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059「陶器市」

 陶器市の日に、神社の境内に、いくつかの出店がならぶ。市場と名乗っているが、そこには、古びた敷物に、陶器を積んだだけの出店が、数店舗しかない。そして、陶器と名乗っているが、そこにならんでいるものは、どう見ても、動物の骨ばかりである。


 わたしはこれまで、陶器市に、たいした興味も持っていなかったが、古くからの友人B氏の骨が、そこに出品されているというので、物珍しさと、物悲しさから、友人に、会いにゆくことにしたのだ。


 それは、B氏の遺言であった。郵便局員であったB氏は、赤貧のまま、ふたりの子を育てていた。ある秋の朝に、箒で、枯葉をはくように、B氏は、駐車場で、郵便用の大型トラックに轢かれて死んだ。死角から、車輪の横に飛び出してきたB氏に、誰も、気がつかなかったのだ。一連の事象は、事故として処理されたが、明確な、自死であったと、局員たちは、わたしにこぼしたことがある。子らは、B氏の保険金を受けとったが、赤貧の暮らしは、おおきくは、変わりそうにないという。子らが、隠しもっていた遺書には、簡潔に、陶器市への出店方法だけが、記されていたという。


 数店の出店に、白くつややかなものや、ざらざらと黄ばんだものが、乱雑に、並べられている。法外な価格の頭蓋骨があれば、銅貨だけで買える、骨粉の袋もある。灯籠の列の、凛とたたずむ、神社の境内は、そうして、時折、狂ったような老人や、未亡人が、慌ただしく、陶器を買ってゆくほかは、夢のように、静まりかえっているばかりだ。


 わたしは、春から高校生になるという子らに、どれが、B氏の骨なのかを尋ねなければならなかった。子らは、死人のような顔をしたまま、わたしに、だまって、ほほえんでみせるばかりだった。結局、肋骨とおぼしき、1組の複雑な陶器を買った。なんとしても、買わなければならなかった。B氏を、永久に、誰からも奪い去るために……

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