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noteでやっていきたいこと

 初めまして、池ちゃんです。今日から初めてのnoteです!これからの繋がりや新たな出来事との出会いが本当に楽しみです。

 僕は”きょうだい”であり“看護師“です。”きょうだい”と言われても、「ん?」と疑問を持つ方も多いと思います。ここで言う、ひらがな表記の“きょうだい“とは、障がいのある者の兄弟姉妹を指します。またまた、「んん?」と思われた方もいらっしゃると思いますので、当事者として(講演会なども開催してます)これから少しずつお伝えしていけたらな、と思います。ちなみに、僕は発達障がいのある者の兄です。つまり、“きょうだい“なんです。
 そして、2021年より看護師となって10年選手となりましたので、臨床経験のもと、いろんなことを共有していきたいです。(経験してきた領域は、主に急性期なので、そちらに偏るかも…)

「主軸としての3本柱」

・きょうだいとして、「自分らしく生きる」には…
・医療現場の看護師はどのように勉強したら良いのだろうか、その考え方って…
・右利きから左利きに?もともと左手で書いていた趣味が利き腕を支えている

「きょうだいとして、“自分らしく生きる“には…」
 自分自身が“きょうだい“であり、当事者です。ここでは、きょうだいのストレングス(強み)やしんどさ、そして自己実現について語っていきます。“きょうだい“って社会には多くいるんです。
 そして、大学院で2年間、きょうだいとしての研究をさせていただいたので、そこについても伝えていき、今後のきょうだい支援の一助となればな、と思ってます。

「医療現場の看護師はどのように勉強したら良いのだろうか、その考え方って」
 看護師として、10年選手となりました。そして災害支援ナースでもあります。この10年、僕自身も勉強について悩んできました。なぜかというと、看護よりも業務に焦点化してしまい、看護と業務が混在してしまっていたからです。
 看護師は、ハードワーカーとも言われており、肉体労働・頭脳労働・感情労働があります。そして、抱えている業務が多い現状があります。特に、コロナ禍の影響でより可視化されてきましたね。
 看護師は臨床現場で患者・家族の命を預かっている現場でもあり、病気や健康を扱っている専門職であることから、生涯学習が求められます。そのような中、学習について、講義や研修など様々なリソースはありますが、勉強は個人に依存されているのが現実です。そのような背景を打破すべく、開催しているのがoff-job勉強会。そこでは、看護師視点での“考え方“の底上げをしています。
 ここでは、そこで行っている勉強会の内容の共有や臨床教育について感じていること、そして、看護師として必要な考え方を伝えていきます。

「右利きから左利きへ?左手で書いていた趣味が利き腕を支えている」
 タイトルを読んでも、「ん?」となりますね。僕はもともと右利きだったのですが、2017年ごろから右手で書き物をするときに、右手の薬指と小指側の筋緊張があり、文字がブレてしまってました。そこで病院を受診し、診断されたのが「書痙」。局所性ジストニアとも言われ、いわゆる“職業病“とも言われてます。それからの悪化はなかったのですが、右から左手で文字を書くようになりました。
 ここで救われたのが、もともと左手で筆を持ち、詩を書く趣味があったことです。これは、相田みつをさんに憧れ、短文ですが自身の思いを書いてました。それがあってか、左手で書くのに苦はなく、今では左利きと言えるまで上達してます。前向きに考えると、右脳も発達しているのでは…とも感じております。
 ここでは、左手で描いていた作品も一緒に紹介していきたいな、と思ってます。

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「一生懸命だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳が出る」 武田信玄(戦国大名)
これは、6年前ほどに左手で描いたものです。武田信玄のこの言葉が身に染みて描いたものですが、相田みつをさんを意識している感じですね。このように、今でもたまに感じたことを左手で描いて表しています。

 以上の主軸の3本柱を中心に、僕が持っている知識や考え方を共有して、そこからたくさんの方々と繋がっていけたら嬉しいな、と思います。ぜひ、みなさんの“考え方“も今後語り合えたら嬉しいです。

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 ↑お出かけが好きで、その中でも写真を撮ったりするのも好きです。

独り言
 人それぞれの人生があって、その人生そのものがその人を表している。その人の“人生価値“でもありますね。
そして、それぞれのStoryがあります。

「人はそれぞれ自分の人生での主人公であり、ストーリーがあること」
 人は社会と共に生きています。社会とは残酷で、人の心を弄ぶように振る舞ってきます。しかし、悪いことばかりではないのも事実です。
 社会ってなんだろう、と考えた時に、その社会を形成しているのが“人“であり、僕たちなのだと。そして、“人は環境によって育てられる”とあるように、僕たちもその人にとっての一環境なのだと。
 要するに、その人と関わる、ということはその人の人生にも関わっていることになる。そのため、人と関わる時には自分自身もその人にとっての一環境なのだと意識しなければならない、と思う。意識しているのと、していないのとでは全く違ってくる、と思う。

「何事にも、“考え方“なんだろうな」
 臨床(医療現場)では、医療者(専門職)として患者・家族に関わることがある。それは、僕自身(以下、池ちゃんと言いますね)としての自分も居るが、看護師としての自分が優位にある。そしたら、その患者・家族にとって、池ちゃんという看護師の言動や行動によって人生が救われるかもしれない、またどん底に落とされるかもしれない、と考えると、とても慎重にもなるし、プロとして自己研鑽に励もうともなる。
 場面場面で主人公は変わってくるが、その時の自分の役割は何なのか、考えていく必要があるのかな、と思う。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


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