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いつも、こわいよ、でも


こわさって、なんだろう

今朝、変な時間に目が醒めてしまい、二度寝するまで書いて
夜にまた書き足しています
ここから結構日にち経っちゃった



この数か月、日々真正面から「怖さ」と向き合ってきて、というか共にいるしかなくて、そろそろ手放せそうなので、今この瞬間を残しておきたくて書いています。



あなたが「怖い」と感じるものは、なに?



わたしは、たくさんある。



ひとを傷つけてしまうことが怖い。
傷ついているところを見るのが怖い。
本音を書いた翌朝が怖い。
ひとに嫌われることが怖い。
否定されることが怖い。
憎しみの感情に触れることが怖い。
裏切られるのが怖い。
大切なひとが増えることが怖い。
お別れが怖い。
冷酷な自分が、私の中にいることが怖い。
生活が脅かされることが怖い。
自然災害や、事件事故に合う、病気になる、お金がなくなるなど
生命の不安を感じることが怖い。
大なり小なり、痛みを伴い、傷を負うことが怖い。




これまでの選択

少し寄り道。


さっくりいこう

わたしは、よくよく考えるとこれまでの人生、
大胆めな舵切りをしながら生きてきた


高校受験のときは、滑り止めの公立を受けずに、本命一本で勝負した
若々しいプライドだった。私の価値を対外的なランクに求めていた。


時間とお金を全て費やして仕事をしながら学校へ通い、中小企業診断士を受け始め、2年間人生で一番勉強した。


今の夫が彼氏だったときに振られたと思ったら、その数週間後にプロポーズをされて、更にその1ヶ月後からシンガポールに転職してしまう遠距離婚をその場で決めた。



安定した大手企業でのキャリアを手放して
英語は話せない、加えて未経験の職種でシンガポールの企業に転職した。


帰国後、売上初月8,000円見込みで独立した。
しばらく売上1万円あるかないかの生活だった。


ここから少し変わった。全部を差し置いて、自分が分からないところに身を置きたくなった。何もかもから諦めて、守って、それっぽくこなすことに嫌気がさした。


そして、未経験でいまは、右も左も分からない中、浅草という激戦区でお店を開店しようと奮闘している。


大丈夫だと言い聞かせ選択してきた。



(どМなのかな?)



ただの無計画だとも言えるし、
自分の人生に委ねているとも言えるなと思う



選択の裏側にあるものたち

これらの選択をしていると
怖くないの?
と、聞かれることが多い。



いつも怖さと共にいる。いつだって、私は怖いと思いながら、それでも、やっている。
付き合い方は、もちろん変わっていっているけれど。


朝起きて、これで大丈夫なのか?と凄く不安に駆られては、隣に寝ている夫に抱きついて、深呼吸して日常に戻って来る



不安で寝られない夜だってある



大丈夫だよ、と楽観的なわたしと
大丈夫なわけないじゃんという不安なわたしが高速で交互に現れてくる日常を生きている



振り返ってみると、私が一番人生で共にいる感情は「怖い」かもしれない。



だから、その怖さを拭いきれはしないけれど、少しでも拭えるように、見えないところで私なりの努力を沢山積んできた
沢山泣いてきた
沢山持ちうる限りで想像し、合わせてきた



そんなこんなで
普通に、あたりまえに、怖いんです


そして、私はけっこう早くから、人生思うようにいかないことが当たり前だと思い、諦めを前提において選択してきた。



傷つくまえに、自分を傷つけて慣らして、選択してきた。



生みの父の顔は思い出せない。
家族だって、家族だからこそ、憎しみを生むことがあるという経験をしてきた。



大切なひとが不治の病でこの世を去った。
どうしようもならないことがある
無力さを感じる

 


だからといって、不幸じゃない。でも、そういうことだってあるよねと、諦めを持っている。




大切なひとに浮気をされた。
浮気されるのは普通だよね、そういうこともあるよね、と諦めてきた。でも、何度も何度も裏切られる夢を見ては、泣きながら目を覚ます。



親友だと思っていた友達がいじめのボスだった。
本当に辛くって、大分おかしなことになった。
いじめだけで言うと、小中で別のグループから3回くらいあったかな?



相手にも事情があったんだと思うほか、この辛さを救ってくれるものがなかった。私から見える現実が全てでなない、と言い聞かせることで自分を救ってきた。



その結果、
自分よりも相手の人生を大切にすること。
相手がわたしといることで何か恩恵があること。
一種の諦めのメガネをかけて生きること。期待しないこと。
それにより、傷つかずに生きられること。



そんなことを身体で覚えた
これがないと、ひとに頼ることができない。
まっさらな私で、何も相手に益がない状態でお願いができない。それが今また、私を苦しめている。から手を放したくて、書いている。



本当は裏切られたくなどない。信じたい。心から甘えたい。甘やかされたい。安心したい。
でも、過去の経験が「裏切られるよ」と囁いてくる。だから心の底では、ひとりで生きていけることを前提に生存活動をしてしまっている。



今でも好かれたり、愛されることに慣れない。
疑っているわけではないけれど、何が起こるか分からないと思ってしまう。
そんな私が一番いやだ






怖さの中、なぜ選択ができるのか?行動できるのか?

