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他人軸、他者評価、比較優劣の呪縛を乗り越える~「私なんて価値が無い」「私なんてどうせ愛されない」が強すぎる人が幸せになるために~

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「容姿のコンプレックスで自分らしく生きられなくなってしまった」

「結婚してないことについて見下してくる人に腹が立つ」

「誰も私のことなんか大して好きじゃないし、どうでもいいと思われてるし、自分の価値や居場所を認めてくれてない気がする」

「周りは敵だらけだけど、でも、分かり合える人や愛し合える人と一緒になりたいという希望を捨てきれない」


読者から、そんな相談を頂戴しました。



・私は誰からも愛されない
・私は誰からも好かれない
・私には魅力や価値が無い
・私は常に他者より劣位

そんな、「無価値感」が強いと人生やパートナーシップで大きな苦しみを抱えるようになります。

そんな苦しみから逃れるためにはもはや「他者とは一切関わらない」以外にないのですが、そんなことは到底無理な話です。多かれ少なかれ、私たちは他者との繋がりのなかで生きているからです。



どうすれば「他人軸」の呪縛から脱して、生きやすさを手に入れることができるのでしょうか。

どうすれば「無価値感」の呪いを断ち切って、自分を好きになれるのでしょうか。

どうすれば、幸せになれるのでしょうか。

どう考え、どう行動していけばいいのでしょうか。



他者との関わりや恋愛で悩みを抱えてる方は、必見の内容です。



【ご相談ここから】



送信者:kkさん



先日は私の相談を取り上げてくださってありがとうございます。

誰も自分のことをわかってはくれないし、そもそも分かってもらえると期待しないほうがいいだろうと思っていたので、理解してもらえるのはこんなに心が救われるものなんだと、電車の中で読んでいたのにうっかり泣いてしまいました。

ありがとうございます。



私のことを「依存型情熱派」とおっしゃっていましたが、そのとおりで、私は自分の心を預けるに値する人をずっと探し続けていたのだと思います。

そうして長く交際してこの人かもしれないと婚約をした人がいました。でも他に好きな人ができたと言われて破談になったことがあり、それで無価値観が強化された面もあると思います。



今回ご相談したいのは、どのように無価値観を克服していくのかについてです。



いま無価値観を与えてくる怒りや反発心の対象というなら、特定の個人よりも、この世界や風潮といったもののような気がします。

それは、きれいじゃなければただそこにいるだけでもハズレ扱いされたり、バカにされ、無視され、不公平が当たり前とされるこの世界です。

学生くらいまでは、容姿で人をバカするなんてまわりの人間が子どもだからだろうと思っていましたが、大人になってもそれは変わりませんでした。

むしろ学校のほうがテストや成績という絶対的な評価があるぶんまだましだったかもしれません。

採用では業務に容姿が関係ない職でもそんな基準などないていをとりながら容姿が重視され、社会でもひいきされたりします。そしてそれはある意味で正当で当然のことだとされています。



また、結婚していない、彼氏がいない、子供がいないということで、かわいそうな人扱いを受けることも多いです。

あるいは自己中心的だから・性格に難があるから結婚できないとか、子供がいない人は大人になれていないなど、人間性や人格に問題があるかのように言われたりもします。

私がどんな人生を送ろうと、それはそれでいいねとみんな放っておいてくれればいいのに、世の中にはありのままの自分を受け入れる人のことを認めたくない人が一定数いる気がしています。

他人に「自分は不幸だ」と思い悩んでいてほしい、お前は不幸なんだぞ、それはお前に価値がないからでそれもお前のせいなんだぞ、と自覚させて、身の程を思い知らせたい人がいるのだと。

そしてそういう人はこれまで自分が思っていた以上にたくさん存在しているようだと思うようになりました。



また、もともと仲の良かった友人たちの間でも結婚や出産をしているしていないで付き合いが分かれていきます。

これまで結婚していない友人が誘ってくれていたのが、結婚と出産をしたとたんに、している側と付き合うようになり、これまで誘ってくれていたのは、「私という人間に絆だとか魅力を感じてくれていた」からではなくて、ただ「劣等感を感じさせない人間だったから」なのだなあと思ったりします。

もちろんこの友人にもそんな意識や悪気などないと思うし、それ自体も悪くもないと思います。私が勝手に被害妄想的になっている部分もあるのでしょう。



でもこのように、いくら他人軸に振り回されないよう意識して、「自分は自分だ」と自分のことを好きでいようとしても、ことあるごとに「お前に価値などない」「お前が欠陥人間だからだ」と、故意にしろそうでないにしろ、あらゆる方向から突きつけられる気がします。

それはその人が悪人だというわけではなく、そういう世界でみんな自分に配られたカードで生きるしかないし、結局は自分の考えを変えるしかないのだと理解はしています。



ただ自分がこの世界で生きるのに向かないカードを配られた人間で、それを逆転できるほどの頭もなく肝も据わっていないし、ただ仕組みには受け入れられない側だというむなしさが日々募っていきます。

