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博物館ボランティアがうまくいかない背景は日本の雇用の仕組み?

以前、日本での博物館ボランティアはうまくいかない、と嘆く声を学芸員の方から聞いたことがあった。なんとなく宗教観が関係しているのかなと思っていたのだが、これ、日本の組織論、仕組みが影響してそうだということに気がついた。

仕事の関係で、組織論を色々見ていた時に気がついたものだ。

まず、簡単に日本と欧米の会社の違いを挙げる。

日本の典型的な組織をヒエラルキー組織という。新卒から退職まで、その会社で一貫して教育して必要な人材を育てあげるものだそうだ。そのため、専門性がなくてもかまわない。

一方で欧米型のものは、専門知識がある人が、そのポジションを求めている職場を渡り歩くものだ。そのため、日本では新卒に当たる人たちが(専門性や他の同じ知識を持つ人に勝る優位性や経験がないため)無職である割合も多いという。

博物館ボランティアは、もともと欧米発祥のもので、技術を持った方が、博物館で自分のできることを行うものだ。昆虫採集と標本作製のスキルを持った方が博物館の標本整理を行う、という例がわかりやすいと思う。

日本でもこれを行おうと、博物館界隈で積極的に紹介されているらしい。学芸員という専門知識を持つ人は限られた人数しかおらず、仕事は幅広く(研究から整理、サービスなどなど)膨大、とにかく作業が必要なもの(それこそ昆虫の標本の整理とか)に割く時間がない。では、博物館ボランティアを募ってできる人にやってもらおう、と。

しかし日本でこれはうまくいかなかったようだ。うまくいかないは言い過ぎか、欧米のようにはいかなかったと聞いている。何年も前に聞いた話や調べた話なので、違う!と感じる方もいると思うが、それはそれとして、私の周りはそうだったという話で見てほしい。

博物館側が来てほしい時間は、当たり前だが博物館が開いている時間帯、昼間である。その時間帯は必然的に定年退職したような方しか来れない。そして定年退職した方=面倒をみる学芸員より年上、ということで、この方法はなんだとか経験がなんたらと言って学芸員の指示を聞かない(自身のこだわりから離れられない、説教を始める)とか、ほかの参加者に自分の方法での指導を始めてしまうとか、お客様気分でなんでも言うことを聞いてもらえると勘違いするとか、色々あるらしい。学芸員が女性だと、拍車をかけて指示やお願いを聞かず、おまえたちは何もわかっていないと博物館の運営に口出しをしてくるとのことだ。ちなみに、こうした困ったボランティアさんたちは、元々博物館で仕事をしていた方ではなく、趣味でなにかしらしていた人たち、ほぼ男性とのことである。

こういった年功序列や女性軽視の潜在的な意識の問題のほかに、そもそも博物館側が必要としている知識や技術を持った人が来ないので、博物館側が参加者を育成をする(一から教える)手間がかかっているということもある。
結局限られた学芸員が限られた時間で参加者の育成をする、参加者は教えてもらって育ててもらう気でいる(それこそ会社のように)、お客様気分になる(自分は人手不足の博物館に頼まれて来てるのだから!)、で元々博物館側が夢見て広めていたような博物館ボランティアの運用にはならないのだ。

ここからは私の想像なのだが、欧米での博物館ボランティアは、専門知識やスキルを持つ人たちが、それこそ次の職が見つかるまで、新しい経験を得たり、腕がなまるのを防ぐためにもボランティアするよ、ということもあり、年齢も幅広いのではと思う。博物館に頼まれて、ではなく自分から、自分の知識や技術を生かす場を求めて来るのだ。

しかし、日本では退職者しか来れないのだ。しかも専門知識やスキルを持つような人たちは定年退職後、別ポジションで囲われている可能性が高く、そもそもそういった職種(学芸員等)や定員の母数が限られているので、その人がボランティアに来たところで人数の問題は解消されない。(勝手を知っている方が来てくれるのは現場はとても助かると思うけれども。日本の組織を考慮すると前任者が居続けるのもなんだかなという……。)必然的に、先に挙げたような状態に陥る。

こういった状態のときに、私は不思議なのだが、大学生の力を借りよう、という発想がでてきやすい。大学生は来てくれないのか。来てくれる人もいると思う。ただ、大学生は授業や研究があるので、博物館が来てほしい時に来てくれるような層ではないはずだ。一昔前は、どういうわけか授業に出なくても単位がもらえたり卒業できたりしたらしい。そのイメージで「大学生は?」と当てにしてはいけないと私は思っている。大学生も育成されることを前提に考えた方がいいし、必要としている側の都合のよい使い方はできないはずで、大学生特有の“何か”に期待できないと思う。

欧米で持て囃されている仕組み、まさか会社の雇用まで関係してくるとは思わなかった。学んだことってどこで繋がる瞬間があるかわからないなという面白さを感じた出来事だった。博物館ボランティアだけでなく、他のところでも起こりうることで、「文化的背景が異なる」「社会の仕組みが異なる」とかで片付けられてしまうとスルーしてしまうが、単純な「なんか違う」「(漠然と)日本には向かないよね」では済まない根深さがあるなと感じた。


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