見出し画像

【創作note】カテゴリーの謎② 意外とラフ説

※この記事は各noteクリエイターの記事がカテゴリに振り分けられる過程において、AI的/自動的選択が実行されているという想定で書かれたものです。

・#説の崩壊
 1つのカテゴリーに取り込まれる根拠について考えていたが、はっきりしたものは見つからなかった。タグとの関連性は(少なくとも小説カテゴリでは)低いと考えていたが、それについても新しい発見があった。小説カテゴリ内を散歩しているとそこに「日記」というタイトルを発見した。読んでみると内容もやはり日記で、#は何もついていなかった。更に見ていくと、タイトルの頭に詩がついていて内容は行分けもされた詩であり、#は小説でなく詩になっていた。その内に自分の記事を見つけたが、それは小説カテゴリ内に入ることを主に意識して多くの小説#をつけた(小説)ではなく、詩#をつけた(詩)の方だったのだ! 小説カテゴリと小説タグは全く関係がないと思われる。
 (小説)は小説のみならず、日記、詩、俳句といった文章系のものが多く混在しているようだ。

 小説以外のカテゴリーについても見てみる。
 (ガジェット)には、スマホやカメラといった電子機器に関する記事が多く、そうしたものはキーワード的に識別することも比較的容易と考えられる。中にはひとまとまりの小説本を写真に収めただけの記事があり、#は長編小説となっていた。(カテゴリにはこうした不思議な滑り込みが見られる)
 (サッカー)を見るといきなり「バレーボール」という大胆なタイトルのついた記事が見つかった。内容は主にバレーだが、所々で少しサッカーについて触れるというもので、#はバレーボールだった。
 (創作)にはイラスト的なものが多い印象だ。
 (コラム)にはまさにコラムという記事の他に、日記やエッセイ的なものも多く混在している。(日記はどこにでも入り得る)
 詩や小説を探すなら、当然(コラム)よりも(小説)カテゴリで探す方がよい。しかし、コラム的なものと詩的なものをどの辺りで見分けているのだろうか……。だ。

・小説を見つける難しさ
 小説を見つけることは、ペットやガジェットや野球を見つけるより難しいことだと思う。小説の中に小説という言葉が出てくるわけではないし、決まったキーワードがあるわけでもない。エッセイや日記にしても同じようなことが言えるだろう。俳句や短歌は形があるとは言え、機械的に判断するのはそう単純にはいかない。
(前回、大アートカテゴリを設けそこに小説、詩、エッセイ、日記等を並べればどうかと誠に勝手な提案をしたのだが)その辺りの文章メイン系がないのは、分類し難い、あるいはあえてラフになっているのかもしれない。
 しかし、現在はAI的なものが小説を書いて伝統的な文学賞に応募までするような時代だ。(多少は人間的補助もあるだろうか)「小説を書く」ということは小説を理解していることだとすると、(日記だ)(詩だ)と判定することもありそうではある。(俳句と川柳に至っても)
 (コラム)というカテゴリの存在はやはり目を引く。

・#の限界、カテゴリーの恩恵と冒険
~主張なく存在するものとの出会い
 ピンポイントで探すなら#がよい。
 しかし、それは双方の思惑が一致する場合に限る
これは日記ですから読んでください」&
「私は日記を読みにいきます
 そもそも#をつけない人もいるのだ。
(どんなに素敵な記事であるとしても!)
#の多さ ≠情報量
 とても素晴らしいことが書いてあって、誰かにとって必要となる何かであるだろうに、#1つ付いていないということはよくある。
「自分では飛び込めない」
 前回の記事でも書いたカテゴリの性質が、みえない#の中では大きな力を発揮してくれる。
 カテゴリは「飛び込まない人たち」が書いたものを拾ってくれ、見せてくれるのだ。

・思わぬところにいる自分~みんなつながっている
~意図したところにカテゴライズされるとは限らない
「一番好きな人と一緒になれましたか?」
「一番好きな仕事に就けていますか?」

 (小説)のつもりが(ガジェット)に……
 (恋愛)のつもりが(サッカー)に……
 自分の記事が意図したところより遠い場所を旅している可能性は多くある。
 自分がどこにいるか(いないか)わからない。
 意図するところに不在でも、思わぬところに存在する可能性がある。そこでは思わぬ自分が見つけ出される。
(自分で飛び込めないことの効果)
 カテゴリで分かれているように見えるのは、実は表面上の形に過ぎないのではないだろうか。
 カテゴリとは、思わぬところで思わぬ発見そさせてくれるもの。
「1つのカテゴリは1つのきっかけに過ぎない」

・新しい楽しみ方
 日記はただ日記であることはできない。あらゆるカテゴリに飛んでいくことができる。(勿論日記以外も)
 ざっと見てわかる通り、カテゴリは気持ち少なく、ややぼんやりした構成をしている。それはあえて抑えられているのだろうか。カテゴリを1つ増やすことは、案外厄介なことなのだろうか。
 ある1つのカテゴリに的を絞って自分の記事を入れようと努力することは、試みとしては面白いが成果は特別あてにしない方がいいだろう。カテゴリはそのものの純度とがっちり手を結び完全に見張っているわけではないからだ。どのタイミングで何を拾って行くか……。それは案外気まぐれで、ラフでランダムな力が働いているのではないか。(あるいはまだ未知のエビデンスが)

「この記事はいったい何なのでしょう?」
(作文でしょうか)
「すべての記事は必ずカテゴリのどこかに含まれますか?」
(恐らくそうはなっていないでしょう)
 カテゴリについては、や広大な書店の中を歩くように、
「何かないかな……」
 という姿勢で見てまわるくらいが、ちょうどいいのかもしれない。思わぬところで自分を見つけて少しうれしくなったりする。
 それも(note)の楽しみ方の1つかもしれない。


#作文 #日記 #恋愛 #サッカー

#この街がすき #裏切りの街

追加(12.28)

この記事は先週「サッカー」で多くのスキを集めたと報告をいただきました!


この記事が参加している募集

#この街がすき

43,763件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?