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新卒1年目で妊娠がわかってからの日々のこと

去年の6月からとっていた10ヶ月間の育児休業を終え、4月の終わりに育休から仕事に復帰した。
久しぶりの仕事で必死にしがみつく毎日だけど、忘れないうちに書いておきたいことが沢山ある。

私の友人や知人には周知のことだけど、私は妊娠を機に結婚した。

妊娠が分かったのは、新卒一年目の2019年11月、23歳になってすぐのことだった。その時の私は、希望通りの映像業界で広告制作の部署に入り、やっと少しづつ一人で任せてもらえることが増えてきた頃だった。

いつか結婚して子供を産むかもとは思っていたけれどすごく希望が強い訳ではなくて、就職したばっかりなのに妊娠なんて、こりゃ人生めちゃくちゃハードモードになっちゃったのでは?と思った。
実際その後の1年はめちゃくちゃハードモードだった。

当たり前だけど、なんの準備もしていなかった新社会人が親になるためにやらなきゃいけないことは多かったし、不安で不安でたまらなかった。自分のことが情けなかったり、人に言えなかったり、かなり塞いでいた時期もあった。

でも、あの時、授かった限りは絶対に産んで彼氏と一緒に育てたい!
と思った自分を褒めたいと今は思っている。
だって産まれてきた娘は本当に可愛くて毎日家族3人で過ごすのがめちゃくちゃ楽しいので!!
ここに来れるまで本当に色々あって、今から書くこともちょっと深刻に聞こえる内容もあるかもしれないけど、子供は本当に可愛いし夫と結婚して本当に良かったと思っている。それだけは先に言っておきます。

妊娠中不安で色々調べているときに、こういう他の人のnoteを読むと参考にもなったし、何より何とかやっていけるかも、と勇気付けられたので、私もほんのちょっとでも誰かの役に立てればと書き残しておきます。
(特に新卒1年目での育休取得や出産体験談はあまりなかった!)

大阪行きの新幹線で産婦人科を検索した

 さて、妊娠したのが分かったのは、自分で検査薬で調べたからなのだけど、あれって思ってたよりすぐ分かってびっくりした。
漫画とかで、妊娠検査薬を使うシーンとか見たことあったんだけど、トイレに篭ってしばらくドキドキ待ってて、、、みたいなのをイメージしていたんだけど、採尿したら(かけたら)その水分が染み込むスピードでそのまんま分かるんですね。秒数にしたら3秒くらい。
序盤からトイレでの話ですみませんが。

陽性のラインがくっきり出ているのを見て色々大変になるなと思ったけど、一番心配に思ったことは、『仕事はどうしよう』だった。

何でその日に検査したかというと、彼が私の家に来ていて一緒にいたからというのと、次の日から二泊三日の出張が控えていて、体調不良の要因をはっきりさせたかったから。

その前の週から何を食べても気持ち悪い、食べなくてもお腹が空くと気持ち悪い、全体的にだるい、みたいな状態で、生理が来てないこともとても気がかりで仕事中もずっと集中できず、このままでは出張中に何かあっても自分でも説明ができないと思っていた。
もうこの時点で自分では6割くらいこれ妊娠してるんじゃないかな?と思っていたので、私の性格上早く白黒はっきりつけて、対策を考えておきたかったというのもある。

というわけで、出張前夜に私は検査をしてどうやら99.9%妊娠だねということを彼に伝えた。この時には、2人ではまだ具体的な話は全然できなくて、とりあえず病院で正式に検査してもらってまた話そう、となった。

私はいつも通り出張の荷物をまとめ、大阪行きの新幹線に乗ってから、前日調べた近所の女医さんがいる産婦人科に電話をして検査の予約を取った。
体調のことは、一緒に出張に行く上司にも誰にも話さなかった。
でも今考えれば確かにあの3日間が一番つわりど真ん中だった。

タクシーで酔いまくる、お腹が空くと気持ち悪くなる、撮影中立っているのがキツい、先輩に顔色が悪すぎると言われる…という中でも、今の状況では何も報告できないのでとりあえず可能なときには目を盗んで休み、ロケ車の中では宙を見つめて喋らなかった。

出張後すぐに産婦人科へ行き、はっきりと胎児の心音が確認されて、妊娠6週=2ヶ月です。7月が予定日ね。と言われた。
この時に、えっ10ヶ月で生まれるから9月くらいが予定日かと思ってけど7月が予定日!てことは今から約8ヶ月で赤ちゃんを迎える準備をしなきゃいけない!と焦った。大概の人は、私と同じくらいのタイミングまで生理が1ヶ月以上来なくなってから妊娠の可能性を考えると思うので、検査をした時点ではもう妊娠2ヶ月になっているのだから当たり前だ。

