結婚したくて、念力を使った
イースタンユースの『ズッコケ問答』をライブで聴いて、結婚がしたくてたまらなかったころを思い出して涙が出てきた。
山手通りを自転車で疾走しながら、私はずっと頭の中で、「結婚がしたい」と唱えていた。コンビニで購入した、ダンベルのように重い『ゼクシイ』をぶら下げ、当時、同棲中だった夫が待つ部屋に帰宅したことを思い出した。
34歳、崖っぷち
入籍という相撲をとったら、相手は横綱で、どんな突っ張りをしても動かなかったのだ。
なぜ、結婚したのか。
周りから何度も問われた。
結婚したかった。
そういうと、まるで私が最終回しか見えていない漫画の主人公のように思えるだろうか。
相手のことは好きだったのか。
どんな家庭が築きたかったのか。
結婚して、お互いを支えあい、尊重し云云かんぬん。
知らない。そんなことは当時の私の耳には入ってこない。だって結婚したいのだもん。
実際、見えていなかった。『人生ゲーム』のコマで、結婚の部分を通らないと何もかもすべてうまくいかず、自分の人生がファミコンのリセットボタンを押した瞬間、一時停止するように止まってしまうと考えていた。いや、もうすでに止まりかけていた。
誰かがこのボタンを元に戻し、私を結婚という別世界に連れて行ってくれないと、この世界は破滅する。
『宇宙刑事ギャバン』か『宇宙刑事シャリバン』なのか忘れたけれど、エンディングテーマで、洞窟のような場所で逃げ惑う主人公が、後ろから大きな玉に追いかけられている。
これが、私の結婚だ。
結婚しないと、地球が破滅する
この球を避けるには、結婚するしかない。実際に、頭の中にはいつも「結婚できないかもしれない」と思うと、そのエンディングシーンが浮かんでくるのだ。
もしかしたら、この時の私に声をかけるならば、「病院に行った方がいいよ」だったのかもしれない。いやでもさ、元気だったのよ。夜中に自転車漕いで飲みに行ったりするくらい。
初めに断っておくが、親からの「結婚しろ」という重圧も、継がなきゃいけない家業も、何もない。それどころか、父子家庭だったから、父はずっと私が結婚せずに、父と暮らすと思っていたらしい。またそれは別の話。
ただ、頭の中にはいつも結婚という言葉とセットで、働いていた会社や、10年以上前に出て行った母の姿が思い浮かんでいた。
イヤな仕事を辞められる。母の姓である池守の戸籍から出て、新しい戸籍になることで、母から逃れられる。そう簡単に考えていたのかもしれない。
週刊プレイボーイの人生相談に登場!
夫とは当時、一緒に暮らし始めていたが、籍をずっと入れていないままだった。なぜか私は、『週刊プレイボーイ』のリリー・フランキーさんの人生相談に応募し、「同棲中の彼氏が入籍してくれないけれど、どうすればいいですか? 」という内容で誌面に登場し、リリーさんからは「男は“今日飲もう”という誘いには出かけても、来週のいついつに飲もうって言う約束は苦手」という的確なアドバイスの後「結婚、結婚言っている女は可愛くない」という、ありがたいお言葉を頂いた。もっともであると今ならわかる。
当時の私は、そんな精神状況ではなく、「あれだけ大好きだったリリーさんまで、私の味方ではない」と絶望の淵に落ちた。
その後、事態が好転しかけた。夫の父が病気になり、夫の母から入籍だけでもと勧められたのだ。不謹慎ながらも、この機会を逃したら、自分は結婚できない気がしていた。でも夫が煮え切らず、夫の父の容体が急変し、亡くなってしまった。
すると、夫の母は、「喪に服すため入籍は1年待って」と先送りになったのだ。タスクで言うならば、「結婚」から、「入籍待ち(しかし本当に入籍するかはわからない)」というステータスに代わり、今思えば、罰当たりな心理状態だとは思うが、私の精神状態は終身刑言い渡されたのと近い状況だった。
「結婚、結婚、結婚したかったのに―!!!(やまびこ)」
それくらい、結婚したかったのだ。
逃げるは勝ちだが、追い続ける恥
この当時、些細なきっかけで夫と喧嘩した。夫は山手通りを、『たけしのスポーツ大賞』で観たカール君のように大股で疾走し、先に家にたどり着いたら扉を閉め、私のスーツケースに普段穿きのユニクロのショーツを詰め、スーツケースを外に出し、私を追い出した。
中の荷物を見て(なぜ、ユニクロのショーツ)と思ったのが忘れられない。荷物の中には、必要なものが一切入っていなかった。このままではどうにもならない。私は、ゾンビ映画で追われていたザコキャラのように扉を必死で叩き、「開けてください」と懇願した。この日から私の、家に居場所のなき仮暮らしが始まった。
それでも、結婚したいのかと問われれば、私は結婚したかった。
もうなんだかわからないけれど、目の前を、子ども乗せ自転車が通れば、(あれは、もしかしたら一生乗ることができない、高級車! )という呪縛が聞こえ、ぐるぐるバッドをした時のようなふらついた頭の中を、「結婚、結婚」という言葉が駆け巡った。
大事な部分を端折ろう。翌年、入籍をした。
少女漫画の主人公なら、やっと最終回にたどり着けた。
入籍後に見えた世界
あっけなかった。夫は婚姻届けの受理を見届けることなく、出社した。役所の職員が時計に目をやり、「〇月〇日〇時婚姻届けを受理しました」と一言。『(500)日のサマー』みたいに、周りの人たちがフラッシュモブを踊り出したりもせず、ただひたすら事務的だった。
役所から一歩外に出ると、雑踏を人が行きかい、何事もなかったかのように時計の秒針は進んだ。もう、頭の中には、結婚という巨大な球が私を追いかけてはこなかった。
私は、結婚という自ら掛けた呪縛を逃れるために、入籍したのだと気づいた。
この人と一緒にいる時が一番素の自分でいられるとか、やっとやすらぎの場を見つけられたとか、自分の心情を何とか正当化し、取り繕うための言葉ならいくらでも並べられる。
私の中にある「結婚したい」を集めて燃料にしたら、月に行ける(『バタアシ金魚』のように)。
それくらいの熱望を持てば、世の中の誰かが「入籍してもいいかな」と思ってくれた。念力以外の何物でもない。私が人生において、最大限の念力を使って手に入れたのは結婚だった。
結婚、結婚、結婚。その呪縛からは解かれた。その先が長いなんて、子どもの頃に読んだ少女漫画に描いていなかった。
イースタンユースのライブで、号泣した
あれから10年。イースタンユースのライブで『ズッコケ問答』を聴いた。「ぶっ壊して また造ってやる」という歌詞が、自分に突き刺さった。きっと、ボーカルの吉野さんが意図したこととは違う形での解釈であろう。気づけば、着席でマスクをしたままの状態で、マスクが湿るほど泣いていた。
山手通りを結婚したいと思って疾走した10年前。
それを思い出して泣いていた。
あの頃の自分に言うならば、「今、幸せだよ」とそう声をかけてあげたい。
で締めくくればきれいに終わるのだろうけれど、人生そういうわけにはいかない。
「まあ、面白いですよ」とだけ言っておく。
最後に、ey界隈の方たちには、曲のイメージを壊してしまって申し訳ない。さよなら、また会いましょう。
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