにできるんだと思う。俺は独身で、今後の予定も何もなく、どうしようもなくみじみだった。

 電車に乗ってから、池袋方面に向かう電車だったことに気づく。俺は一体、どこで死んだら良いのだ?地下鉄を出て、私鉄に乗り換えよう。
これがうっかり山手線でなくてよかった。都内を一周する電車では、ぐるぐる回って永遠に死に場所を探すことになりそうだ。
俺は死ぬ間際になってもどんくさかった。そんな自分が嫌いだった。

 車内にいると、冷房が効いているせいか、一気に身体が冷えてくる。この夏は猛暑だ。梅雨になっても雨が降らず、梅雨明けしたと思ったら、うだるような暑さが続いている。身体が冷えてくると、だんだんと脳の働きもはっきりしてくる。
 トントンと今度は腕を叩かれて、見ると先ほどの婆さんが俺の横に立っていた。平日の車内の人はまばらだ。座席も空いているし、婆さんなんだから座れば良いのにと思ったが、そんなこと他人には言えない。

「お兄さん。きょういくはあるの?」
婆さんは不意にそんなことを俺に訊いてきた。
「はあ」俺は間の抜けた声を出してしまった。婆さんは髪の毛こそ白髪だが、背筋はしゃんと伸びていて、何より黒目が大きかった。きっと若い頃は美人で、もてはやされていたに違いない。

「お兄さん。きょういくはあるの?」

婆さんは再び俺に訊いてきた。教育?のことだろうか。
俺は正直学歴はほとんどない。それでも、必死の思いで就職活動を頑張り、今の会社に就職できた。同期のあいつは一流大学の出だから、そんなことも出世に影響したんじゃないだろうか。いや、それはただの負け犬の遠吠えだ。あいつは俺より、はるかに仕事ができたし、性格も良く、上司からも後輩からも慕われていた。俺は負け犬ではない。犬にすらなれない石ころだ。

「きょういくですか?俺は学歴もあんまりなくて・・」
俺がそう答えると、婆さんは歯を見せて笑った。
「違うわよ。勉強の教育じゃなくて【今日行くところ】の意味できょういく。私たちのようなシニアはね。きょういくところを見つけておくことが大事なの」
なるほど、きょういくところか。上手いことを言う。

死に場所を探していた俺は、迷い、あっさりと今日行くところを無くしてしまっていた。見知らぬ婆さんからは、はつらつとした生の匂いがした。
「私は今からね、詩吟の集まりに行くところ。お兄さんがなんだかかあんまりにも・・。そうね、ちょっと声をかけたくなったものだから」
婆さんは、俺を気にかけ話しかけてくれたようだった。
見ず知らずの婆さんと俺は車内でぽつぽつと話した。

婆さんは、夫を亡くしてからしばらくは家で塞ぎ込んでいたものの、その後、あえて活動的に元気に毎日過ごすことを決めたらしい。
俺は独身で、そして最近全てにおいて生きがいを失っていることを話した。
目の前の見ず知らずの婆さんにだ。きっと他人だからこそ話せることもあるのかもしれない。
明日、誕生日で40歳になると言ったら婆さんは目を丸くした。
「まあ、あなたまだそんなにお若いのね。人生まだまだこれからよ」
俺は、あなたはどうしてそんなにお元気なのですか、と丁寧に尋ねた。
歳をとっても良いことなんて何もないと思っていたからだ。

「私は夫が先に死んだけど、きっと向こうで待っていてくれると思うの。その時にね、花丸って生き方をしたいのよ」
花丸ですか。
はなまるなんて、小学生の時の宿題のドリルで先生に花丸をもらったときの記憶しかない。
「元気に生きましたね。人生を存分に楽しみましたね。花丸って」
婆さんは、あなたに何でこんなこと話してるのかしらね、と言って笑った。婆さんは、途中の駅で去っていった。

俺は婆さんの後ろ姿を見送ると、車内の椅子に座り込んだ。
そのまま、うとうとと眠り込んでしまったようだ。

目が覚めたとき、俺は不思議な光景を目にした。

車内の俺が座っているシートは横一列、誰も座っていないのに、向かいのシートは全員が満席だった。こんなことはサラリーマン人生、長いこと電車に乗っていると度々起きる。
けれども不思議なことに、向かいの全員が本を読んでいた。
全員が違った本を読んでいるが、よく見ると全員の本に共通する文字が書いてあった。全ての本に、だ。
このご時世、全員が携帯を見ていることはあっても、横一列本を読んでいる姿なんて目にしたことがない。
ましてや同じ文字が書いてあるタイトルの本を読んでいるなんて。

なんなんだろう。まだ夢なのだろうか。
俺は、本なんか読まないのに、なぜだか妙にその本が、その文字が、きらきらと眩しく見えた。

俺は無性に本が読みたくなった。
もうすぐ電車は池袋に着く。
池袋に着いたら大型本屋に行こう。あそこなら、車内で彼らが読んでいたのと同じ本が売ってるだろう。そしてあの文字にも出会えるだろう。
俺の心は、いつの間にか軽くなっていた。

そうか、俺にも「きょういく」ができた。
気がついたとき、俺は一人で笑った。
石ころみたいな人間なら石ころのままで良いのかもしれない。
削るのをやめ、磨いていけば石もいつかは輝く。

電車を降りたとき、母親から携帯にラインが届いていることに気づいた。
「お誕生日おめでとう。愛を込めて。母より」
ここにも同じ文字が入っていることに俺は苦笑する。
「愛」なんて、恥ずかしい。
けど悪くない。

母さん、間違って送ってきたみたいだけど、俺の誕生日、明日だよ。
心の中でそう呟く。

返信は明日返そうと思う。


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