本当に、恥ずかしいことに自分は何にも妊娠の基礎知識がなくて、週数の数え方も知らんかった。(けど多くの20代前半の友人たちはそうなのではないかと思う。みんないつ知るの?)
でも、赤ちゃんの心音は不思議なパクパクした音で、嬉しさもちゃんと感じられた。

この時に彼も付いて行きたいと言って、一緒に先生の話を聞いたりエコー写真を見たりして、赤ちゃんの存在に実感を持てたようだった。
帰りには商店街の中の小さな神社で日向ぼっこしながら、一緒に育てようねと言った。

怒涛の挨拶ラッシュ


とにかく早く互いの親には報告した方がいいということで、私は次の週末に一人でまず実家に帰った。帰ったと行っても都内なのですぐ帰れる。

親は思ったよりも嬉しそうで少し拍子抜けするくらいだった。
もちろん、心配はされたけれど。
私が産みたいなら、幸せなら、それでいいんじゃないのと、おめでとうと言ってくれた。
私は、勝手に怒られるのではないかと思っていたけど、ああ全然もう私ってこの家から巣立ってたんだな、と思った。もう学生じゃないんだって、社会人になって自分の人生が親の人生とは別物の『自分で責任持つ』人生なんだってすごく実感した瞬間だったかもしれない。普通は、妊娠ではなく別のことで実感するものなのかもしれないが。

同じタイミングで彼も親に報告し、その後続けてそれぞれの親にお互いが挨拶に行き、両家顔合わせの日取りを組み、お店を予約し(ココの手配全部私) というのを1ヶ月で全部やった。今思えばそこまで慌てて立て続けにする必要なかった気もするが、親にとっても突然の話なので一度報告したらトントン拍子だった。
ちょうど年末だったので、お互い家族で集まる前に報告した方が良いでしょうと思ったのだ。

報告するからには、安心させなければいけないと思ったので、
・結婚をする
・子供を産んで一緒に育てる
・仕事で育休を取りいずれ復帰する

ことは共通認識を持ったんだけど、1つ問題だったことがあり、夫がまだ学生かつ就職が決まっていないことがあった。

彼は、ちょうど卒業後、院に行こうかどうしようか迷っており、一度は就活もしていたものの就職が決まらないまま4年生になっていた。
これがとにかく親から見ても周りの友人から見てもかなり心配される点で、かく言う私も流石に就活を急いでと迫った。彼は自主的に『院に行くのは辞めるよ、仕事も探す』と言ったものの、4年の1月にもなって開いている新卒採用などほぼなく、取っ掛かりも見つからず、何より目の前の卒業制作の締め切りで必死というカオス状態だった。

寝ても覚めても、お金の心配をしていた

そして、そんな仕事を見つけられない焦りの中、追い討ちをかけるようにコロナが蔓延しだし、彼の就職活動は難航した。
20年の年明けからはほとんど同居状態だったけれど、妊娠中の情緒不安定さに加え、この状況にお互い焦りとイライラで喧嘩ばかりの毎日だった。
今思えば笑えるが、元々アップダウンの激しい私の性格に拍車がかかり、餃子が上手くひっくり返せなかったことを彼が笑っただけでなぐりかかる勢いで怒ったりしていた。(最終的には実際に殴りかかった気もする。)

何がそんなに私を追い詰めたかというと、詰まるところやはり経済的な不安からだった。赤ちゃんを産む、と決められたのは自分のせっかく授かったからには、という気持ちだけではなく、やはり正社員でお給料もあるのだからもし万が一、一人で育てることになっても自分の力でなんとかする、という覚悟が持てたからだった。でも、それはかなり強がった状態で、何かあれば共倒れしてしまうかもしれない、親に全面的に頼らないといけなくなるかもしれない、ということが常に危機感としてあった。
今思えば、どうしてそんなに自分を追い詰めるような考え方をしていたんだろうと思う。周りがどんなに親だって頼れるものは頼ればいいじゃん、と言ってくれても、その時は易々とは頼れないと思っていた。

とにかく、その時の私は心のどこかで、こうなった以上責任感がないとは絶対に思われたくない、自立した形で子供を育てなくては、という思いが強かった。
そんなわけで、私は必死で出産育休関連のお金の出入りを調べ、会社の入っている保険組合のページを舐めるように見て、まだ生まれてもいないのにあらゆる地域の保育園の待機児童情報を見て、保育園に入りやすい地域への引越しを推し進めた。産む前から産んだらすぐに働かなくては!!と思っていたのだ。

もちろん、産休育休でもらえる給付金には頼る気満々だった。実は私は初任給から貯めていたお金で一人暮らしを始めたばかりで、貯金なんて本当に給料1ヶ月分くらいしかなかったのだ。

