クロスボール#6
前回のあらすじ…
ランニングで先頭を競うハルトに追いつこうと必死のケイシ。しかし、背中は遠く、すぐそばには後輩たちが迫っていた。そんな中、強豪南稜高校の監督達が、ハルトの視察にやってくる。一方、ケイシは白紙で出した進路用紙の書き直しをさせられていて…
《目次》
第1話 ヒーロー
第2話 無謀な戦い
第3話 胸焼け
第4話 オレンジジュース
第5話 背中
第6話 猫のようなやつ
「じいさん、鍵」
何度呼びかけても、杉山は新聞を広げたまま、ケイシに目もくれない。
「また、税金の無駄使いしやがって」
杉山が何やらぶつぶつと言っている。
「さっきから、何言ってるの?」
ケイシの問いかけに、杉山は語気を強めた。
「新しく役場を立て直すんだとよ」
「この間、補修工事終わったばっかりじゃなかった?」
ケイシの家から10分程の距離に役場はある。1年前の台風で、タイルが剥げ落ちてニュースになっていた。
「補修工事してみたはいいが、老朽化が激しいので、いっそのこと立て直すんだとよ。鬼の博物館と併設して観光名所にするだとかなんだとか」
町には鬼の伝説がある。小さい頃によく聞かされていた覚えがあった。悪さをした鬼は、山に逃げ帰る途中、うずくまって泣いている小さな子どもを見つけた。鬼は心を入れかえ、その子どもを助けようとした。もう一度村に戻ろうとした鬼だったが、村人に見つかり、鉄砲で打たれて死んでしまう。多分、そんな話だったような気がする。悪さをすれば、必ずバチが当たると、子どもに良いことをするように促す話だと言われているが、ケイシはずっと、運命はどんなことがあっても変わらないという話だと思っている。
杉山は、新聞を放り投げ、ようやく立ち上がってケイシの広げた手のひらにロッカーの鍵を置いた。
「全く、人の税金をなんだと思ってるんだ。センスのないやつらが集まって商売始めたって、どうせ上手くいかねぇよ。また仕事しねぇ天下りが増えるだけさ」
「へー。じいさんも、そんなこと考えたりするんだ」
「当たり前だ。お前もこれくらい興味を持て。その頭は何のためについてるんだ。世のため人のために使わないでどうする。お前はまだ若い。俺なんかよりもたくさんのことが……」
「はい、はい」
杉山の説教を適当に切りあげ、ケイシは更衣室に向かった。世の中のことなんて、今は考える余裕なんてない。プールに来たのも、いっぱいになった頭を冷やすためだ。
「どうするかなぁ」
プールに浮かぶと、古びた天井を見つめて昨日の父との会話を思い出していた。
家に帰ると、すぐに父の呼ぶ声がした。嫌な予感しかしなかったが、ケイシは診療室に入った。
「お前、進路決めたんだろうな?」
父が、運ばれてきたイグアナの治療をしながら話し始めたとき、ケイシは真っ直ぐ見つめる子猫に夢中だった。
「おい、聞いてるのか?」
「うん」
きっと、父親はここを継いで欲しいと思っている。この質問が出てくることを、ケイシはずっと避けていた。変な汗が、手に染みてくるのが分かった。ケイシは一人息子で、小さいころから周りに、男の子で良かったですね、と言われて喜んでいる父の顔を何度も見てきた。
ダイチにも、決められたレールならあるじゃないか。継げばいい、と言われた時、冗談じゃない、と言い返したが、家を継ぐことを考えなかったわけではない。
しかし、ケイシの描いている未来は、なぜだか少し違う。描く未来は、もっと華々しい未来だ。そう、きっとハルトのような未来を、どこかで期待している。
「まだ決めてないのか」
父の声に、イグアナが暴れ出した。
「おい、ちょっとそこ、押さえろ」
ケイシは言われるがまま、イグアナの体に触れた。その体は、思ったよりも温かく、そして心臓の音がドクドクと波打って手から体全体に広がっていった。きっとこいつは、今、緊張している。ケイシは仲間を見つけた様で、少しほっとしていた。
「よし、終わった」
手を離すとイグアナは、安心したように元気に動き出した。父親は、イグアナを軽々と持ち上げ、檻の中にしまった。
「今からだって遅くない。塾に通え」
「え?」
「どうせ、ろくに試合にだって出れないんだろ?部活辞めて今から勉強すればまだ間に合う」
「でも……」
父親は、ケイシの言葉も聞かず、よく考えろ、と言った。
杉山が、ケイシの顔を覗き込む。
「小僧、時間だ」
「ね、ここさぁ、採算とれてるの?」
着替えが終わると、ケイシはまた、杉山の手伝いをした。
「取れてるわけねぇだろ」
杉山が、入口のドアの鍵を閉めようとして、また手間取っていた。見かねたケイシは、ドアを反対側から力強く押す。
「よし」
照明の消えたプールは、外から見てもどこか気味が悪い。
「ここ、潰しちゃえばいいのに。これこそ税金のムダ使いだよ」
「そりゃダメだ」
杉山が反論する。
「何で?」
「何でって、俺の働き口がなくなっちゃうじゃねぇか」
