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ポリアモリー夫婦の子どもだった頃(母の恋人と暮らした1年)

ポリアモリー
同時に複数人と恋愛関係を築くこと、そうしたライフスタイルのこと。(コトバンク)

先月発売された『TOKYO GRAFFITI』2021年7月号 (2021/6/23 発売)でも、「ポリアモリー 複数パートナーとの合意ある恋愛」という特集が組まれ、新たな恋愛・婚姻関係として認知されつつある。

子どもがいる夫婦の配偶者(あるいは両方)にパートナー以外の恋人がいる場合、その関係性について周りが必ず口に出す言葉がある。

「子どもがかわいそう」

果たして、子どもは本当にかわいそうなのだろうか。

親が、親としての役割ではなく、女性や、男性としての自分を尊重する姿を見て、子どもは、自分にとって親が親ではなくなる感覚を持ち悲しむのだろうか。

答えは否だ。

少なくとも、私の場合は。

母の恋人の大学生と暮らした1年

私は中学1年生(12歳)から14歳になる少し前の約1年以上を、母の恋人と過ごした。約1年、母と、当時歯学部の大学生だった20代の母の恋人と暮らしていた。

私の父は精密機器メーカーに勤務しており、数年おきに首都圏を転勤していた。仙台は、3番目の赴任先だった。私が私立の中学を受験し、入学したばかりの5月に父は関東に転勤になった。忘れもしない。私の誕生日の前日に、父は仙台から関東に一人引っ越した。

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【画像】中学生の頃の私。父に原宿や渋谷に連れて行ってもらうのが好きだった。

母の恋人は、私の家庭教師だった。通っていた女子校の小学校に馴染めず、付属の中学ではない私立を受験するために、わが家にやってきた。その当時住んでいたマンションの近所にあった大学の掲示板に求人を出し、やってきたのがIさんだった。

いつ頃からIさんと、母が付きあいだしたのかわからない。
ある時、小学校帰りに制服のまま家の近くのファミレスに母に連れていかれたら、そこにいたのがIさんだった。

祖母の目の前で恋人と風呂に入る母


母は料理が苦手だった。母の味で思い出すのは、ハンドクリームを塗ったばかりの手で握ったおにぎりだ。口に入れた途端、ハンドクリームの蓋を開けた時に漂ってくる香料の匂いと、油分が広がった。まずいというよりは、本能的に口から出した。これが母の料理だ。

母は、結婚するまで炊飯器でご飯を炊く以外の料理ができなかったらしいが、ゴムのような食感の焼きそばを作る以外の能力がなく、気づけば夕飯はコンビニのおにぎりか、店屋物の寿司か、ファミレスが我が家の主食だった。私にとって、ファミレスが家族の味だ。

話はそれるが、大学時代に学食で食べた揚げ出し豆腐や、定食が美味しくて
胸が詰まる思いだった。こんなに美味しいものがあるのかと感動していたら、周りの友人たちが「学食がまずいよね」と言い出し、世の中で、実母の料理ほどまずい料理は食べたことがなかった私は、周りの標準が羨ましかった。

話を戻そう。


いつのまにか母とIさんは私に隠すことなく付き合いはじめ、父が出て行ったマンションで一緒に暮らし始めた。

ある時、母の祖母(金髪のシングルマザー)が我が家にやってきた。
どう説明したのかわからないが、祖母は夫以外の男性がいることに何も
疑問を持たなかった。母はいつも通り、恋人のIさんと一緒にお風呂に入り始めた。

すると、祖母は「何しとるがね。〇〇ちゃん(母の名前)。りーちゃん(私の呼び名)が見とるやろ。出てきなさい」と言って、浴室のドアをたたいた。

そこじゃないだろう、と今なら言えるが。
もはや、どれが正解なのかわからない。

私は二人が風呂に入った後に、使用済みの避妊具が落ちていたのを
目にしていた。

まだ恋愛すらも女子校育ちで知らなかったが、
母とIさんとの関係は、セックスで成り立っている。
そう気づいていた。

父と、母と、母の恋人と4人でごはん

気づけば、父もIさんの存在を知っていた。
なぜか4人で会食し、Iさんが作った夕飯を父が食べたこともあった。

もう、誰が正論でも、正解でもないのだ。
受け入れるしか、ない。
日常は続いているのだ。

では、子どもの私はかわいそうだったのか。

全力で言える。
かわいそうではない、と。

父と母の仲は、常に険悪だった。


家族で外食に出かければ、必ず喧嘩になり「どっちと一緒に帰る? 」と
ジャッジを迫られ、歩く速さを子どもに合わせて帰るということが
本能的にできない父と帰ると置いて行かれるので、必死で
母の方が正しいという立場に立ち「ママと帰る」と答えた。

二人が喧嘩をすると、家の中のものが壊れた。
母に手を出せない代わりに、父は壁を殴り壁に穴が開き、
枕に八つ当たりし、枕の中の羽が飛び出し、物が割れ、
たまに警察に連絡し、呆れられた。

もしものために、洗濯物の中に、包丁を隠したこともあった。
その必要まであったかは微妙だが。

憎しみあっている父と母を見ているよりも、
終わりがあるとわかっていながらも、甘美な瞬間に身を任せて、
性欲も隠さず人生を謳歌していた母の姿の方が好きだった。

人間が本能に従い、周りなんて見えなくなっている瞬間に立ち会ったのだ。

私が、たまたま母の子どもという立場だっただけだ。

これを不幸とか、かわいそうというのならば、
私は当たり前の家族の幸せを知らないのだから仕方ない。

父も、母の恋人に対しては中立的な立場だった。
「あいつにも迷惑をかけたからな」と存在を認めていた。

父には深くこの時の話を聞いていないから本心はわからない。

ただ、ポリアモリーの夫婦を見て、一概に「周りがかわいそう」と
言うのには、違和感を覚える。

子どもは、子どもなりに親を見ているし、
そんなことくらいで自分の人生をつぶされたなんて
思いたくないし、不幸ではなかった(おそらく私は)。

そう思いながら、私は自分の娘の手をつなぐ。
この人は、かわいそうにはさせたくない。

<心の1曲>bedside yoshino 『ナニクソ節』


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