怖くたって、やりたいと思ってしまったら、やるしかない。やりたいという願いが出てきたことに、わたしがわたしとして生まれてきた意味がきっとある。    




これからを、変えていける。その力と流れが私にはある。そう思えるから、肚をくくってきた。


そのために、「わたしがやりたいと思うこと」を叶え続けてゆくことを決めた。それがどんな難しいことだとしても。


そして、みなさまとつくる未来を、諦めなどしたくない。


でも、それをするには、嫌でも過去から持ち続けている怖さと向き合うことになる。だからこそ、怖さと向き合い、選択するってどういうことなんだろうと残しておきたくなった。(本題)




①怖いという感情は自分への特大の愛説

そもそも私は怖いという感情が悪いものだとおもっていない。


怖さは、基本的に自分を大事にしていて、守ろうとしているから出てきてくれる。私の絶対の味方なんだよね。


そして、ごくごく自然な感情


どんなポイントに怖さを感じるのか?
それをひとつひとつ、ゆっくりで、そのとき出来る範囲でいいから自分に問うてゆく


怖いとおもう私を、安心させてあげられる材料をちいさくてもいいからひとつひとつ、集めてゆく。
そして、守ってくれてありがとうと思う。私の一部でいてくれてありがとうと。


それでも怖いときは、
「人類必須保持の生存本能だから」
と必修科目としてぶった斬って、感情があることだけを認知して一呼吸おいている


でも、怖さが出てきてくれるほど、安心することはないんだよね。
いつも、ありがとう。



②肚で決める

言語化がまだ難しいんだけれど、頭で決めたことではなく、肚で決めたことはやり切ることができている。そして、決めると不思議なことに世界が変わる。


感情よりも強い、体感覚(個人の主観です)。


本当にやりたいことは、待ってはくれないし、身体がそうさせる。


肚で決められたときの要素としては、
・超リアルに実現したときの視界を想像できている(五感を伴っていたり、そのとき誰がいるのかすらも浮かんでいる)
・どうあがいたってやるんだという確信をしている、もうやる以外の選択肢が浮かばない
・世界が流れをつくってくれる。やる方向へ色々なことが起きる
かな…


思考ではなくて、心身が、世界が勝手に決めたという感じ


肚で決められていると、怖れや不安がでてきたときも、どれだけ揺さぶられようと必ず戻ってくる軸になってくれている



では、どうやったら肚で決められるのか?
これは、8,000字超えている執筆中のnoteでゆくゆく出す予定です(ボリュームありすぎて進まない)



③今を生きる

これが日常としてはいちばんいい感じに効いている気がする

今に集中しているときは、不安や怖れがそもそもない。今にいると癒やしが起こる。

お店の準備を、過去や未来を考えることが減った(未来はある程度見積もらなきゃなんだけどね)

夢中になってお店のことを考えたり
もくもくと料理、試作を重ねたり
無心でペンキ塗りをしたり
気がついたら週2,3銭湯に通い、その瞬間を味わっている

いま、この瞬間に集中していることが多く、とてもマインドフルな日々を送っている

怖いけど、幸せ

日々、「生きているなぁ」と感じる

とはいえ、やっぱりこわいよ。めっちゃこわいよ。



本当にここで伝えたかったこと


正直いちばん書きたかったこと
みなさんを頼らせてください……



正直、体力や経験やありとあらゆることが全然足りていません。毎朝身体は悲鳴を上げながら起きています。



ちょっと泣きたくなるときもあります



だいすきな友人が声をかけてくれます
ただ、何をお願いしたらいいのか、どのタイミングでお声をかけてよいのか、お礼はなにに対して何をお渡ししたらいいのか



ここのジャッジをすることもちょっと今難しい状況です
というのも、私は書いたとおり、みんなにとってのよい経験であって欲しいという気持ちが、私の助けて欲しいという想いより強いから。




ここまで来ても、わたしは無条件に助けてもらう、協力してもらう私であることを赦せないというか、そう思えないというか



それよりも、みなさまにとってのよい経験になることが何よりうれしくて



消費的なお願いはしたくなくて
でも、そんなことを考えているとお願いもできなくて、結局ひとりでやってしまって、パツパツになっています




みんなも、わたしも、幸せな期間になることが一番の願いで
それをどうやってやっていけばいいか・・・
分からなくて、迷惑かけてしまうくらいなら、自分で背負う方がラクと今なってしまっています



でも、本当は、本当は、もっと、もっと気軽に助けてと言いたい



なにかを用意しないと協力してもらえない、価値のないわたしとして、自分を定義づけることを本当はやめたい



でも、やったことなさすぎて、何からしたらいいかわからない・・・・・・




これを書くことすら怖い


でも、ひとりじゃ限界を感じています。お力をかしてください。
正直に書くと、お金と時間、両方の余裕がないです。一人じゃ辛くて、どうしたらいいんだろうと悩んでいます。



・こんなことならできるよ
・その代わりこれと交換できたら嬉しいよ(金銭じゃないとありがたいです、オープン後に一回無料で場所借りるとか、そんな感じの物物・サービス交換だと助かります)



というご連絡をいただけると、めちゃくちゃ、めちゃくちゃ嬉しいです…



あと一カ月半でお店がオープンなんですが、パツパツです。
何に、どれだけ足りていないかも整理できていない状況です(やばい)



そして・・・
めちゃくちゃ抵抗ありまくり怖すぎるんですが


開店祝いをもしのもし、ご厚意でお贈りいただける方がいらしたら、
・店内の森ゾーンをつくるための植物か
・みなさまの推し本
をいただけると嬉しいです



森林浴しながら読書のできる、小上がりスペースが出来上がる予定です



こちらは、少しページ整えたり?してまたSNSで図々しくお願いさせていただくとおもいます(いい進め方があれば、やったことのある方がいらしたら、教えてください🙏)



すみません、だれかのためになればと書き始めたものの
わたし本位の内容になってしまいました…



もし、これまでの、いまの、これからの私の経験でみなさまのお役に立てることがあればいつでもご連絡ください。



連絡はできるだけその日中に返せるよう
時間の余白を持たせているので、お気軽にいただけると嬉しいです



これを出すのもめっちゃいやだ、こわい!!!!





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