最近では、世界とはそういう(私にとっては)地獄のような場所であって、自分も含めて人間は簡単に他人を裏切るものだし、自分の機嫌は自分で取るべきだし、1人で楽しめる趣味もあるし、と諦めて割り切るようになりました。

ものすごく楽に生きられるようになって、その場その場では誰とでも笑って楽しく過ごせるし、日常生活にも問題はありません。



同時に、他人に対する執着や依存というべきか情熱というべきかそういったものはほとんど消えて、恋愛にしろ友情にしろ人間関係に深い興味を持たないようになってしまいました。

ご指摘のように、防衛反応なのだと思います。



そうやってもう誰とも深く関わらないほうがいいと思うと同時に、でもやっぱり、お互いに分かり合おうとできる人がどこかにいるんじゃないか、そういう人と一緒に過ごせたらいいなという気持ちを完全に消すことができなくて、苦しいです。

いただいたアドバイスや記事を読んで、また昔のように誰かに興味を持って、頑張って親密感への恐れを克服してでも仲良くなりたいと思えるようになるには、まずは揺らがない自己肯定感が必要なのだと思いました。

でも他人との関係を断たずにいれば、誰もお前なんか大して好きじゃない、どうでもいい、無価値だと言われたり示され続けて、家族以外の誰も自分の価値や居場所を認めてくれないとしても、自分軸でありつづけて自分は自分でいいし、無条件にすばらしい存在だと心から感じていられるようになるには、どう行動していけばいいのでしょうか…。


(長くてすみません…)



【ご相談ここまで】



kkさんより、こちらの記事へのご感想と再質問をいただきました!ありがとうございます。



前回の記事では、kkさんが「好きな人ができてもいつも相手を拒むような態度や行動をとってしまう」「無自覚的に別れるように仕向けたり、傷が少しでも浅くなるように自分から相手を切ってしまう」というご相談を送ってきてくれまして、それに対して私が、「それはkkさんには根本的に無価値感があるからなんだよ」「kkさんが自分を責めまくってるからなんだよ」「無価値な私という思い込みが強いから相手を拒絶してしまうんだよ」という回答をさせていただきました。

また、kkさんが過干渉なお母さんのもとで育ったこと、そして何かと妹と比べられて育ったことが「私は無価値なんだ」を助長してるのかもしれないね、というアドバイスをした上で、
無価値感を癒やす方向性として、「家族に対して物申したいことを吐き出すワーク」と「家族からのを受け取りなおすワーク」というものをご紹介させていただきました。

良記事ですので、まだ読んでない方は前回のものも読んでみてくださいね。



ーーいただいたアドバイスや記事を読んで、また昔のように誰かに興味を持って、頑張って親密感への恐れを克服してでも仲良くなりたいと思えるようになるには、まずは揺らがない自己肯定感が必要なのだと思いました。ーー



ピピー!まずはここに赤ペン入ります!



うちの常連さんたち(自立系読者たち)は何かと言うと「頑張ります!」「努力します!」「克服します!」「やったります!」「私は負けません!」みたいにガチガチに肩に力が入っちゃう癖があるんです。そして自分を追い込んでしまう。完璧主義的になってストレスまみれになっちゃう人も多いです。



常識とはちょっと違うかもしれませんが、「頑張る」「努力する」というのは実は世間でイメージされているほど良い単語ではありません。ニュアンスとして、「(このままじゃダメだから)頑張る」「(今のままじゃアカンから)努力する」という風に自分の脳が解釈してしまうからです。

すなわち、「自己否定の言葉」なんですね。過去記事を全て振り返ってもらってもかまいませんが、私は読者に向けて「頑張る」「努力する」という単語を使ったことはおそらく一度もありません。

kkさんが目指す、「ありのままの自己肯定」的な発想においては、これらの単語はけっこう水と油なんですね。「自己肯定できるよう、頑張る」というのは実は、私たちの脳内においてはけっこう矛盾しちゃってるんです。

つまり、「自己肯定できない自分を否定してしまってる」という状態なんですね。



代わりになる言葉としては、現状の自分を否定しないような、「~へ向かっていく」「~をしたいと思う」という願望系/ビジョン系の言葉を積極的に使っていくと良いでしょう。

細かいことかもしれませんが、やっぱり日々自分が使う言葉が自分のマインドに与える影響ってデカいので、是非意識してみて欲しいところです。

「今の自分をダメだと思わない」のが無価値感の癒し→自己肯定/自分軸のスタートラインです。

RKマガジンの常連のみんなは他人にはめちゃくちゃ優しいんですけど、自分には滅法厳しい特性がございます。自己否定と自分虐めはほどほどに。まずは自分にも優しくしていきましょう。



