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失われた半身を求めて~「スケアクロウ」

この特殊な状況下、人と人とのつながりについてしばしば考えるようになった。そんな思索に、一つの示唆を与えてくれるのが今回の映画である。
1973年公開「スケアクロウ」

スケアクロウとは、かかしのこと。
作中で、アル・パチーノ演じるライオン(という役名)はこう言う。
「かかしはカラスを笑わせることで、こんなに笑わせてくれる畑の持主はいい人だ、だから荒らさないでおこう、そう思わせてくれる」と。
そして、自分たちはかかしだ、かかしになろう、とも。

人を威嚇して遠ざけることで事を成すか、笑わせて道を切り拓いていくか。
しかしいずれにしてもかかしはかかし。カラスは近づいてこないのだ。
そんな道化のような役回りに演じるうちに、次第に心を病んでいくライオン。その姿は身を削っているようで、痛々しささえ感じるほどだ。

そんなライオンの朽ち果てていく姿が見どころの一つではあるが、もう一方の主人公であるマックスに視点をおくと、また違った見え方ができる。
どこか神経質でいながらけんかっ早い。行く先々でいざこざを起こすような男。でも彼はライオンと出会い、旅をともにするようになる。きっかけは、最後の一本の煙草をくれたから。

打算のない心情に触れたマックス。彼は次第にライオンに惹かれ、”かかし”になっていく。そんな過程をみると、マックスはライオンに出会ったことできっと本当の自分を見出せたのだ。もっと言えば、ライオンがマックスにとって探していた半身であったと。

プラトンの『饗宴』のなかで、かつて人間はゼウスによって二体に切り裂かれたのであり、それがゆえに互いに人を求めあう(特に男女)、それがエロースである、と説いたのはアリストパネスであった。

その半身と一体になった時、ライオンの役目は終えたのではないだろうか。

この結末で思い出したのは、高校生の頃に読んだマンガの結末である。
それは吉田秋生の”BANANA FISH”だ。
このマンガについてはここでは語らないが、ちょうどその結末をアニメで描いている動画があるので、最後に紹介しておく。
この日本人・英二の手紙を読んだ時、死にゆくアッシュもきっと探し求めていた半身と一体となった恍惚を味わったのだろう。


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