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名随筆を読んで襟を正す~「父の詫び状」

随筆やエッセイというと、小説に比べて劣っているような気がしてしまうのだが、よい随筆はまるで小説を読んだかのような含蓄を味わうことができるし、時代を超えて読み継がれるほどの普遍性を帯びるものである。
現代の名随筆家の一人が向田邦子というのは、揺るがないことだと思う。
今回はその代表作、「父の詫び状」

全部で25編の随筆が収められている。いずれも向田の幼い頃からの思い出や身の回りで起きたことを中心に、ほんの些細な出来事を書き記していっている。
一つの編の中に、いくつもの小話を重ねており、それぞれは厳密にはあまり関係のない話もある。でもそれがゆるやかにつながっているように、思わせるのがすごい。ぶつ切りではなく、するするっと読めてしまうのだ。

本書が出版されたのは1978年。この3年後に向田は飛行機事故で亡くなる。
それを知りながら読んでいくと、いくつか飛行機事故のことについて触れている箇所がある。

そのうちのひとつが「お辞儀」という話の中に出てくる。向田の母が香港旅行に行く小話である。

母の乗っている飛行機がゆっくりと滑走路で向きを変え始めた。急に胸がしめつけられるような気持になった。
「どうか落ちないで下さい。どうしても落ちるのだったら帰りにして下さい」
と祈りたい気持になった。
飛行機は上昇を終り、高みで旋回をはじめた。もう大丈夫だ。どういうわけか不意に涙が溢れた。

これを読んだ私の方が、胸がしめつけられるような思いになった。
こんなに才気あふれて、爛漫な方で、人並みに飛行機事故のことも恐れていたのに、この文章を書いた数年後に飛行機事故に見舞われて帰らぬ人となるとは。

向田自身も本書に収められている「あだ桜」で書いているとおり、

明日ありと思ふ心のあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは

である。
もう少し襟を正して過ごさねば、と思った。

ところで、飛行機事故について気になったので少しだけ調べてみた。
2016年のこちらの記事によれば、年間の死亡事故は16件で、1980年の約3分の1にまで減少している。485万回のフライトで1回起こる確率だとか。

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