ーーいま無価値観を与えてくる怒りや反発心の対象というなら、特定の個人よりも、この世界や風潮といったもののような気がします。ーー



これはRK読者も「分かる分かる」「ほんとそれな」の嵐なのではないでしょうか。

kkさんが挙げてくれている例を中心にお話しするのであれば、


・きれいじゃなければただそこにいるだけでもハズレ扱いされたり、バカにされ、無視され、不公平が当たり前とされる

・結婚していない、彼氏がいない、子供がいないということで、かわいそうな人扱いを受ける

・結婚してないだけで「自己中心的な人」「社会性のない人」というレッテルを張られる

・人の劣等性を見た上で、「お前は不幸な人間なんだぞ」とそれを相手に想い知らせ、安心感を得ようとする人が多い

・「この人といると劣等感を感じなくてすむから、、、」という理由で人付き合いしてる人がどうやら多い

・相手を「かわいそうな人」と思うことで自分のポジションを確保しようとする人が多い



こんな例は本当にいたるところで見受けられますし、私のところにも多くの質問が寄せられます。



きっと多くの人が悩んでます。でも、みんなが何となくお茶を濁してる話です。



例えば、男女問わず容姿のコンプレックスを持っていて身近な誰かなどと自分を比較して劣等感を持つのはあるあるです。

でも、多くの場合それはkkさんの感じてるような「怒り」までにはなりません。

多くの人にとってそれはせいぜい「モヤモヤ」どまりです。日常のふとした瞬間に容姿の劣等感やモヤモヤを感じたとしても、帰宅して冷蔵庫に美味しいプリンがあればもう容姿のことはすっかりどっかに棚上げされてしまいます。

(そして、また同じ悩みをまた、いつかどこかで繰り返します。)



いくら容姿にコンプレックスがあるとはいえ、多くの人は腹を抱え込むほど苦痛を感じたり、涙がでるほど悔しんだり、しがない場末の文筆家宛てに怒りの長文をしたためるようなことはないでしょう。

持続的で強烈な怒りを感じるのはきっと、kkさんがあまりに繊細だからですし、あまりに繊細なのはなぜかと言えばあまりに無価値感の傷が深いからですよね。



そして、kkさんは「こんな世の中狂ってる」「みんなどうして変だと思わないの?」みたいに感じたことは一度や二度ではないと思うのですが、そういう常識にとらわれない視点を持てるのは非常に大きな才能のひとつですので、そこは自分をぜひ認めてあげて欲しいと思います。

強すぎるまでの繊細さや、「他の人には持てない視点がある」というのは生きにくさにも繋がる反面、将来的に自分らしい幸せ(ライフワーク)を模索していく時の大きなキーになります。

そこはご自身の長所のひとつとして、ぜひ大切にしてあげてください。



kkさんが感じる劣等感やコンプレックス、無力感、そして怒り。

その背景でkkさんを苦しめているものは、
kkさん自身の強すぎる繊細さであり、強すぎる無価値です。



無価値感がなければ(=自己肯定感が高ければ)他者からどう思われようと、他者が自分をどんな風に見ていようと、世の中がどうであろうと、「へー、ふーん、あっそ、それは素晴らしいですね」みたいな感じで、良い意味での無関心になることができます。

無価値感を癒やすことにより、他者との関係に「フラットさ」みたいなものを取り戻すことができるようになります。
相手を拒絶するでもなく、比較優劣に苦しむでもなく、べったり癒着するでもなく、良い距離感でラクに人間関係をつくれるようになるわけです。

ここが今回の相談でkkさんが目指したい境地なんだろうと思います。kkさんはおそらく他者も含む、「世間」あるいは「世界」とそのような関係を取り戻したいと考えておられますが、ここは分かりやすく「他者」と言わせてください。



こういう他人軸だとか、「お前は劣等だ」と突き付けられるような感覚や、「あなたと比べて私は恵まれてるわ」と優越感を持たれてるような感覚や、マウントされてる感覚や、みんなに責められてるような感覚を抱かせるのが「自分は無価値である」という無価値感でして、この傷を回復させてあげるのが重要です。

この傷を回復させてあげることにより、kkさんの「悪い意味の繊細さ」は薄れていくでしょう。そして、kkさんがビジョンとして描いてる「お互いに深く分かりあえる人と一緒にいたい」に近づいていくでしょう。



「他者は敵だから」

「他者は自分を責めてくるから」

「他者は私を悪く言うから」

「他者は私を劣等だとみなしてくるから」

「他者は私をダシにして幸せを得ようとしてるから」


そんな感情が強いと、猜疑心の塊になってしまい誰かと素敵なパートナーシップを結ぶことはできません。恋愛も人間関係も窮屈なままです。

ストレスはたまる一方でしょうし、親密になることを避け、自分から殻に閉じこもり続けることになるでしょう。

自分軸を取り戻すこと、そして同時並行で無価値感を癒やすことがとっても大切です。


以下、kkさんや読者の皆が、この他者評価と比較優劣に満ちた生きにくい世の中を少しでも生きやすくなるために、具体的な解決策を解説していきます。


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