見出し画像

【認知症】思いやりと自己犠牲

みなさん、こんにちは。りりすけです。
今回は認知症とそのご家族について触れていこうと思います。

認知症のご家族の話などは、たまにテレビやニュースで取り上げられるので、みなさんなんとなくイメージはあるのかなと思います。

そういったところで取り上げていることと、実際の現実、家族が大切にすべきことなどもお話しさせていただきます。


認知症を患った方の家族

ご家族の誰かがもの忘れが多くなり、忘れたことすらも忘れる、ひどい時にはそれを認めずキツく当たったり暴言を吐いたりする。
そうなってしまうととても辛いですよね。

でも誰も好きで認知症になったわけでもないし、忘れたこと自体を忘れてしまうとどうしようもない。昼夜の時間感覚も薄れてきて、夜間にウロウロするため家族は気が休まらない。
一緒に生活をしていく上で、家族が理解をして耐えるしかない。
その結果、家族は仕事を継続する体力がなくなったり、不在時の不安が大きくなりすぎるあまり、仕事を辞めて介護に専念する。

これまで出来ていたことが出来なくなり、それも忘れて全ての後始末は家族がする。これをこうしようと最初は優しく言うが、いっても覚えず次第に苛立ちが募ってしまう。

こういったことが現実に多くあります。
(もちろん他にもあります。)

ご家族の介護負担は本当に、想像以上に大きいものです。

「自己犠牲」の上に成り立つ「思いやり」

前述したパターンは、ご家族の責任感や本人への優しさで起こってしまうことが多いです。

なぜか?

それは、
「家族のことは家族内で解決しないと迷惑がかかる」
「本人に認知症と自覚させるのはかわいそう」
「本人の好きなように生活をさせてあげたい」
などの思いがあるからです。

これは一見、本人や周囲への思いやりのように聞こえます。

でもこれは、前提として「自己犠牲」があるから成り立つ「思いやり」なのです。

この思いやりは、ほぼ確実と言っていいほど、潰れてしまいます。
最初はいいでしょうが、時間が経つにつれて家族の時間のほとんどが認知症の本人への時間に変わってしまい、自分たちの人生が自分たちのものでなくなってしまう感覚に襲われます。
それと日常での苛立ちが加わり、最悪の場合、虐待という事態にまで発展してしまいます。

これでは「思いやり」と言い切ることは出来なくなってしまいます。

「自分の人生があってこそ」の「思いやり」

認知症の本人を支えることは、これまでの話でも理解していただいたように、並大抵のことではありません。

また、負担を家族だけで背負うと潰れてしまう可能性もグンと上がります。

ではどうするのか?
答えは簡単で、「福祉、介護に相談する」ことです。

なんだそんなことか。
と思われるかも知れませんが、このハードルは意外にも高いんです。
自宅で本人を見てる時間が長い家族からすると尚更です。
自分の家族の恥ずかしいところを、他にも相談することへの抵抗という認識になっている場合が多いです。

ただ、ここを乗り越えて相談することで、関係者が増え、サービスも入り、自分たちだけでレールのないいつまで続くか分からないが不安から逃れることが出来ます。

そこでようやく、自分の時間が取れるようになり、自分の人生をしっかり歩めるようになります。

たとえご家族であっても、自分の人生があってこそです。
「自分の人生があってこそ」の「思いやり」が最も健全で、誰もが幸せになれるものです。

自分たちで抱え込まずに、しっかり相談をして、任せられるところは任せて、自分の人生を楽しんでいけるようにしてください。

そのために、我々のような福祉職がいます。

安心して最寄りの役所や包括支援センターなどに相談してくださいね。


今回も最後までご覧いただき、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?