育児と仕事 女性の後ろめたさの要因を考える (前編)


同じく子供を育てる周りの方に
「育児も仕事もすごいね〜、私は何も仕事をしていないから」とよく言われることがあります。

育児ほど大変な仕事が私は思いつかないので(私的感覚だと捉えてください。男性は嫌な顔する方も結構みえます。)
育児も立派な仕事だと伝えていくことを大事にしたいと強く思い、日々口にしていますがこれも驚かれることがとても多いです。

時間のコントロールが、こんなにできない仕事は今のところ思いつかないんだよな…。

子供が眠ってくれるのか、

自分の睡眠が取れるのかどうかということが

育児がブラック企業案件にのるかどうかの一つの分かれ目だと感じているので、かなり個人差があると思いますが。

眠れている人と眠れていない人の差は歴然です。


女性の生き方働き方をマーケティングしている会社の調査で、

「かつては大半が専業主婦でしたが、いまは専業主婦と共働きの比率が約1:2になっています。専業主婦は少数派です。私たちの調査では、年代が上がるほど、専業主婦であることに誇りを感じている人が多い傾向がありますが、30代以下では7割の人がうしろめたさを感じると答えています」

というものがありました。

このうしろめたさは、私も専業主婦の時は感じたことがあるし、
仕事を始めたら今度はかけられる言葉からビシバシ感じます。

これも根底には自己肯定感の話や呪いがあるように思うのですが
どうして後ろめたさを感じてしまうのか?


そんなお話です。


長いので前編と後編に分けて要因を一つずつ書いてみます。

①キラキラからリアルへ。

リアルを知ることの重要性を考える


考えてみた後ろめたさの要因、
1つ目は華やかな両立論の存在です。

華やかな両立論、というのは
育児も仕事も頑張るキラキラしたママになろう、女性になろうみたいな
大学を卒業する辺りから感じている流れのこと。
結婚をした11年前よりさらに拍車がかかっているように感じています。

雑誌の表紙にもそんな言葉が踊っている。

華やかな仕事をして、子供を産んで、
きちんとした食事を作り家事もして
外見にも気を遣って。

昔はそれに憧れてもいたし、できるとも思っていた。かっこよかった。

両立という言葉を私は今、簡単には使えません。

育児と仕事の自由度やバランスって
それぞれの環境によるところが大きすぎて
(子供の性格、自分のポテンシャル、経済状況、職場の雰囲気、祖父母の居住距離と協力とスタンス、当たり前の感覚の違いなどなど)

本当に伝えるのが難しい。
秘訣なんかない。

自分の毎日も日々正解を求めてその日1日をなんとか終えている様な感覚。
SNSだとそういうことはなかなか伝わらないので、想像力がより一層求められる時代だなと感じています。