「さっきと言ってること違うじゃねぇか。役所建て替えは、税金の無駄だって言ってただろ?ここだって同じだよ」
「そうか?」
「そうだよ」
杉山は笑っていた。
「誰だってな、自分の身が一番大事なんだよ。世の中はな、そんなもんだ。良く覚えとけ。ほら、さっさと帰りな」
「何だよ、それ」
世の中を深く考えるな、杉山にそう言われたような気がした。杉山の言うとおり、世の中なんてそんなものなのかもしれない。深く考えると痛い目をみる。平凡な日常だって、きっとそれはそれで、かけがえのないものなのだし、世の中は難しそうで、案外単純なものだったりもする。きっと自分の悩みなんて、後から考えると笑えるくらいちっぽけで、独りよがりだったりするのかもしれない。頭では分かっていても、ケイシは何だか納得がいかなかった。
帰り道、学校のグランドに一人でボールを追いかけるハルトをみつけた。近づくとボールの跳ねる音だけが響いていた。
「おい、ハルト」
呼び掛けに、ハルトは振り向きもせず、ひたすらボールを追いかけていた。何度呼んでも、ハルトは答えない。
「ったく」
ケイシは、諦めてそのまま学校を後にしようとしたその時、足元にボールが転がってくるのがわかった。振り向くと、ハルトが笑って立っている。時折見せるその笑顔は、あの頃と変わらない。
「練習相手しろよ」
ハルトは、猫みたいなやつだ。こっちが声をかけようとすれば無視をし、無視をしたかと思えば寄って来る。なんて勝手なヤツだと思っていても、断れない自分がいる。ハルトの無邪気な笑顔を見ると、ケイシは、仕方なくハルトにボールを蹴り返した。ハルトは、嬉しそうに走り出していく。
「ケイシ、こっちだ」
ハルトが手招きする。こんな風に、暗闇の中でボールを追いかけるのはいつぶりだろう。幼いころ、サッカーボールで遊んでいたケイシの後を追いかけていたのがハルトだった。上手くいかなければ、泣きながら帰ろうとしない。昔から負けず嫌いでわがままで、本当に困ったヤツなのだ。よく、ケイシは暗くなるまでハルトの練習に付き合っていた。今ではもう、あの幼かった頃のハルトはいない。
ハルトは、ケイシのディフェンスを、右に左に、軽々と突破していく。そして、そのままお手本のようなフォームでボールを蹴り上げていった。
「ゴール!」
ハルトがはしゃぐ。ケイシは、すぐにハルトにボールを蹴り返した。息切れをごまかすように、気迫でハルトに向かっていった。ハルトは、あの頃に戻ったように無邪気に笑っている。
スライディングもむなしく、4度目のゴールがハルトの足から放たれたその時、ケイシは力尽き、その場に倒れこんでいた。
「……そうか、俺、プール行ってきたんだった」
仰向けに寝ころんだケイシの目に見えたのは、いつものあの古ぼけた天井じゃない。空には、満天の星が輝いていた。満天の星に囲まれたケイシは、なんだかよりちっぽけな存在に思えて仕方なかった。
「なぁ、何でお前はそんなに頑張れるんだよ」
ハルトは、答えない。ゴールから転がったボールをリフティングしながら、上手に左足に落として、また軽々とシュートを放った。
「答えるわけないか」
ハルトは、答えを教えてくれるようなヤツではない。それに、答えを聞いてもどうしようもない。これは自分の問題なのだと、ケイシは思っていた。
「なぁ、覚えてるか」
ハルトは、話を聞いているのかいないのか、シュートの形を何度も確認していた。
「あの時のボールだよ」
ハルトは反応しない。
「覚えてねぇよなぁ」
そう呟き目を閉じると、ケイシの頭にボールが飛び込んできた。
「痛ぇ!おい!」
ケイシは起き上がり、ハルトを追いかける。ハルトはコーナー辺りを指差し、なにやら合図をした。
「え?何?」
「早くしろよ」
転がっていくボールを追いかけると、そこから見えるハルトの姿は、あの時と同じに見えた。忘れてはいない。クロスから高くボールを蹴りあげると、あの時の様に、ハルト目掛けて飛んでいく。ボールは、高く飛んだハルトの力強いヘディングで、ゴールネットに吸い込まれていく。
「ゴール!」
ハルトは、またはしゃいでいた。
「何だよ。覚えてたのか」
「あぁ、俺の初ゴールだろ?」
「違うよ。俺の初アシストだ」
ハルトは笑った。
「下手くそなクロス上げやがって。俺じゃなかったら決まってなかったぞ」
「何だよ、最高のクロスボールだっただろ」
たった一度だ。記録にも残らない、たった一度のアシストだった。幼いころの紅白戦、ケイシがハルトに上げた最初で最後のアシストだ。アシストなんて上げたくなかった。今までは、ずっとケイシがエースだったからだ。そんなことを思っていたあの頃から、ケイシはゴールどころか、アシストを上げる場所にさえ立てなくなっていた。
あの頃から、ハルトは少しずつヒーローの道を歩み始めていたのかもしれない。
第7話 苛立ち
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