体罰完全禁止論
体罰は絶対に許されるものではありません。
「お前のためを思って、俺はお前を殴る!」
「お前を思えばこそだ!」
なんて言われても、受ける側からしてみれば、体罰ではなく暴力です。
これは、虐待でも同じです。親からの愛情なんて感じない子どもがほとんどです。(少なくとも僕はそうでした)
体罰肯定派の背景には、体罰によって能力が上がるという盲信があります。
しかし、根性=能力ではありません。
これは、「ゆとり世代」とか世代論で割り切るものではないはずです。
では、体罰など用いずに指導するときにどのようにすれば良いのでしょうか?
これは、指導者側の辛抱強さも求められますが、
これができなければ人に何かを教える能力などないと言っても過言ではないでしょう。
勉強に関しての例を挙げます。
たとえば、1時間以内にいきなり、知らない漢字や英単語を300語覚えるのは、誰にも至難の業ではないでしょうか。一夜漬けでもかなり難しいと思います。
しかしこれを1日3語ずつ100日に分けて覚えるとなれば、何となくできるような気がしてきますよね。
カナダの心理学者バーバンデューラは、
この自分にもできるだろうと予期(確信)する感覚を「自己効力感」と呼びました。
つまり、「自分はここまでできそうだ」という感覚が、次の行動を引き起こすのです。
自己効力感が高い人は、「よし、やってやるぞ」と前向きに思うことができ、
一方、自己効力感が低い人は「自分には無理だ」とマイナス思考になって行動を起こせません。
では、自己効力感を高めるためにはどうすればいいのでしょうか。
バーバンデューラ心理学者は、四つの源泉を挙げています。
最も重要なのが達成体験で、自分で行動して達成できたという体験のこと。
二番目は代理経験。他人の達成体験を観察し、自分にもできそうだと感じること。
三番目は言語的説得。周囲から自分には能力があると励まされることも必要です。
最後は生理的情緒的高揚。苦手な場面を克服できたことで自己効力感が強まります。
ところで、自己効力感の高まりは、自尊感情の高まりにもつながります。
自尊感情が高まれば、自信を持てるようになり、さらに成功をもたらす行動に弾みがつくでしょう。
結局、上達の早い人というのはゴツゴツと成功体験を積み重ねていくことで前向きな自己を形成し、
そのことによってもっと大きなチャンスをつかんでいくことができる人だといえます。
しかし、この方法は全ての人に万能ではありません。
過去の失敗体験が心から離れない人は、不安や恐怖感が先に立ち、
積極的に行動することができず、失敗する確率も増えます。また、チャンスをリスクととらえがちです。
失敗は、反省して次に生かすことで初めて価値が生まれます。どうしても
失敗が気になる人には、心が落ち込んだ瞬間に「ストップー!!」と声を出して感情を飛散させる方法です。
ちょいネガティブキャラの人はこの方法を身につけされると良いと思います。
体罰が恒常的に行われてしまうと、学力性無力感に陥ると思います。
これはいじめ・パワハラなども同様。
回避できない厳しい状況に長期にわたって置かれるとその状況に立ち向かう気力すらなくなってしまうのです。
体罰やいじめで悩む人たちはこの状況に陥って、悩み、苦しみ、最悪なケースになると死を選ぶのだと思います
体罰肯定は、反骨精神で人の能力が上がると信じています。
そういう人もいるかもしれません。
ただ、ボクシング選手などは無理な減量を繰り返して燃え尽きてしまうことも速くなってしまいます。
引退後の人生を過ごす余力が少なくなってしまうのです。
技術的な練習には厳しい言葉が必要なときもあります。
ただ、体罰は指導者のストレス発散にしか過ぎず、指導される側に利益は少しもありません。
日本はスポーツ指導だけでなく、教育・ビジネスなどあらゆる分野で根性論が根付き、
それが負の連鎖となって、体罰肯定・否定などと前近代的な議論をマスコミが報道してしまうのです。
負の連鎖を、止めないと悲劇の連鎖が続いてしまうのは否定できないでしょう。
できる限り、どんな分野の指導者も指導の根拠や理由を示す必要があると僕は思います。
参考リンク:体罰法的全面禁止33カ国が達成
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