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チャーリー・カウフマン スピーチ Part 4. 絶え間ない変化の中で学び続けること

君たちならきっと知っていると思いますが、タイワンアリタケという菌があります(観客、笑)。それは、オオアリの脳に感染し、そのほとんどをゾンビ奴隷へと変貌させてしまいます。どういうことかというと、感染したアリは森の地面間際にある葉の裏側に登り、自らをそこにつなぎとめて死んでいき、菌の食物源になってしまうのです。

最終的には、アリがその逆さになった状態で死んでいるため、菌の胞子がアリの頭から飛び出すと、他のアリの上に降り注ぎことになります。これは本当のことですよ(観客、笑)。しかも、とても上手くいっています。こういったことが4,800万年前に起きていた記録が化石に残っています。このことで私が引きつけられたことは、アリが菌の道具になり、自分自身や仲間のアリの関心に反して、何も考えずに行動していることです。同じ仕組みが私たちの文化の中で進化したと私は思っています。

テレビ番組でシリーズ物の脚本を始めた時、30分のコメディー番組を書く脚本講座を受ける必要は私にはありませんでした。私は何をすればいいのかわかっていました。なぜかと言うと、シリーズのテレビ番組の消費者として育ったからです。私は番組のリズムをわかってましたし、とりあえず笑えられるジョークのタイプを理解していました。ストック・キャラクターというものもわかっていました。もちろん、こうやって自然と理解してきた色々なことは、私に教え込み、そこに携わりたいと思わせた消費文化をそのまま永続するために利用されていたのです。私はゾンビだったのです。

これは大きな問題です。私の関わっているビジネスが政治家や企業の関わっているビジネスと同じだからです。彼らにとって大切なものを、まるで君たちにとって大切であるかのように偽って商売するビジネスです。さらに、それはどこにでも存在します。そして、共存するものではないと思います。私の知る限りでは、オオアリはタイワンアリタケとの仕組みから何も手に入れることはありません。ですから、オオアリとしての私の思いは、ご主人様の真菌胞子を何も考えずに散布することはしないで、オオアリの私自身を理解するためにできることをしていきたいと思っています(観客、笑)。今のこの文は、とても気に入っています(観客、笑)。

この組織的な洗脳と戦い始めるベストな方法は意図に注目することだと思います。「地獄への道は善意で敷き詰められている」という格言は私にとって真実とは思えません。意図というものはあらゆるものの根本に存在していると思います。私の意図は絶え間なく変わり、複雑で、それぞれが相入れないことがよくあります。それで、もし私がその正体を知り、いたる所に潜り込む瞬間を観察すれば、世界に真実を示せる可能性が高くなります。それが私の目標なのです。私にとっての「ヒポクラテスの誓い」は、私は危害を加えたくない、ということです。

私が痛切に意識してしまう危害というのは、意図がはっきりしない状態でメディアに出る際に起きてしまいます。メディアに出て、私はセールスマンになりたくありませんし、「僕を買って!」「僕を見て!」なんて叫びたくありません。そういうことは今晩したくありません。私が表現しようとしていること、表現したいことは、正直になって、思いやりをもち、他の生物の存在を意識することで、私たち自身と世界、そして世界の中の私たち自身に対する考え方に変化をもたらせることができるという考えです。私たちは巨大でメチャクチャな現在の権力争いの受け身の観客なんかではないのです。

そんな必要はありません。私たちは自分がどんな人間なのか発言ができ、自分の存在権を主張することができます。いじめっ子や詐欺師、それから、私たちを辱め、困らせ、お世辞を言う人や、なんの悪びれもせずに私たちに嘘をついてお金を手に入れたり、忠誠を誓わせようとする人に対して、自分がどんな人物なのか正直に思っていることを話していいのです。私たちが自分のことを表現することで、孤独を感じる人もいなくなるでしょう。

次はハロルド・ピンターの言葉です。「作家の生活というものはかなり不安定なもので、ほとんど無防備な活動だ。我々はそのことで嘆く必要はないし、作家は自ら選択をして、それにこだわるものだ。だが、あらゆる風に、--その中には氷のように冷たいものもあるが--、さらされているというのは真実である。君は自分の力で外に立ち、危険を冒し、避難場所もなければ防衛策もない。君が嘘つきでない限りは。ただ、もちろんその場合には、自分の防衛策を築き、政治家になってしまうとも言えるだろう」

人間でいるということは奇妙なことです。私たちはいろんなことについて考えるようになり、疑問に思うようになっています。それはこの宇宙においてかなり特権的であるかのように思えます。また、私は確実なことを受け入れるつもりはありません。疑いを持たなくなると好奇心がなくなってしまうからです。そして、君が確信していることで私が知っていることがあります。君は間違っているということです。

もちろん、これはパラドックスです。君が何も知ることは出来ないなんてどうすれば知ることができるのでしょうか? そんなことはできません。これはただの理屈です。一応、私が間違っていると証明される余地は残します(観客、笑)。次の言葉も私の好きなハロルド・ピンターのものです。「演劇には、1つの真実などというものは絶対にない。たくさんのものが存在する。それらの真実はお互いに競い合い、ひるみ合い、反映し合い、無視し合い、悩まし合い、お互いに気づかない。君は自分の手の中に一瞬の真実を感じる時があるかもしれない。だが次の瞬間、それは君の指の間から滑り落ちて、消えてしまう」

この言葉はこれでおしまいです。話を次に進めていきましょう。君たちに、もうハロルド・ピンターは御免だと思われたくありませんからね。ここから暫くは私のこ言葉になるかな。そう、しばらくは私からの言葉です。「マニフェスト」というのは貴重なことです。それは誰にも君に教えられないこと全てです。それは、君が物事にどう対処していくのか、反対することにどう対処していくのか、その方法のことです。そこから、君たちは「なぜ?」と疑問を投げかけるための着眼点、枠組みを手に入れます。心理的もしくは感情的見識に関しても同じことが言えて、君はその見識を持つかもしれませんし、もしくは誰かが何らか形で表現した見識を読んだり、目にしたりするかもしれません。

どんなことに対しても何かしらの解釈で決め込んでしまうのはどんな時でも間違いです。君たちの決めたことがどんなことであろうとも、君たちは間違っていることになるでしょう。たとえ君たちが正しくてもです。あらゆることがはかなく、あらゆることが絶え間なく変化しています。君たちは今まで導き出してきた結論の先を考えれば、今以上に複雑な見識を身につけ、もっと慈愛に満ちた世界観を手に入れられるでしょう。こういうことを、私は絶えず学び、そして学び直すように努めています。

Part5に続く

スピーチ原文および映像の著作権はBAFTAに帰属し、BAFTAから許諾を受けて翻訳をしています。

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