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色白の2体のお人形

第1章 白い恐怖の幕開け


そもそも産まれてきたことが間近だったのかもしれない。

ヒロコには独特の症状があった。

突然、頭の中が真っ白になり、詳細にいうとホルマリン漬けになった脳みそを思い浮かべてほしい。その脳みそが頭蓋骨の中で急に真っ白い色になり、全ての思考が停止し、何の音も聞こえなくなり、目の前の風景が真っ白な竜巻のように見え、もの凄い勢いで回りだし、元の意識がある状態になかなか戻ってこられなくなることが、4歳の頃から多々あった。

しかも、戻りかけつつある時に身体が、特に肩から腕が異常にガクガクと震え、それがヒロコにとって自分でもとても怖く、やっと周りの風景が見える、我に帰る状態に落ち着くのだ。

ヒロコにとってその状態は、自分だけがどうにかなってしまったんじゃないかといつも思い、症状が治り我に帰った瞬間、すぐに周りを見渡すのが癖にさえなっていた。

その症状は突然やってくるので、教室の中のクラスメイトは「一体あいつは何なんだ?何をしてるんだ?気味が悪い。」と思ったに違いない。
それがいじめられる原因の1つだったとも、今となっては考えられる。

ヒロコはこの症状に自ら名前を付けた。「頭真っ白」と。

そして発症時から現在まで、「頭真っ白」は時に状態を変えながら、ずっとヒロコに纏わりつくのであった。

第2章 赤と黒の世界

前章の「頭真っ白」状態の前に、実はヒロコにはもう1つ発症している、確実な病気があった。
その病名は喘息だ。
ヒロコが2歳の時、突然喘息を発症した。夜、眠った後に急に発作を起こし、当時、あまり流行りのなかった病名の喘息を知らなかった両親は、とても驚きパニックに陥ったという。

救急車を呼ぶこともなく、翌日、発作で息ができず苦しむヒロコを両親は、市の総合病院に連れて行き、喘息であると告知をされた。
さいわい入院までしなくても済む喘息だった。総合病院で喘息用の吸入器で処置を行い、薬をもらい自宅に帰された。

自宅に戻ると困ったことが起こった。
ヒロコは喘息用のラグビーボール型をした(テオドール)大きな錠剤や他の薬を(粉薬や錠剤、カプセル)、どうしても飲み込むことができなかったのである。

当時は薬をうまく流し込むゼリーのような物はなかったので、両親はジュースを用いて飲ませたりするのだが、それでもヒロコは薬を飲み込めなかった。
病院に連絡を入れても「飲ませるしかない」の返答だった。

それでもやはり飲み込めないため、両親もこれ以上手の尽くしようがなく、発作が自然に治るまで待つしかなくなったのである。

その間、ヒロコは2歳児ながら自分のことを、両親に対し申し訳なく思いつつも、どうしても駄目なことは駄目なので、発作で息を吸ったり吐いたりするのがとてつもなく苦しくても、我慢して寝ながらやり過ごすしかなかった。

といっても、喘息は布団で横になっていても息が苦しいし、かといって起きていられもしない、すごく厄介な物だった。

でも、寝ているしかない。
目を瞑っていると、喘息のあの息苦しい独特の呼吸に合わせ、『ヒューヒュー、ゼェーゼェー』という音が、心臓付近で鳴り繰り返される。その音が繰り返されるたびに、ヒロコの瞼の裏は赤、黒、赤、黒、といったように点滅するのだった。

2歳で発症してから、喘息の発作が起きるたび、赤と黒の点滅の世界に、常に閉じ込められた。

それがいつ治るとも全然分からないまま。

そしてヒロコは2歳にして、誰からも教わることなく「死」というものを感じるのであった。

第3章 拘りと興味漬け


ヒロコの両親はいたって健康な人間だ。兄もまたそうであった。

親戚とは線が薄かったので先祖を遡り、ヒロコと同じ病気を持つ者がいるかどうか、確かめる術はなかった。

ヒロコは2、3歳から常に何かを作りながら、1人で遊ぶのが得意だったし、むしろそれが心地よかった。母が食材の買い出しに行くためヒロコを誘っても、一緒に行くとなかなか首を縦に振らず、幼児を家に1人で置いておくわけにもいかず、母はヒロコを連れ出すのにひどく苦労したという。

遊び道具はいつもガムテープと段ボール。ガムテープを使い段ボールを貼り合わせ、ロボットや基地を作る、その繰り返しだ。外出すれば、必ず平たい石と木の棒を拾い玄関に置いていた。両親は「なぜ、石と木の棒なのか?」とヒロコに聞いても理由が分からず、捨てようとするとヒロコは怒り捨てさせず、どんどんと溜まっていき、玄関に積み上げられていった。

色に関しては全てピンクを選んだ。
これは当時見ていたテレビの戦隊ヒーローの中に1人だけ女性がいて、戦隊に変身するとピンクのユニフォームになり、次々と悪の敵を倒していくため、とても強い女性に見えたのだ。だからその理由で、ピンクを選んでいた。

それに加え、ヒロコは自分が興味がある物には、「なんで?」の言葉を連呼した。「なんでも!」と返されると、どうしてそう答えられてしまうのかヒロコは理由が分からず、どうしてなのか詳細な答えをもらえるまで「なんで?」を繰り返した。これには両親も参ったとのことだった。

ヒロコには上記にも書いた通り、兄がいた。だが、9歳年齢が離れており、兄とヒロコは性格が正反対なので、ほとんど遊んでもらった記憶は無い。だから、ヒロコは兄に質問をすることは無かった。
だが、1度だけ質問をした時、兄に「そんなことどうでもいいんだよ。」と吐き捨てるように答えが返ってきたため、それから質問をすることは2度となかった。

ここでヒロコの兄について、少し書いておこう。
クラスに1人はいるガキ大将で、体格も非常に大きく、同じ同級生の中でも飛び抜けて頭2つ分身長も高かった。不良ではないのだが、兄が地元の中学校に入学する際に、すでに中学校では「ヒロコの兄をボコボコにしてやろうぜ」と話がついており、兄が中学校に入学する前に小学校の担任から「注意してください。」と言われ、結果住み慣れた地元から引っ越しせざるを得なくなり、ヒロコは3歳の時、住んでいた地元よりかなり田舎へ家族で引っ越した。

でもヒロコは3歳児ながら、「引っ越したくない。」願望が強かった。でもそんな幼児の意見が通るはずもなく、泣く泣く引っ越した。

それもヒロコの、また違う地獄の始まりでもあった。