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ダイエットと私〜摂食障害と対人不安〜

podcast「恥を抱きしめて」#45「ダイエットと私 摂食障害・対人不安・パーソナルトレーニング」のあとがき(補足あり)です。

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今回のテーマは、約20年にわたって向き合ってきた、ダイエットやボディイメージ、摂食障害、対人不安などについて、自分の中での大きな3つの身体の変革期を振り返りつつ、現時点で考えていることやトライしようとしていることをまとめました。

長年向き合い続けた、自分の弱い部分、まさに「恥」ずかしい話。
それについて考えていることすら悟られないようにしてきたテーマを、こうして部分的にでも話せるまでになったのは、一生懸命向き合い、太っていた時の自分を抱きしめられるようになった結果なのかと思います。

自分と同じように人知れず悩んだり向き合っている人に届いたらいいなと思い、置いておきます。

不登校と「太っている」自覚

小6の2学期に転校し、生まれ育った町を離れた私。
多感な時期だったこともあり、女子のグループからハブられたりいじめられたりするようになり、不登校になりました。

今思えば食べる量が増えていたのか、活動量が落ちたからか、はたまた鬱状態や自律神経失調症に伴った症状の一つなのか。
とにかくそれまでの標準的な体重からいくらか増えたようでした。

思うがままに過ごしていたら学校に行けなくなり、思うがままに過ごしていたら太っていたのです。

娘が学校に行けなくなったこと、太ってしまったことを、母はとても不安がりました。
母の激しい動揺や焦り、ヒステリックを目の当たりにし、
「自分はダメな子なんだな」
と毎日感じながら過ごしていました。

登校したある日。
運動会の学年合同練習がありました。
組体操の3段タワーの練習で、私は2段目の柱として1段目の男の子の背中に乗りました。

私が彼の背中に乗った瞬間、彼は大声で叫びだしました。

「重い重い重い!!!誰だよ、俺の上に乗ってんのは!」

私は急いで彼の背中を降りて、乗っていたのが自分だと知られないように、その場から走って逃げました。

「自分は太っているんだ。自分はダメなんだ。」

クラスメイトとうまく馴染めなかったことと、自分が太っていてダメらしいということが雑に結びついていきました。

小学校の卒業アルバムは、私の中で恥ずかしくて消したくて、辛くて恨めしい存在でした。

ずっとアイドルになりたかったけれど、こんな写真が残ってしまったのではもう終わりだ。
もうアイドルにも何ににもなれない。

本気でそう思って絶望していました。

随分と大きくなってから母にその胸の内を明かした時、
「それなら卒アル、捨ててもいいよ!」
とポップな口調で言われ、拍子抜けしました。

変な話ですが、卒業アルバムを捨てた時、それまでで一番母からの愛情を感じました。

初めてのダイエットと成功体験

中学受験で私立の女子校に入った私。
クラスメイト全員がはじめまして同士の中、面倒見の良い校風も手伝って、勉強や部活などで一つ一つ成功体験を積み、自信を取り戻していきました。

中学2年生になると、太ったり痩せたりの仕組みをインターネットで知り、初めてダイエットをしました。
1〜2ヶ月ほどで体重はスルスルと減り、身長が伸びたこともあって「シュッとした標準的な体型」になりました。

中学入学前、制服の採寸をした女性に
「この子はまだまだ大きくなるから大きめに作っておきましょう」
と言われた母は、
「まだ大きくなるのかと不安だった」
と笑い話として何度も私に言いました。

痩せたことで周囲が心なしか好意的に接してくれるようになったこと、母親にも褒められたことで、「痩せることはいいことなんだ」という感覚が根付いたように思います。

友達とのトラブルは色々あったものの、仲の良い子ができたこと、部活などで居場所を感じられたこと、成績が良かったこと、そして痩せたこと。
それらは自分のアイデンティティ、セルフイメージとなっていきました。

