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虐待や不登校や不眠症や薬物依存の子供がプロ占い師の幸せな男になるまでの話(仮) #6

中学に上がる頃について書く前に、その他12歳までにあった事をいくらか書き足していきたいと思う

父方の祖父は読書家だった、家に書斎があり、大量の本が貯蔵してあった
ある日の事、その祖父が「千景、これを読んでみい」と渡してくれた本があった

それは流行する前のハリーポッターの第一巻だった
あの年齢であの本を発見し、推す事はなかなか出来ないものだと思う
あれだけ近くに住んでいたのに祖父との思い出はあまり無いが
独りでとぼとぼと遅い時間に猫背で学校に歩いていく俺の姿や、裏にある祖父の家まで聞こえるほどの泣き声や奇声などで、祖父も俺の境遇を解っていたのだろう
皆知っての通り、主人公のハリーは虐待されている子供だった
その少年が魔法使いだと判り、生まれて初めて生き生きと魔法学校で友人を作ったりする姿を多いに俺は喜び、楽しんだ
そして祖父が自分の事を愛し、理解してくれているような気分になれて嬉しかった
読了したその晩には、自分が箒に乗ってキラキラとした火花を尾を引くように出しながら空を飛ぶ夢を見れてとても幸せな気分になれた

夢といえば、高い所から落ちる夢、家族に置いて行かれて独りになる夢、悪い事をしてないのに冤罪で責められる夢を多く見ていた記憶がある
フロイトやその他の夢診断で分析しても、どれも“強い不安”を現すものばかりだった。


自分の暴力、凶暴性、キレやすさは小学校までとどまる事を知らなかったが
ある日、給食のデザートのプリンを椅子から横向きに座り他の生徒と談笑して食べている時
近くを走ってきた女子生徒が俺の腕にぶつかり、プリンが床に落ちた
すぐさま俺は立ち上がり、女子生徒の顔面を殴りつけた
すぐに大谷先生が駆け付け、俺を叱り
「この子とプリン、どっちが大事なの!」と言われたが、プリンに決まっている
名前も憶えていない泣いているクラスメイトのどうせ放っておいてもすぐ治るアザと
美味しいがこぼれたら元に戻らないプリンなら後者に決まっている
何より、そうじゃなかったら毎日家で父親に殴られている俺はどうなるんだ?ゴミか何かか?
そう思ったが勿論、面倒ごとも増えず楽なのは名前も覚えていない「その子」だと答えることだ

反省など全くする気もない、殴った時のスカッとした感覚と「またやってしまった…」と言うその後の叱責に怯えるヒヤリとした感覚、これが12歳までで一番多く味わった感覚だった
そして形式的な「ごめんね、もうしない」と「いいよ」と言う赦し
このよく見かける応答は行われるが、納得しない双方の心と、化け物でも見るかのような周囲の目線がのちまで残るのだった。


ここまで自分の傍若無人ぶりを書いてきたが
その他の細かな部分では非常に内向的で恥ずかしがり屋な子供だった

コミュニケーションの必要とされる買い物、特に今はほとんど日本から無くなってしまった駄菓子屋などで
他の子供達が「まけてまけて~」と無邪気に言える神経が信じられなかった

テーブルマナー、礼儀作法、食べ物を残さない事、座り方、言葉遣い、服装、身なり、余所でやってはいけない事全てを徹底的に父親に叩き込まれた自分はそう言った類のものを恥じた

相手は赤の他人で、大人で、商売で、たかだか10円の商品なのに
まけろなんて事はとてもとても
いくら羨ましくても厚顔無恥な人間のする事だと幼稚園の頃から考えていた
いつも周囲の大人には申し訳ない気持ちがあった、彼らは俺になにかしらの期待をするだろう
だが、こちらとしては最初から労力を払ってまで期待に応える気が全くないのだ、それはどこか裏切りのような後ろめたさが伴った。


