【withコロナの働き方を考える】テレワークに必要なのは、監視?それとも管理?
不慣れなテレワークを余儀なくされた企業が急増するなか、これまでの働き方とは勝手が異なり、戸惑いと一緒にストレスも比例して急増しているビジネスパーソンが多いと感じます。
そんななか、こんな記事を見つけました。
(個人的にTwitterでも日々刺激を受けているアースメディア代表の松本さん)
下記のNHKニュースを引用しながら、在宅勤務者をWebカメラで監視し、リモートで「勤怠管理」をするためのシステムを導入・運用している企業について書かれた記事でした。
「君のことなどまるきり信用してないから、しょうがないよね」というメッセージがひしひしと伝わってくるようだ。
松本さんは、その光景をまるで理想郷「ユートピア」の対極にある「ディストピア」だと表現していて、私も言葉を選ばず恐れずに言うのであれば、ある種の恐怖心を抱きました(導入企業を批判しているのではなく、このシステムに対するあくまで個人的な印象です)。
「監視される者と監視する者」
私がずいぶん前にちゃんとした会社員をしていた頃、とある企業のコールセンターに勤務していた経験があります。
そこでは、離席、着席、受信本数、平均通話時間などが一括管理されていて、回線クローズして作業をしていると「お待ちのお客様は○人だから、早く開けて!」とか、平均通話時間が長いと「ちょっと長い。どんなこと話してたの?」とか、遠く離れた席にいるはずのリーダーから声をかけられることは日常茶飯事でした。
そして、改善という名目で、ある長い期間中に抜き打ちにも似た状態でモニターされることもあり、選ばれし従業員がフィードバックを受けることも。
当時は「コールセンターってこんなものなのかな」と呑気に構えていましたし、業務の特性上、そのようなシステムを導入することはメリットもあります。
ですがその後、私自身がいろんな学びを重ねていくことで、「あれは、よくできた監視システムだったのでは?」と思うに至りました。
そう、「監視される者と監視する者」の非対称性が見事に成り立つシステムです。
現代はスーパー・パノプティコン
「監視される者と監視する者」、それはさながらパノプティコンのよう。
(wikipediaからお借りしました)
パノプティコンとは
パノプティコン、もしくはパンオプティコン(Panopticon)は邦訳すれば全展望監視システムのこと。all「すべてを」(pan-)observe「みる」 (-opticon)という意味である。イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムが弟サミュエルに示唆を受け設計した刑務所その他施設の構想である。(wikipediaより)
という写真のような監獄のこと。そう、丸見えです。監視者から。(ちょっとはずかしい…ってそれは違う)
パノプティコンは、円形に配置された収容者の個室が多層式看守塔に面するよう設計されており、ブラインドなどによって、収容者たちにはお互いの姿や看守が見えなかった一方で、看守はその位置からすべての収容者を監視することができた。(同じく、wikipediaより)
パノプティコンから着想を得た仏哲学者ミシェル・フーコーは「監視社会」という言葉を『監獄の誕生─監視と処罰』(1974年)で哲学において鮮明に打ち出しました。またそれを転用して、社会のシステムとして管理、統制された環境の比喩として「パノプティコン社会」と表現しました。
その後、出てきた言葉が「スーパー・パノプティコン」!
デジタル化された現代を踏まえたうえで、米国メディア学者マーク・ポスターは『情報様式論』(1990年)のなかで、パノプティコンを現代風に読みかえて、「スーパー・パノプティコン」という概念を提唱したんです。
「スーパー・パノプティコン」の特徴は、デジタルテクノロジーの特質上、使っている人に「監視されている」という意識をさせないこと。
「監視される者」は常に見られ、その行動が詳細に記録されます。それに対して、「監視する者」は姿を見せず、相手からは見えません。そのため最初、「監視される者」は監視の目を常に意識し、仕事をすることになります。
そのうち、「監視する者」が目の前に可視化されて存在しないため、初めは戸惑いがあってもしだいに慣れ、「監視されている」という認識を極めて下げていきます。
ですが、その認識とは裏腹に「監視する者」は見ているんです、常に相手を。
それは「あなたを信用していません」という冒頭の言葉を常に相手に無言で植えつけ、信頼関係の崩壊を招くのではないかと危機感を覚えます。
テレワークによってスーパー・パノプティコン化される働き方に、恐怖心と危機感を抱くのは私だけでしょうか。
監視と管理を混同してない?両者は似て非なるもの
不慣れなテレワークで、部下の働きぶりが見えなくなってしまった今、必要なのは果たして「監視」なのか考えてみる必要があります。
たとえば、
うんうん、
だいぶ反響がありますね。このツイート、あぁ耳が痛いわ…という経営者や管理職の方々も多いかもしれません。
そう、中原先生が問題提起するように、今必要なのは監視ではなく、「成果管理」をしてこなかった自らのマネジメントを省みるよいタイミングなのであり、マネジメントを改善するチャンスになりうるということ。
スーパー・パノプティコン化される働き方で監視していくのか、成果管理のマネジメントにシフトしていくのか、はたまた第三案を模索するのか。
それはすなわち、経営者や管理職が自らの経験した”マネジメントをよかれと思って「再生産」”するのではなく、どんな組織を作りたいのかということを根本的に再考する良きタイミングでもあります。
新型コロナはいたるところで、これでもかこれでもかと私たちに揺さぶりをかけてきますね。ですがまた同時に、悪しきもの、不要な習慣を手放すことを教えてくれているのではないでしょうか。
《お知らせ》
5月より人事担当者のための勉強会兼コミュニティである「ログカレ!」がリニューアルします。
新しいコンセプトは、多忙を極める人事担当者に向けた、【“読んで、調べて、たまに集まる”コミュニティ兼シンクタンク】。このnoteを存分に活用していきます。
『人物解体新書』と題して、話を引き出すプロのキャリアコンサルタントが人事領域での活躍者にインタビュー。心理学やキャリア理論等を用いながら当人以外でも再現できるよう解明してお届けしていきますね。どうぞお楽しみに!
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