中学でのダイエット成功以降は、規則正しい生活リズム、整った食生活、そして毎日の運動習慣によって高校3年生まで比較的「シュッとした」体型を保っていました。

常にもっと痩せたいなと思い、たまに厳しめの食事制限をしながらも、ひどい摂食障害には陥っていませんでした。

生活が乱れ過食症になったバンドサークル

私の身体と心が最も苦しかったのが、大学3、4年生から社会人1年生くらいまでの頃

大学入学後は、念願のバンドサークルに入りました。
初めて音楽の話ができる友達や先輩たちと巡り会えたことにとても幸せを感じていました。

飲み会に参加したり、友達の家で朝まで遊んだりするうちに、すっかり生活習慣や食生活が乱れていき、少しだけ太りました。

サークル周りの人に「太ったね」と具体的に部位を指摘されたり、それが恥ずかしくてダメなこととしてクドクドとコメントをされました。

私が身を置いたバンドサークル周りには、女性の容姿や言動に気安くコメントしたり蔑む人が多く、(演奏力や知識に対してもですがここでは省略します)ずっと査定されている感覚が苦しくなっていき、体型や服への自信がなくなっていきました

小学校での苦い経験と、中高での成功体験によって、
太っている=ダメなこと、自分に甘い人
という価値観が根付いた私。

コメントしてくる相手への怒りよりも、太っている自分がダメで、こんなのは本当の自分ではなくて、もう消えてしまいたい、という気持ちの方が強かったです。

太っている以上何を言われても仕方がないし、太っている自分が悪い。
痩せたいなら食べずに動けばいい。
それなのに、なぜか常に気持ちが不安定で、食生活も思うようにコントロールできない。
そんな状態に苦しんでいました


徐々に不安定さは加速し、大学4年頃には完全に過食症と拒食症に陥っていました。
中高でキープしていた体重から、気づけば10キロ以上増えていました。

人と一緒にいる時は食べられなくなり、夜中家族が寝た後に家に帰って、冷蔵庫のおかずを冷たいまま食べる。
食べ始めると食べるのが止められなくなり、後悔して泣く。
苦しいまま疲れて眠り、死にたい気持ちで起きて食べない日を過ごす
、といったことを繰り返しました。

私は再び、人と馴染めない・太っている・常に消えたいと思う
という不登校の時の自分を再体験していました。

また当時は熱烈な片思いをしており、気を持たせる態度をされながらもOKはもらえない、という時間を長く過ごしていました。
「こんな自分だからダメなんだな」
そう思いながらも、諦めることができないまま、自分への自信がどんどん削れていきました。

周りのみんなは就職活動を始めていましたが、自分はとてもそんな状態ではありませんでした。
こんな私に将来なんてない。どうでもいい。
死んでしまいたい。

当時の親は、自殺をしようとするまでに追い詰められている私に、何も言いませんでした
ただ、ちゃんと卒業しろよ、ちゃんと働けよ、という圧だけ感じていたのでした。

そんな未来への絶望感や無言の圧力もまた「アイドルにも何ににもなれない。もうダメだ。」と絶望し、受験に合格しろよという親からの圧を感じていた小学6年生の時の自分と似たものがありました

太っていた時に出会った人たちがいつまでも痩せたと言ってくる

サークルに居場所がなくなった頃、自分でバンドを始めました。
自分の居場所を作ろうとしました。

しかしバンドで出会う人々の中にも(当時のメンバーにも)容姿のことをいちいちコメントしてくる人がおり、大変苦労しました

大学を卒業し、社会人になってしばらくすると、人間関係が落ち着いたことや仕事が始まったこともあり、体重と見た目は元の基準に戻っていきました。

バンド周りの人たちは、私が少しふくよかだった時に私を知った人が多くいて、会うたびに「痩せた?」のようなコメントを浴びせられるのが苦痛で仕方なかったです。

*体型へのコメント全部全部余計なお世話だバカヤロウも聞いてくださいね


体重増加を最小限に収め、妊娠前より体重を減らした産後

基準となる体重に落ち着いて数年経った頃、私は妊娠しました。
妊娠すると、自ずと体重は増えます。

苦しかった頃の体重の数値を見ることや、体型が再び崩れることに焦りや恐怖を抱いた私は、最低限の増加すべき体重を調べました。(+7kgと出てきました)

毎日厳密にカロリーを計算し、妊婦ができる運動をして、つわりやマイナートラブルなどに苦しみながらも、人知れずなんとか7kg以内の体重増加に収めて、子供を産みました。
(手前味噌ですが、これはなかなかに大変なことです。)

産後の私は引き続きカロリー制限と運動を毎日しました。
そして、妊娠前の自分の基準体重をいくらか下回る数値に急ピッチで落としました

産後はコロナ禍。
育児のままならなさとコロナの不安・どうにもならなさを体重や体脂肪率などの数値を「コントロールできている」ことで達成感を得ていたようにも思います。

