日記随想:徒然草とともに 2章 ⑩

第15段で書かれた法師の旅立ちを推奨する筆は、実際の旅の思い出なども入ってはいるであろうが、むしろ旅を楽しむこころのひろがりを描き出し、つれづれに描きつけていきつつ、読者ともども狭い視野に立たず、視界をひろげる意味合いもある、と受け取るのがいいかもしれない。
 第18段はまた、この草紙に法師が繰り返し筆にする、清貧のいみじさが説かれるのである。歴史によると当時、わが国はさまざまな政治的権力闘争で揺れてはいたものの、国力は、経済的に大きく発展し、東西の交流も盛んになり、社会全体がうわべは平穏で、どちらかというと奢侈に流れ、それをよしとする社会風潮だったようである。そして、そうしたことへの兼好法師の批判めいた気持ちのあらわれなのであろうと。
 こういて、ひとは身の回りをつつましく整えて贅沢をしりぞけ、財産(お宝)を持たず、”世をむさぼらざらん”(現代語訳によれば、名誉や利益を欲しがらず)のが最高というのである。
 どうやら、人間の悲しさ、今も世界の風潮は、ますますこの逆を行っているようにみえるので、法師が最後に”昔より賢き人の富めるは稀なり”と断言するのを読むと、ほっとしたりするご時世のようだ。もとより賢人とは思っていなくても、これでいいか、と自己肯定はできる。
 中国は、かつて多くの儒者を出し、多くの賢者・知性人を輩出し、すぐれた書物が書かれ、詩文においても、常に我が国の模範となってきた。この段に描かれる中国古代の二人の隠士(宗教人というより哲理による遁世者)許由、と、孫しん、の例があげられる。
 そして彼らの清貧に対する徹底ぶりは、中国では、すぐれた精神力と信念の模範として、尊敬され、書き著されたが、わが国にはこれほどの人物もいないし、こんなことに興味も持たない、と法師の筆は手厳しい。

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