会社員だったので、保険組合からは『出産一時金』として42万円が出る。(厚生労働省で決まっており、全国一律。)
出産で入院するときにはだいたいこの『出産一時金』を病院に直接支払うことができる。(参考 : https://www.kenpo.gr.jp/SCSK-kenpo/contents/01shikumi/kyufu/syussan/index.html)
でも、東京の病院はだいたい安くても45万円以上出産費用がかかるので、出産一時金はだいたい相殺される。退院するときに差額数万円を払うイメージだ。

ちなみに、これを読んでいる同世代の会社員にはぜひ一度自分の入っている保険組合の出産とか育児の給付金関連の情報を見てみることをオススメします。私は入社時にそんなこと調べもしなかったけど、たまたま自分の会社が入っている保険組合が通常42万円の出産一時金に加えて10万円独自の付加金があってめちゃくちゃそれに助けられたので。
(男性も、パートナーが子供産んだ時には男性側の保険組合が給付元になることもあるのでぜひ。)

『出産一時金』の他に、『育児休業給付金』として、育休期間中に会社から給与がでない人の為の保証もあり、ハローワークから月給の2/3の額が半年間、その後は1/2額が払われる。(つまり、会社が産休育休対象者に補償を払うわけではない。)
ただ、払われるまでには日本のこう言う手続きあるあるだけど、時間がかかる。育休に入ってから最初の給付金までは1~2ヶ月くらいかかると言う。

参考までに、私の産休開始からのタイムスケジュールはこうだ↓

・私が産休に入るのは6月なので6月末が最後の給料日。
・7月半ばに出産してその時に出産一時金を直接支払い。(残らない)
 予定日の1ヶ月前~産後1ヶ月半が産休となる。
・9月頭頃に産休終わり育休開始。(でもまだ何も補償でない)
・10月半ばに初めての育児休業給付金がでた。

 以降、育休給付金は2ヶ月分まとめて2ヶ月に一度出る。
 通常の給料の2/3の額×2の額なので、まあまあまとまった額は出るけど、そこまで繋ぐのは結構ギリギリだった。

育休給付金について、もう一つ、参考になればということで書いておきたいことがある。
令和3年時点でこの給付金の対象条件にはこういうものがある。

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え?どういうこと?と何度も読み返した。
つまり就職して1年目だと育休給付金が出ないかもしれないってこと?
焦って人事部に確認してもらったところ、私が産休に入るのが早くても5月なので、ギリギリ、入社してから12ヶ月あるので対象になるとのこと。
つまり、もし私の出産予定日が後1~2ヶ月早かったら対象にならなかった可能性もあるのだ。
これには背筋がゾッとした。この条件に当てはまるかどうかで相当私たちの出産ハードルは左右される。
今、男性育休の推進などとともに育児・介護休業の改正案のなかに1年未満の育児休業も検討されているので、変わることを願っている。
(参考 :1年未満の非正規、育休可能に 「男性産休」は分割OK  )

会社員で良かった、給付金の対象で良かった、と思う一方、もしそうでなかったら、もしフリーランスだったら、、、なんて可能性も考えるとものすごく怖い。


とにかく、倹約して育児休業給付金が出るまで食い繋ごう。そしてこの給付金の額を少しでも上げるために給料を上げるチャンスがあれば、、、と思った私は、1年目が終わるタイミングの目標達成を成し遂げるべくめちゃめちゃ仕事した。
その結果、担当案件数などなどをクリアして少しお給料をあげてもらうことが出来た。自分で勝ち取った数万円のお給料アップはその後の育休期間中の私にかなり心の余裕をもたらした。

同時に、他の同期が社内表彰されているのを見て、センシティブだった私は悔し泣きしたりもしてたけど、そんな私の心境を知りつつも妊娠云々には触れずに私の仕事を評価してくれた上司には頭が上がらない思いだった。
お金が全てじゃないけど、それで救われることってあるよね、やっぱり。

血眼になって産後のお金のことを考えていると、やはり結婚しないでとりあえずは自分が未婚の母になる方が、制度的に有利なのでは?と極端な考えがよぎることもあった。
シングルマザーならば保育園には優遇的に入れるし、児童給付金も多い。
事実婚をして選択的シングルマザーになる?などという選択肢も(すでに親には結婚すると言ったけど)二人で何度も話し合った。
でも、結局は一人暮らしでいきなり子育てできないし、私の実家にそんなスペースもない。何より最初から諦めたら3人で後から一緒に暮らしていくことが難しくなる気がして、やっぱり頑張って引っ越して3人で暮らすことを目指そうとなった。辛かったけど、この時期に何度も喧嘩しながら、結婚したい、3人で家族になりたいという思いが2人で固まったことが今の私たちをちょっと強くした気がする。

