日記随想:徒然草とともに 2章 ⑯

 徒然草23段と24段は、現代日本の状況とは、まるでかけ離れた、いにしえの天皇主権支配の時代の宮廷の様子の細かい描写で、その”九重の神さびたる有様”はドラマの舞台として想像して読むことになる。しかも草紙での最初の書き出しが”おとろへたる末の世とはいへど、なお神さびたる有様”というのだから、始まりからして懐古的で悲観調なのだ。

 そしてそれが法師によれば”世づかず(=訳注;世俗に染まらず)めでたきものなれ、というのであるから、法師がいかに、いにしえを懐かしんでいるかを、ここでも垣間見る思いで読まねばならない。

 宮殿の内部の細かな仕分け、それぞれ受け持つ部署に合わせた部屋や仕掛けの優雅な名称、たしかに当時でさえ”世づかずめでたきもの”だったからには、職場を離れたあとも懐かしんでいるらしい兼好法師の記憶の描写そのままを、受けとめて、古い絵巻物を見るように読み、諸司の下人(したうど)の”したり顔に馴れたたる”振舞い、このあたりは訳注によれば、兼好法師自身の姿でもあったのでは?と推測さえされていて、後世の私たちは、まるでドラマのように味わい楽しみつつも、同じ日本人としては、法師の気分に寄り添いすこし感傷的になるところかも知れない。

 24段は、視点がやや離れるが、”斎王の、野宮(ののみや)におわしますありさまこそ、やさしく面白きことの限りとは覚えしか”という表現は、源氏物語にも登場するある斎王のありようなども考えあわせると、女性として複雑な気持ちになるものの、神に仕える身となり、言葉一つにも気遣いする日々という暮らしぶりを想起すると、あたかも西欧の修道院のような、などと考えあわせることもできる。

 いちおう僧籍にある身なのに、神の社を”すごくなまめかしきものなれや”などと嘆賞し、”ものふりたる森のけしきもただならぬ”とか”玉垣をしわたして榊に木綿(ゆふ)かけたる、いみじからぬかは、”と絶賛して描写している。日本人がもっている伝統的に融通のきいた考え方というか、褒めて云えば柔軟な感性に、ちょっとこだわる気もして考えさせられる。 

 日本では、こういう寺社が、真の宗教心を養成する場として機能する代わりに、まずは歴史的観光物として大切にされ、その付属的役割を果たす形で、なにか困難なことに立ち向かう際のお助け神様として尊崇されるという文化が定着していること。そのゆえにか「困ったときの神頼み」という言葉が、日常的に定着しているというのは、少し残念なことに思う。
  
 いづれにせよ、ここに列挙された神社、伊勢、賀茂、春日、平野、住吉、三輪,貴布禰、吉田、大原野、松尾、梅宮、すべて関西圏内に、いまも立派に神の大社として現存し、独自の役割を果たしているのは、めでたいことかもしれない。

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