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カタルシスに酔いしれる~「ダイヤルMを廻せ!」

心理学用語に「心の理論」というものがある。
これは他者が考えていることを推測することができる機能のことを指しており、動物や幼児または自閉症者がこの機能を有するかどうかという研究が古くからなされてきている。
映画やドラマは鑑賞する者は、「神の視点」を与えらえることがしばしばある。犯罪が起きるような作品では誰がどうやって犯したかを知らされるのだが、果たして劇中人物はどう思っているのだろう。それが次第に分からなくなってくる、自身の「心の理論」が揺らいでくる。
今回はそんな作品。1954年公開「ダイヤルMを廻せ!」

本当の犯罪とそれを偽装したシナリオ。途中まではその偽装シナリオのとおりに進むのだが、その偽装に対してさらに被せる形で偽装の偽装シナリオが繰り広げられていく。
いわゆる「神の視点」的な作品は、鑑賞者はある種の優越感を覚えることになるのだが、そうさせておいてその優越感に思い切り揺さぶりをかけてくるのだ。

この作品ではその揺さぶり具合が並ではない。
神の視点のつもりが、いつの間にか劇中の犯人と同じレベルで振り回されていることに気がつくことになる。
そのカタルシスたるや、なんと清々しいことか!
それを必要十分な演出や展開で提示してみせるとは、傑作と言わずして何と言おう。

こういうのでいいんだよ。
いや、こういうのがいいのだよ。

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