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なぜ家族が大切か。クリスマスを前に!

なぜオレは家族にこだわるのだろうか。
クリスマスを前に!

オレがウツであったときには
悩みは尽きなかった。

その中でもとりわけ大きかったものは
自己肯定感の低さだ。

オレは存在していていいのか?

いても邪魔ではないか?

無意味ではないか?

必要とされているのか、、。


ーーーー


(そんなこと考えてたら、ますますウツが酷くなりそ笑)


それを果てしなく考えた。

当時は仕事もしていなければ収入もごくわずか。

精神障害者2級という肩書は、
社会に対して何か貢献しているのではなく

社会に養ってもらっている
ということを表していた。

だから、対社会的には
お荷物なわけだ。


合理的な理由、経済的な理由

それから、論理的な理由ーーー。

それを求めると、オレは必要なかった。

たしかに必要ないんだ。じつに悲しい。



だが、合理的な理由を超越して

意味があるのかもしれないと
考える材料があった。

それはおじいちゃんの最期だ。



最後の何週間かは
昏睡状態となり、会話はできない。

チューブに繋がれて、
生命を維持しているだけだ。

そこに何か意味があるか?

価値があるのだろうか?


ーーーー


それでもあるんだ。




おばあちゃんは、

「心臓が動いているだけでいい」

そう言っていた。

昏睡状態のおじいちゃんと
それを看病するおばあちゃん。

言葉をかけても何も返ってこない悲しみはあるかもしれないが。

それでも、心の中で
たくさん会話をしたはずだ。

心の会話に十分に応えうる価値が
おじいちゃんの心臓の鼓動には
あったはずなんだ。

当時の自分は10歳くらい。

それでも、記憶として
はっきり覚えている。

それくらい
印象深いことだった。


ーーーー


オレはそこに、何か意味があると感じるんだ。

理屈を超えた価値観があるんだ。

心臓が動いている
体温がある
温もりがある

手を握ると、温かい。

そこに何か、安心感や落ち着き
安らぎがあると感じるんだ。


ーーーー


そしてそれは。誰もが必要としているものだ。


無条件に、その人に何も価値がなくても。

それでも、あなたがいてくれさえすればいい。

そう言ってくれる場所が家族だと感じるんだ。



うん、いや。


絶対にね!

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