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また会いたいと願う君へ

YOASOBIさんの歌う、”三原色”のPV見ましたか?
auの新料金プランCMで耳にした方も多いだろう
あの曲です。


見た方はわかると思うけれど、この曲では離れてしまっていた友人同士が再会します。
すれ違った時間があって、変わってしまったこともある(PVでは3人組唯一の女の子が結婚している)。だけど、それまでに過ごした時間やお互いへの想いだけは変わらないままそこにあって、そしてそんな時間をこれからも繰り返す、という歌詞。わたしの解釈ではありますが。


三原色のような立ち位置は、誰もが経験するのではないかと思います。ここまで綺麗なものかどうかは別として。
変わらないものは確かにそこにあっても、目に見えるものの多くは変わってしまっていて、受け入れられない自分もいて。そう簡単に再会できるかと言われたら難しいところです。
胸の真ん中あたり、深いところをぎゅっと掴まれるような、新しい場所でふいに懐かしい匂いがしてくるような、そんな歌だなあと感じます。


わたしはそのとき気に入った音楽を飽きるまで
ひたすらにリピートする癖があるので、ここ数日
車内では毎日この曲が流れています。

そのたびに思い出す同じ出来事、同じ顔ぶれ。
10年近く前の、わたしのなかの三原色の日々。

わたしの通っていた専門学校ではグループワーク
の時間が多く取られていました。
ランダムに振り分けられたそのメンバーは、授業に加え放課後も一緒なことが多く、なんなら家族よりも長い時間を過ごしていました。

夕陽が落ちるまで勉強して、合間にふざけ合って、結局課題は終わらなくって、一人暮らしの友だちの家に転がり込んで雑魚寝して、起き抜けのまま慌てて学校まで走る。
男気じゃんけんをしながら近くのコンビニへ昼食を買いに向かう毎日。
クリスマスや年越し、夏休みの課題や国家試験、そのすべてを一緒に過ごし、がむしゃらに走り抜け駆け上がった日々。

二十歳前後、大人でもなく子供でもない時間のなか、並んで先生に怒られることもあったし、海に向かって泣きながら辞めてやると叫んだ日もあったけれど、あのときのわたしたちは無敵でした。

就職して離れ離れになって、あれから何度も歳を
重ねたはずなのに、集まればわたしたちは20歳でした。

コンビニの袋に雑に詰められた缶チューハイ、田舎道を引っ張り合いながら歩いた蒸し暑い夜。
頭から布団を被り、真っ暗な部屋で身を寄せ合って見たホラービデオ。
仕事が終わってヘトヘトなまま買い出しに繰り出し、大騒ぎしながら包んだ餃子。

社会人にもなっているのに、何も変わらず笑い合い、時間を過ごす。
鮮やかに光る眩しすぎた日々は一生続くと、あの
ときのわたしはまっとうに信じていたのです。


世間を騒がせるあのウイルス。
病院で働くわたしたち、一変した世界に放り込まれ翻弄されるうち、少しずつ薄く、遠くなっていった距離。

そうしてわたしたちはさらに歳を重ねて。
全員が結婚し、ひとりは子どもまで産まれて。
渡せていない結婚祝いはまだ押し入れに仕舞われています。
子どもの顔は直接見ることができないまま、もう1歳を迎えたはずです。

彼等は、いまどうしているのだろうか。
グループラインはしばらく起動していない。
結ばれた糸の行方もわからないまま、
わたしたちはそれぞれの生活を生きています。

お互いを取り巻く環境を知っているからこそ
”また会いたいね”の一言は送れないまま。
時間が押し広げたその溝は深く広く横たわり、
親指だけで届く気持ちは画面の上で燻る。
肩が触れ合うほど近くで過ごしたあの日々は、
もう遥か昔のこと。

会えばきっと変わらない、あっけないほどあの頃のまま。そう信じていても、生まれてしまった距離は果てしなく感じます。
再会を望むのがわたしだけだったらどうしようと
取り留めのない不安もぐるぐると渦巻く。

それでも、何年経っても、
わたしのなかの特別を占める彼等。
話したいことは何年ぶんも溜まっている。
もし再会出来たなら、そのときはまた20歳に
戻って、夜が明けるまで話をしたい。

いつか見上げた赤い夕日も、
共に過ごした青い日々も、確かにあったから。

次は、緑が芽吹くように再会できると信じて。

今日もどこかで戦う彼等を想いながら、
途切れた物語の先を、いつか。



また会いたいと願う君へ



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