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徒然草とともに

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徒然草をひもといて中世、京の都と、変らぬ人の心を 味わい楽しんでみませんか。
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2022年11月の記事一覧

日記随想:徒然草とともに 2章 ⑰

 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば   史上有名な藤原道長…

高沢英子
1年前
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日記随想:徒然草とともに 2章 ⑯

 徒然草23段と24段は、現代日本の状況とは、まるでかけ離れた、いにしえの天皇主権支配の時代…

高沢英子
1年前
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日記随想:徒然草とともに 2章 ⑮

 日に日に薄くなる初冬の日差しが、空にひろがる土曜日、徒然草とのお付き合いも22段に進ん…

高沢英子
1年前
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日記随想:徒然草とともに 2章 ⑭

 昨日は、抽象的な話で終わってしまったが19段から20段、21段にかけて、日本の古文の伝…

高沢英子
1年前
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日記随想:徒然草とともに 2章 ⒀ 

 秋深く、梢を吹きわたる風が侘しさをかきたてる宵、月は雲間に隠れてはるかにひろがる空の暗…

高沢英子
1年前
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日記随想:徒然草とともに 2章 ⑫

 花と言えばわが国では桜と決まっているのは今も昔も同じ。折悪しく、雨や風に散り果てるのを…

高沢英子
1年前
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日記随想:徒然草とともに 2章 ⑪

 第18段の、清貧を褒めたたえる思想で、兼好法師があげている中国の隠士二人について、かれらの徹底ぶりを今少し詳しく紹介をすると,まず、許由(きょゆう)という隠士は、水を飲む器さえ持たずに、いつも手で捧げるようにして飲んでいたので、それを見た人が瓢箪をあげた。ところが、その瓢箪を木の枝に懸けていたら、風に吹かれてカラカラ鳴るので、やかましい、と捨ててしまい、また水は手で掬って飲んだ、と伝えられ、法師は、それはどれほど心爽やかであったことだろう。と感心している。また孫晨(そんしん

日記随想:徒然草とともに 2章 ⑩

第15段で書かれた法師の旅立ちを推奨する筆は、実際の旅の思い出なども入ってはいるであろう…

高沢英子
1年前
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日記随想:徒然草とともに 2章 ⑨

 気の向くままに古今の文を読み、胸に浮かぶ”よしなしごと”を筆に乗せて書き散らし、気が鬱…

高沢英子
1年前
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日記随想:徒然草とともに 2章 

 灯のもとで独り読書を楽しむよろこびを述べたあと、兼好は古くから日本の貴族社会を中心に官…

高沢英子
1年前
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日記随想:徒然草とともに 2章 ⑦

 この世、あの世と、ひとの生きざまを、思いのまま、気ままに筆を走らせつつ、ひとの住まいの…

高沢英子
1年前
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日記随想:徒然草とともに 2章 ⑥

 住まいというものは そもそも世の仮の宿というのが仏に帰依する身にとって、たてまえではあ…

高沢英子
1年前
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日記随想:徒然草とともに 2章 ⓹

 老人たちの、生への執着の醜さをこき下ろして留飲を下げたあと、兼好法師は、さらに次の段に…

高沢英子
1年前
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日記随想:徒然草とともに 2章④ 世は定めなきこそ・・・ 

第5段でそろそろ兼好法師の人生観が綴られる。"あだし野の露消ゆる時なく、鳥辺山の煙立ち去らでのみ住すみ果つる習いならば”・・・、”流れるようなリズムで書き出されるこのくだり、あだし野といい、鳥辺山といい、いずれも、1200年の昔にさかのぼる。  あだし野は、空海が、京都嵯峨野で当時は野葬のしきたりっだった野ざらしの遺体を見て、哀れに思い埋葬したのが起源とされ、のちに法然がそこの念仏寺を建てたという由緒ある地、今も浄土宗のお寺として、境内には8000体の石地蔵や石仏が立ち