基礎代謝より少ない食事をやめるリハビリ

いつしか基礎代謝よりも低い摂取カロリーを続ける生活になっていきました。
産後だったこともあいまって、毎日身体の様々な不調に悩むようになりました。

痩せている自分を見るのは本当に嬉しかったし、安心したし、まだまだ削りたいと思っていました。
しかし、ずっと食べ物のことを考えていたり、体調が優れず、やりたいことをやる元気がないことは深刻な悩みとなりました。

自分がなぜこんなにも体重や見た目、食事のことを気にしてしまうのかを思い悩み、摂食障害をはじめとした心理学の書籍を多く読むようになりました

そうしていく中で、
もっと楽しく食べたい。
美味しくたくさん食べたことを責めない自分になりたい。

体調を優先して、自分に優しい生活ができるようになりたい。
と思うようになりました。

摂取カロリーを増やし、「適度に食べながら代謝を上げて脂肪を落とす」食生活になるように意識しました。

摂取カロリーを意図的に増やすことで、体重が増え、正しいことをしているはずなのにそれまであった数値的な報酬がないことに焦りました
育児もまた、子供の年齢ごとに悩みが移り変わり、ままならないことが増えます。
ストレスは甘いものを欲し、うまくコントロールできません。

「全然食べない」は簡単なのに、「適度に食べる」って本当に難しい。

それでも最低限のカロリーはとるようにして、自分的には少しテンションの下がる見た目や体重・体脂肪率になることを我慢して、体調を優先した生活をしています。
(おかげで、体調がかなり良くなりました。)

最大限頑張って暮らして、そういう数値を出してくるならば、もう私はそういう数値の人間なのです。と、体重計に対して声に出して抗議をする朝もあります笑

数値のわずかな増加にも死にたくなっていた頃よりは、自己弁護ができるようになったと捉えています。

思えば体重のとある数値は辛かった頃の自分をそのまま意味する記号になり、私はその頃の自分から遠ざかることで幸せや安全を確保しようと躍起になってきたところがあったのだと思います

パーソナルトレーニングという新しい道

今月、新たにパーソナルトレーニングに通い始めました。
「ケイコ目を澄ませて」という映画の中で見た、ボクシングのトレーニングの様子が楽しそうだとときめいたことがきっかけの一つです。

自分一人で運動や食事と向き合っていると、数値だけが報酬になってしまう
そうではなくて、人を巻き込んだ形で、数値以外の身体との楽しい向き合い方を見つけたい。そう思ったのでした。

人に筋トレのフォームが違うと指摘されて直す。
使ったことのない器具を使えるようになる。
新しい技を練習する。できるようになる。
褒めてもらう。

そう言ったことを期待して、かねてから気になっていたパーソナルジムの扉を叩いたのでした。

これまでにも例えば
ランニングする、オンラインパーソナルを受けてみる、など、
違うアプローチをしたことはあったものの、不審者にあったり、トレーニングではなく雑談をされてしまったりと、人にがっかりする結果に終わっていました。

しかし今回は、当たるまでくじを引き続けよう!そう思ったのでした。

パーソナルジムはかなり手応えがあり、楽しくトレーニングができそうな予感がしています。
しかしそれもまた続けていく中で違うなと思ったら、より良いと思うものを試していくまでです。

「こんな身体との関係でありたい」という今の目標

体調を優先し、身体と楽しく向き合い、適度に食べて、その上で自分がいい感じ!と思える見た目にしていきたい!
それが今の目標です。

身体はやはり様々な要因によって揺らぎます。
そのことを人にとやかく言われたくないのは当然。
そんなことは大前提とした上で、自分が自分の身体と健全で楽しいコミュニケーションをとっていたい。そう思います。

自分が短期的にも、長期的にも楽しくて心地よい状態を目指して、自分に合う形を模索している最中です。

ここまで身体と向き合ってきたことをまとめましたが、何回も何回も自分の内面と向き合い、書き出し、夫に話し、そうしてやっとこうして人に話すことができるようになっています。

まだまだ話せていないこと、向き合い中のこともありますが、話せるなと思えたところで少しずつラジオで話していけたらと思います。
ラジオの方もぜひチェックしてみてくださいネ!

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