妊娠報告の仕方に悩む

会社で一番最初に報告したのは、直属の上司で入社の時から私のメンターだった先輩だ。仲は良かったと思うけど、やっぱりどんな風に思われるかとても緊張していた。
ただ、先輩は開口一番『まじか!おめでとう!そういうことか〜!』
と、私が仕事を辞めたいとかではなく、妊娠の報告だったことを素直に祝ってくれた。
率直におめでとう!と言ってもらえたのは、本当に救われた。

会社以外で、それまでに幼馴染や大学の友人にも何人かに相談という形で妊娠を報告した時は、おそらく私の相談の仕方が深刻めな雰囲気だったこともあり、皆素直に喜ぶというより、え、大丈夫なの?どうするの?という反応だった。
それが私のそれまでの恋愛事情やキャリア観を知っている親しい相手の相応な反応だと思っている。でも、どこかでそんな反応を見て、本来おめでたいことなのに、自分の妊娠は友達に心配されるようなことになってしまったのか、という気持ちがあって、そういう反応をさせてしまう自分にも嫌気がさしていた。
夫ともこの話は何度もして、どうしたら相手が気兼ねなく祝ってくれる報告ができるか、みたいなことも考えたりした。やっぱりまず妊娠したんだ、じゃなくて付き合ってた彼と結婚することになったんだ!って言うとか。
けど前述の通り、私の頭の中ではかなりギリギリまで、実際籍を入れることが現実的なのか迷う節があったので、ぶっちゃけた話をする相手には、妊娠して、結婚するかもしれないんだ、みたいな報告になっていたのだ。
まあ、私が結婚出来るかわからないけど子供を産もうと思ってるんだ、と言う段階で本当のことを話せる友人が数人いたことは間違いなく今までの人生の財産だと思う。

いよいよ4月になって社会人2年目になる頃、会社の同期や部署の人たち全員に妊娠を報告した。言われてみれば、というくらいにはお腹も出てきていた。皆私がまだ独身だって知ってたし、つい最近入社してきたばかりなのに産休取るだなんて、眉をひそめる人もいるかも、なんて心の中では不安に思っていたけど、皆必要以上に聞いてきたりせず見守ってくれた。平均年齢の若いベンチャー企業で良かったと思ったりした。

結婚と引っ越し

モヤモヤしていた年明けからの3~4ヶ月は長く、本当に永遠にも思えるくらい辛かったけど、4月に入ってから私たちにも徐々に突破口が見えてきた。
彼の就職が決まったのだ!
そして、ちょうど4月で付き合って2年の記念日に入籍することにした。

そしてもう一つ進展があったのが、引っ越し先も決まったことだ。
これはまた別の機会に書こうと思っているけど、引っ越し先を探すのにもかなり苦労した。保育園への入りやすさとお互いの実家へのアクセスなども考えて、豊島区に住みたい、と言うところまで私がほぼ独断で決めた。
ところが、なかなか条件に合うファミリー(赤子連れ)可の物件が少なくて、かつ不動産繁忙期&コロナで内見予約が取り辛いと言ったことがあり、やっと物件が決まったのも4月の半ばだった。

長くなりすぎてしまうので、その後のことは少し省略するが、やはり籍を入れ夫と一緒に住み始めて気持ち的にもかなり落ち着き、6月には予定通り産休に入って楽しく赤ちゃんを迎える準備に専念できた。

7月に無事子供が産まれて、私達は3人家族になった。

自分の体内からふにゃふにゃの小さな自分とは違う生命体が出てきて、3人で写真を撮った時に、ああ私たち3人家族になったんだ!と思った。

想像していた社会人一年目ではなかったけれど

私は自分の母がそうだったように、なんとなく20代は恋愛はしつつもキャリアを作ることを優先して、結婚は30歳くらいで機会があればして、子供は欲しいよな気はするけど、、、というぼやっとしたライフプランを持っていた。
ラジオがやりたい、映像もまだ作り続けたい、旅行や遊びにも行きたいし、と日々やりたいことを頭の中でリストアップしては土日の度に仕事の疲れでぐったりしてるだけで終わったりもしていた。

妊娠が分かった時の自分がもうものすごく遠く感じる。いろんなことがありすぎて、産後は体力の回復や初めての子育てよりも、実はメンタル回復に時間がかかっていた気がする。最初の3ヶ月くらいほぼ家にいた。

想像していた社会人生活の始まりとは全く違ったけれど、復職した今、もう夫がいて子供がいて仕事をしている自分が当たり前になっている。
人間慣れるんだなぁとしみじみ思ってしまう。

23歳で子供を産んだから、娘が高校生になっても私はまだ30代だ。人として娘と一緒に成長出来る余地がまだまだあるし、以前の私よりも年齢とか順番とかに捕らわれずに、自分の人生を捉えていける気がする。
キャリア何年目だろうと、就労形態に捕らわれずに安心して子供が産めるようになるといいよね。

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