見出し画像

虫我「サンタ証明の途中式」後編


 小学生の僕が、僕を覗き込んでいた。ポンポンが付いた青いニット帽が、白く染まっている。
「つかまれよ」
 そう差し出された小さな手を握る。引っ張られる力は、その大きさと見合わないぐらい強かった。
 そのまま小学生の僕は、白い世界に向かって走り出す。消えゆくように、背中が白く薄くなっていく。
「おい、どこに行くんだよ‼」
 見失わないように必死についていく。叫んだ声も、吹雪で掻き消えそうだった。
 足元が悪い。油断しているとさっきみたいに転びそうだ。なのに、小学生の僕は一向にスピードを緩めない。
「おい‼ 待てって‼ 一体どこに向かってるんだよ‼」
 腹の底から声を出し、ようやく僕は、自分自身を繋ぎとめることに成功した。
 小学生の僕は、一体どうしてこいつはこんなことを聞いてくるんだ、というような困惑した顔で首を傾げる。
「決まってるじゃん」
 吹雪が一瞬、止んだ気がした。
「サンタクロースを探しに行くんだよ」
 真剣な目が僕を見ている。
 思い出した。全部思い出した。クリスマスのあの日、僕は家を抜けだしたんだ。サンタクロースを見つけるために。それで僕は結局、サンタクロースを見つけられず。さらに帰り道も分からなくなって。
 なんで忘れてたんだろう。
「……やめとけ。そっちに行くな。お前帰り道分かってんのか」
 ここは夢の中で、現実ではない。でも、そう忠告せずにはいられなかった。
「いやだ」
 小学生の僕は再び歩き出す。
「……あのなぁ、お前、母さんがどんだけ心配してるかして分かってんのか」
 僕もそのあとを追うように歩く。
「……」
「おい」
 どんどん速足になっていく。
「お前もう気づいてんだろ‼ サンタクロースなんて、どこにもいないんだよ」
 ほとんど走り出した時、
「分かってるよ‼」
 背中越しの叫びが、僕の動きを止めた。
「全部全部分かってるよ‼ サンタクロースなんていないことぐらい‼ こんなことしても、母さんを心配させるだけだってことぐらい‼」
 そう正面を向いたもう一人の僕は、ほとんど泣き出しそうだった。
「でも、見つけないと、僕が見つけないと、みんな——」
 僕はただじっと、小さな僕を見つめていた。
「みんな救われないよ」
 そうだった。僕があの日サンタを探しに行った理由。それは、あまりにも割が合わないと思ったから。父は不運ながら善戦した結果、殺人サンタと罵られ、数日後自殺した。母はそうして最愛の人を失くし、僕はそんな世界に失望した。あまりにもむごすぎる現実。だから、せめて何か、少しの救済を、ほんの少しの非現実を。そうして僕は、その対象をサンタに求めた。無茶苦茶な理論。でも、自分自身がサンタを見つけることが唯一の解決方法だと、その頃の僕は信じて疑わなかったのだ。
「……」
 僕は少し歩いて近づき、ニット帽の上の雪を払った後、そのまま頭を撫でた。
「……分かった。僕がサンタクロースを見つけてきてやる。だからお前はもう帰りな」
 あの時した行動が、今はこの小学生がしようとしていることが、正しいことなのかどうか分からない。でも、僕は、少なくとも自分自身くらいは、そのことを尊重してやってもいいのではないだろうか。
「……本当に?」
 それは歓喜の目というよりかは、疑いの目だった。確かに、ついさっきまでサンタなんていないと言っていた人物が吐いた台詞を、すぐに信じられるわけがない。
「約束だ。絶対見つけてやる。だからもう安心しろ」
 肩を掴み、目を見つめる。小さな僕だけではなく、自分自身にも言い聞かせるように。
「……絶対だよ」
「絶対だ」
 それから、小さな僕は、さっきまでの進行方向と逆へと走り出した。僕は振り返らず、そのまま、一歩、一歩。雪の中を歩く。風が一段と強さを増し、視界の白もいっそうと濃くなった。ただ、歩く。
「サンタクロースなんて、いるわけねぇのにな」
 でも、歩くのは止めなかった。
 歩き、歩き、歩いて、歩く。

 やがて視界が完全な白になった頃、歩き続けていると思っていた体が、いつの間にか雪の中に埋もれていることに、
僕が気づくことはなかった。

「お客さん、終点ですよ」
 声をかけられ、目を覚ます。起き上がり、周囲を確認する。バスの中。窓の外はすでに見慣れた風景。
 どうやら、夢から覚めたみたいだった。
「あ、すみません」
 そそくさと席を立つ。その間、僕は夢の中の出来事を思い返していた。
「……変な夢」
 誰にも聞こえることない声で呟く。思わず笑ってしまいそうなほど、バカバカしい内容。
 カードを切り、バスから出る。外の風が、僕の体を震えさせた。
 ふと思い立ち、僕は運転手に声をかける。
「あの」
「? なんでしょうか」
 運転手は話しかけられると思ってなかったようで、少し困惑していた。
「……この仕事って楽しいですか?」
 あまりに突飛な質問に、しかし、運転手は怪訝な顔を見せず、少し笑って答えた。
「まあ、楽ではないですね」
 そのまま僕は礼を言い、その場を後にする。
 雪が降ってきた。手のひらに触れたそれは、痛いくらいに冷たい。僕はそれを握りしめ、再び歩いた。
「まあ、でも、まずは免許取らなきゃ」
 偽物のサンタぐらいには、なってやってもいいか。
 冬の風が、また一段と強く吹いた気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?