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乗り継ぎ便は楽しい

 海外旅行には二度しか行ったことがなく、しかもその二度の両方とも行き先が英国だったという未熟者ではあるものの、私は飛行機の乗り継ぎ便がとても好きだ。もちろん、直行便のほうが移動時間が短くて便利なのだろうが、何せ値段が高い。決して安い買い物とは言えない航空券を買うのなら少しでも節約に貢献してくれる乗り継ぎ便を選ぶという選択肢は今の私にとっては譲れないし、それはもう少し経済的に余裕ができても変わらないのではないかと思う。

 何故なら、乗り継ぎ便には直行便の便利さとスマートさをもしのぐ魅力があるからだ。それは、ある国への海外旅行を楽しみつつ、ちゃっかりもう一国でのしばしの滞在を楽しめるという点である。もちろん、ビザなどの関係上空港から外に出してもらえることはなく、歩き回れるのはあくまで空港の中のみなのだが、それでもその国の雰囲気を味わえる要素はそこら中に見つかる。お土産物屋を物色したり、現地の食べ物や飲み物を買って賞味してみたり(オランダ・アムステルダムのスキポール空港ではチョコレートドリンクを買った)、それだけでもかなりわくわくとするものだ。

 また、乗り継ぎ地の空港に降り立つ直前、飛行機の窓から現地の風景を眺められるのも楽しい。ロシア・モスクワのシェレメチボ空港で乗り継ぎをしたときにはすでに辺りは暗くなっており、見えるものは無数に散らばる街の明かりだけだったけれど、それはそれで私のロマンをかき立ててくれた。空港付近に数えきれないほど点在するオレンジ色の家の光を見ながら、この光一つ一つにはそれぞれの家族のどんなストーリーが詰まっているのだろうと考えていたのだ。そしてもちろん、その家族のストーリーにはそこに住むロシアの人々の何代にもわたる系譜と歴史とが刻み込まれているはずだ。ピョートル大帝にイヴァン四世、極寒のシベリアにふかふかのロシア帽など、学生時代に世界史や地理の授業で習った知識が断片的に思い出され、同時に日本人の私はそれらと何と遠い場所にいるのだろうと実感させられ、愕然とする。私が例えどんなに一所懸命にロシア語とロシア史を勉強したとしても、今までロシアという厳しい環境の中脈絡と続いてきたその歴史に加わることは99.9%不可能だ。この感覚は少々さびしいし、歴史の圧倒的な差異をまざまざと感じさせてくれるものだけれど、同時に切なさを孕んだ楽しさもある。 

 これと同じような感覚は夜のロンドンを歩いているときにも得たことがある。滞在先のホテルの場所が分からず、図らずもロンドンの街中で迷子になったとき、ふと私は大きな恐怖に襲われた。「暴漢に襲われたらどうしよう」という恐怖ではもちろんなく、夜だからこそ感じる現地の歴史の深さに対する畏れである。例を挙げるなら、「今私が立っているこの場所を、百年前はどんな人がどんな格好で歩いていたのだろう」と考えたりする。その歴史的想像は非常に楽しい一方で、一抹の不安感というか一種の敗北感をも秘めているように思う。

 そんなこともあり、やはり私が外国に行くのが好きだ。現地に行ってその風土や独特な雰囲気を体感し、圧倒的な歴史の壁にぶつかるという感覚を持つのが。そして飛行機の乗り継ぎ便はそうした楽しさを私に与えてくれる場所の一つなので、いくら不便であったとしても欠かせない存在である。

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