そう言えば器械体操教室は5年生の頃に辞めたのだが、教室にも遅刻して通うようになっていた、正直器械体操なんてどうでもいいのだ、ゲーム以外の全てが「やらされているから仕方なくやっている事」だった
だがバスの時刻表なども調べない俺はついに
終わる10分前に遅刻して行くという行動を取ってしまった

意外かもしれないが、遅刻だって本当はしたくない、父の言いつけを心の中では守っていた自分にとって
“休む”とか“ズル休み”というものは、酷い風邪や大けがをしない限り絶対にやってはいけない
殺人罪にさえ等しい最低な行為だった、学校も大遅刻はしてもほぼ皆勤賞だったのだ
だが、ついに体操教室の先生は怒った
「学校でも同じ事しとんか?」と説教が始まった
説教、説教か、ただ体操を教える役割の人間が、そしてこいつもまた、父と同じことを言うのか、と涙目を浮かべながら睨みつけた
俺は母の拒絶や父の暴力によって逆にひどく両親に固執し、愛情に飢えていた
「父と同じ事を言うのか」と教室の先生を憎む事は、ファーザーコンプレックスの現れだった
酷いダブルスタンダードだ、父と同じような人間を憎み嫌うと言う事は愛情の裏返しでもあったのに

“説教”という父や教師の行うものに対して、自分の心を守るため俺は鈍くなっていた
心に膜を張るようにして、相手の話をそもそも聞かない、と言うクセが自衛手段として知らぬ間に身についていた
それが日常で様々な弊害を生んでいた。


さて、そろそろ中学生になるという頃、父はPTA会長や社長や夫などであることに疲れていたのか
それまでの比では無いほど酒浸りの生活になっていた、それでも朝に仕事に行くのだから、ある意味大層なものだった
だが母との夫婦仲はそろそろ化けの皮が剥がれてきたと言うべきか
かなり険悪なものになっていた

そして俺にとって最悪の中学生活が始まった
入学式からして小学校とは全く違う、体育館に集まった生徒は、手当たり次第に式で喋る教師の真似をして馬鹿にし
大声で話し静かになる様子もない、初対面同士の相手にも平気で侮辱し合い、暴力も当たり前だった
秩序も思いやりもあったものでは無い
俺にはその生徒達が、猿の群れか、人間界のさらに下にあると言う地獄や餓鬼道に住む餓鬼のように見えた
汚らわしい性欲と暴力と感情だけを懲り固めた気色の悪い生き物達
それが中学生に抱いた印象だった

式が終わって少し自由な移動時間が出来たとき、初対面の名前も知らない餓鬼の群れが俺の名前、苗字を訊ね、即座にそれを侮辱し
足元に唾や痰を吐き捨ててきた

俺は怒りを通り越して驚嘆し、信じられず唖然とした
初対面だぞ?
友達でも何でもない、相手がどう思うかとか、失礼の無い様にとか、仲良くなるためのコミュニケーションとか
そう言ったものを考えるタイミングではないのか?

この生き物達は何を考えているんだ、意味が解らない、気持ちが悪い
生まれて初めてのあまりの治安の悪さ、無秩序さに驚き
過去の自分の攻撃性の1ミリも出せなかった
俺には自分が相当なクズだと言う自負があったからこそ真面目な中学生活を送ろうと言う気持ちがあったが
こいつ等は違うんだ、そもそも本当に悪いと思っていない
自分がひどい事をしていると言う自覚も無い
自責の念にかられた事も恐らく、無い
俺より酷い異常者の集団、それが中学校だった

今までは千景が機嫌が悪いと言うのが判れば周囲は黙った、俺が「怒るよ?」と言えば相手は引き下がって無駄な争いは避けられた
だがこいつ等はそんな過去の俺を知らない、故に効果も無い

教室でも支離滅裂な言葉が飛び交っていた、会話になっていない
前後の言葉が繋がっていない、文脈そのものがない、相手への攻撃しかない

そこはまるで見世物小屋に集められた、母の言う「キ〇ガイ」のフリークショーだった。

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