必ず人には見せない苦味が生活にはある。

 当たり前のことだけど人は忘れてしまう。
私も想像力が欠如してたなと自分の言動から自覚する時があります。

それは大体疲れている、時間に追われている、心に余裕がない時。

これを書いている間にも

次男にトイレからお尻を拭いてー!と呼ばれ。
また席に着くと今度は長男が鉛筆削りがないと騒いでいるので一緒に捜索へ。

また席に着き書き始めると、遠くの方で鉛筆削りに興味を持った次男と所有者長男が取り合いになっている。

こらこら、と喧嘩の仲裁へ。

後ろでは、本日3回目の洗濯機のピーッ!というお知らせ音が鳴っている。


誰かと生きるって、育児をしながら
生活をしながら何かをするってそういうことの繰り返しで。


でも、そういうことって見えにくい。
どこにも書いてない。

自分も育児の苦みをたっぷり含むそれらのことを口に出したら子供を持ちたいと、自分より若い年齢層の方が思えなくなってしまわないかな、と発信をする時に考えたりします。

日常は細かすぎて書くのはちょっと億劫で難しい。たぶん、誌面映えもしない😂

母になり当事者だからわかることのような気もする。

体験に勝るものがないのは事実。


そしてキラキラした誌面のママの姿に私は癒されていたことも事実。

可愛い、美しいは癒される。


でも、育児の裏側や苦味の想像力の欠如にならない様なメディアの伝え方って、ちょっと大切だと思っています。
走る方向が一方向、理想が一点集中に向かっていくと

それ以外はかっこ悪い、だめ

みたいになりがちだなとも。

後ろめたさの要因の一つに感じています。


そこに正解はないし、

幸せは一つではない。

華やかな両立論ではなく、今知りたいのはもっと普通のこと。

それぞれに違って良いという、当たり前のこと。

コロナ以降読む雑誌の中には私の母世代の方の生き方の特集も多く、
女性のリアルな実例と生き方のバリエーションが複数あって私は結構これが好きです。


結婚、出産をして子育てがひと段落してから
働き始めたけれど、介護でまた離れてその最中にいる人。
仕事をしながら結婚をして子供の不登校や障害と向き合い仕事をやめ子供との時間を大切にしている人。
結婚はせず、自分の夢を叶えながらパートナーと二人で暮らしている人。
子育て、介護とひと段落した60代から趣味を見つけ極めている人。


さまざまな人がいる。

書ききれないほど、たくさんの生き方がある。


海外だと女性は専業主婦は少ないんだな、
籍にこだわらない家庭も多いんだな、
介護になったら仕事は辞めてる方が多いな、などそこから知ることもたくさんあります。

どうしてそうなのか調べてみたり、
また自分について考えてみる。

何を良いなぁと思ったのか。
違いを感じてどう思ったのか。

そこに自分の正解がある気がしてならないから。


単純に、読むと気が楽になるから
お客様におすすめを聞かれたら、お話ししています。


不妊治療中の方が周りにとても多いのですが、悩みの多くが仕事との両立のこと。

後ろめたさ。

育児と仕事、とタイトルの最初に付けましたが

育児の前からそれらは存在しています。

私もホルモン薬を一時的に飲んでいたことがありますが、合う薬合わない薬があることを加味してもホルモンを操作するわけですから当然の如く相当気持ちが悪いです。
毎日やらなければならない色々なプロセスがある方もたくさんいる。

私は一時的に他の治療で薬を飲んだだけですが、これが継続的にあると思ったらなんて過酷な毎日なんだろうと卒倒しそうになりました。

不妊治療が辛いから本当は仕事を辞めたい。
辞めたくないけど、体が辛い。
治療に集中したい。
でも辞めてもしうまくいかなかったら、自分には何もない。
再雇用も同じ場所では難しいし、
なんとか周りに気を遣いながら自分の体に鞭を打って長い診察待ちも辛い治療も耐えるという話を何度も聞いてきてやっぱり
「はじめまして」の記事に書いたような気持ちになってしまうのです。

華やかな両立論の打ち出しは、女性の労働力が欲しい国の希望とマッチしているのかもしれない。

でも、補償もなく準備もなくそのまますすめたら

仕事の仕方、キャリアの積み方を今まで通りの男性と同じレールの上に乗せることが多くなる訳で

必然的に高齢出産や不妊治療は増えていく。

働き盛りと出産に一般的に適すると言われる年齢はバッティングしているのだから。

雇用機会均等法が施行されて以降の今自分が生きるこの時代、
仕事、育児、家事に関して父母世代からの
大きな過渡期の荒波の中にいるんだろうなと感じています。

一度立ち止まって、
気がついたことがたくさんあるこのタイミングは何回も来るものじゃない。

感じた違和感、逆に前向きに捉えられたこと、それぞれに起きた心の波を
スルーするのか受け止めて少しずつ生活の中で変えていくのか。

自分に問いかけて、だれと比較するわけでもなく自分が幸せだと思える選択やバランスにさらに目を向け続けていけたらいいなと思います。


後編は、
考えてみた二つ目の要因
「女性に関する様々な呪い」です。

妻とは、母とは、嫁とは。

妻だから、母だから、嫁だから、とつく様々なこと。

続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?