日記随想:徒然草とともに 2章④ 世は定めなきこそ・・・ 

   第5段でそろそろ兼好法師の人生観が綴られる。"あだし野の露消ゆる時なく、鳥辺山の煙立ち去らでのみ住すみ果つる習いならば”・・・、”流れるようなリズムで書き出されるこのくだり、あだし野といい、鳥辺山といい、いずれも、1200年の昔にさかのぼる。
 あだし野は、空海が、京都嵯峨野で当時は野葬のしきたりっだった野ざらしの遺体を見て、哀れに思い埋葬したのが起源とされ、のちに法然がそこの念仏寺を建てたという由緒ある地、今も浄土宗のお寺として、境内には8000体の石地蔵や石仏が立ちならぶ由緒ある地、また、南の東山にある鳥辺山は、鳥辺野と呼ばれる都最大の火葬場で、今はこの地には「六道の辻」の石碑が立っている。それはつまり当時の都人にとって、ここより南は「あの世」という認識だったのだと思われる。そして、こういう土地で、露も消えることなく、煙も立ち昇りつづけ、ひとが生き続けるようなことなれば、もののあわれという情趣もなくなる、この世は、定めがないからこそ、得難く佳きものなのだから、という前置きで書きき始められて本論に入る。

 思えば生きものたちのなかでは、人間ほど長生きするものはない。かげろうは朝に生まれ夕べには死ぬ、蝉は夏だけで春も秋も知らず、つくづく一年生き延びるだけでもどれほどのどかなものか、それに飽き足らず千年生き延びたとしても過ぎれば一夜の夢のようにはかない思いをするに違いない、とここまでは納得してもそれに続く筆の過激なこと。

 いつまで生きられるかわからぬ世に,老いさらばえた醜い姿を晒してなにになる。荘子も”命長ければ恥多し”と言っている。長くても40歳までに死ぬのが見た目も恰好がいい。それ以後になると老醜を恥ずかしいと思う心もなくなり、人中に出たがり、古人の言い草ではないが、子や孫を可愛がって、かれらの立身出世を見るまでは生きたいと願い”むさぼるこころのみ深く”風流心も失せてしまい、あさましい! 
 そういうあなたはお幾つですか?と聞きたくなるが、中世の真実と、現代の真実と、まんざら当たらぬとは言え遠からぬ人間風景、そうですね、と引き下がるわけにもいかぬ手厳しさながら、読み進むにつれ、たしかに心しなければ、などと思っている自分がおかしい。                                  


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