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『桜子』

私の下の名前は『桜子』という。大好きなこの名前は、大嫌いな父がつけてくれた。 

正直名前負けしているとは思うけども、この名前をつけてくれたことに関しては父に感謝している。


いつも家族は名前を、友達は名字をもじったあだ名で呼んでくる。

だから彼は私を『桜子』と名前で呼んでくれる唯一の存在だった。


彼と付き合っていたのはほんの少しの間だけ。それでもその日々があるから今も生きていけるのだと言いきれるほど私にとっては宝物だった。




可愛いとたくさん言ってくれた。

深夜でもバイトが終わったあと、迎えに来て家まで送ってくれた。

くだらない内容の長電話に付き合ってくれた。

私の作った料理を一緒に食べてくれた。

軽いキスも重いキスもセックスも、私が求めればいつでも応えてくれた。

何もかもが彼とが初めてだった。 


好きな人に抱きしめられながら眠るのが心地いいなんて知らなかった。

お酒やタバコの味のキスがあるんだと彼のせいで知ってしまった。


彼の好きな料理が私の得意料理だったのを知った時、偶然だとしても今までこのために料理をしていたのだと思うくらい嬉しかった。

彼が「今までの人生で5本の指に入るレベル」と絶賛していたハンバーグは今もランクインしているのだろうか。




親に褒められずに育ってきた私にとって、何気ない事でさえ褒めてくれる彼が救いだった。

他の兄弟と無意識に差別をしてくる親をどうしても好きになれないことを話した時、自分も似た経験があると話してくれた彼となら親になりたいと思った。 


「子どもにはピアノを習わせたい」

「女の子が生まれたら嫌われたくないからめちゃくちゃ可愛がるわ」

なんてお酒が入った時に楽しそうに将来の話をしてくれる彼が好きだった。




春、満開の桜を見る度に何度も彼の言葉を思い出した。


「『桜子』って綺麗な名前よな。娘が産まれたらつけたいぐらい」


いつか、彼は私以外の人と結婚してしまうのだろうか。

もし私と同じように桜が満開の時期に女の子が産まれたら、何食わぬ顔で娘に『桜子』と名付けるのだろうか。

その子を見る度に、名前を呼ぶ度に私のことを思い出してくれたらいいのに。

付き合う前の何気ないこの一言のせいで、別れてから毎日そんなくだらない妄想をしてしまう。




ねえ、今も私はあなたと結婚したいです。

子どもは2人か3人、できればみんな女の子がいいな。私と同じように、産まれた季節に咲いている花を名前に入れてあげたい。

もし音楽が好きな子だったらピアノを習わせて、休みの日には一緒にその発表会に行こうね。


あなたとなら親になれると思った。

ずっと子どもを持つのが怖かったけど、あなたも親からされて嫌だった事が同じだったら、子どもには同じ思いをさせずに済むんじゃないかと思ったから。


あなたには言えてないけど、私もあなたの名前が大好きだよ。

あなたの名前を知ってから、顔も知らないあなたの事がずっと気になってた。

だから初めて会えた時は本当に嬉しかったし、目が会った瞬間に「この人だ」って思ったの。こんなとこでしか言えないけどね。




いつか、彼がまた私の名前を呼んでくれる日が、私があなたの名前を呼べる日が来ますように。できれば満開の桜の木の下で。

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