見出し画像

行き止まりな、若い恋人たち

17歳の時、家族に内緒で夜行バスに乗り込み、10時間もかけて意中の男の子に会いに行った。

両親には、女の子の友人の家で2泊3日する、と嘘を吐き、本当の向かい先は、1つ上の、大阪でバンドをやっている男の子の家だった。

あの夜の、ときめきといったらない。


人生初の夜行バス。
それだけでもう、胸は高鳴っていた。

晴れていたが、ロータリーの場所は薄暗く、わたしの他に数人、スーツケースを携えた大人たちが静かに、バスの来るのを待っている。

乗り込んだバスの座席は通路が狭くて、背もたれも倒しにくく、腰を痛めそうだった。夏場とはいえ、冷房が効き過ぎていて肌寒く、何かかけるものが必要だったのかと学んだ。

カーテンを開けないように、というドライバーの注意事項を無視して、バス内の照明が落ちてから、マジックテープの貼られたカーテンをこっそりと開けると、真っ暗で何も見えない高速道路の上を、星がかすかに、ちらちらと瞬いていた。


人生初めての逢瀬は大成功。
わたしは意中の男の子のバンドが出演するライブハウスに足を運び、バンド仲間たちに「夜行バスでわざわざ来たの!?」と大層驚かれ、どうぞどうぞ先頭へ、と周りの観客らにも誘導され、男の子の生演奏(ベーシストだ)を存分に堪能した。


男の子の家までは、電車と徒歩で移動して、向かった。
移動中、男の子はずっと照れた様子で、緊張で喋れないということは無いにせよ、わたしと目を合わせようとはしなかった。


男の子の家は、すごく綺麗でも、すごく散らかっているわけでもなかった。

本棚に並んだ『ぼのぼの』の漫画。
拾ってきたという、名前のない、小さな黒猫。
カタカタと揺れながら首を振る扇風機。
すぐに詰まる、お風呂の排水口。
照明が切れたままになっていて見えづらい洗面所の鏡。

寝転びながらするしりとりでは、「り」が来ると、決まって男の子は「りかこ」とわたしの名を答えた。「りかこ」は3回も4回も出てきた。

ちらりと覗きに行ったもののすぐに帰ってきた道頓堀。
すごく近くのスーパーなのにわざわざした2人乗り。
買ってきた粉と家にある機械とで笑いながら作ったたこ焼き。
随分溜まっていて、2人で片付けた洗い物。
生演奏!と言って弾いてくれたBUMPの「車輪の唄」。


そうしてまた、人生2度目の夜行バスで帰る。

背もたれが倒しにくいところも、冷房が効き過ぎているところも、カーテンを開けた先で、星がちらちらと瞬いていたところも、来た時と一緒だった。

心の中は、ほんのすこし寂しく、ほんのすこし安心していた。


17歳のわたしにも、18歳の男の子にも、お互いに、これは運命だとか、また会おうとか、ずっとそばにいようなどという覚悟も期待も熱量もなかった。
単に、映画に出てくる惰性的な恋人たちのような、その世界の持つ幸福さがいかなるものかを試したにすぎない時間だったことを、お互いに分かっていたから。
それは十分すぎるくらいに味わえた。その為の相手には、男の子は驚くくらいにぴったりだった。

父と母には決して言えない、2泊3日。
帰ったら、アリバイに用意した、女の子の友達との写真を見せるのだ。

だけど、いつか大人になったら言ってもいい、と思った。その時にはきっと、もう時効でしょ、と笑えるだろうから。

わたしを乗せたバスは、淡く完結した恋を残して、ずんずんと進んでいく。

♪キャラメルフレーバー/SISTER JET

行きも帰りも、聴いていたのはSISTER JETだった。
「ふたりはこのままどこまでいけるかな、中古のオンボロ車で」
未来について、決定的なことを話さない、ゆるい不幸と、ささやかな幸せとの毎日を送る、小さな恋人たちの歌だと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?