いじめをなくそう案 反対案
いじめをなくそうとほざく人間を信じられない人間であります。
学校の先生がいじめは絶対に許さないと宣い給うことありけりとき何かをなくそうと辞めさせようとするならばしなければならないことを知るのです。
さてをいじめをした人間は一体どうなるのでしょう、どうなってきたのでしょう。
鞭打ち、焼印、晒しに流刑、絞首に斬首、潔ければ切腹と磔されて火刑に処する。
そうはなっていないのです。
いじめは楽しいことでございます。
いじめらてきた私とてそれは見事に十全に解することが出来ることでございます。
何とまあ見事なことにいじめてきたやつ(個人)が蹴られ喚き家は全焼、この先どうしよう、嘆き悲しむ姿に爆笑出来るのですから
理解を示せることとして
いじめをなくそうとは大変綺麗なお言葉でございます。
しかしいじめという言葉が、いじめという事象が生まれてちまっているこの世界で綺麗な言葉ほど意味のないことはないでしょう。
いじめらている人は掃き溜めにいるのです。そうじゃないと言いたい人がいらっしゃるのでしたら申し訳ないです。貴方とは違う例外の話として言わせていただくのですが、いじめられている人は掃き溜めつまり汚いところにいます。もちろん物理的に汚い場所ではない、人間関係の汚いところという抽象的な意味であります。
そんな人間が救われる(大層な言葉です)のが綺麗な言葉であるはずがありません。綺麗なものが汚いものに触れると汚れます。それは真っ白だった雑巾がいつかは灰色になっていくように
貴方が求めているのは言ってしまえば真っ黒になっても私らを磨いてくれる存在であるのです。
いじめをなくせません。
少なくともいじめを無くしたいとほざくのであれば今までいじめをしてきたと言われる人間全てがいじめさせてくれなければ話にならないなです。
いじめをさせろなどとは大層汚らしい言葉ではありますがそうでなければ許されないし許せない私らがいるのであります。
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